東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

国家学会雑誌

研究活動

『国家学会雑誌』

国家学会の沿革

 国家学会は、1887(明治20)年2月9日に設立された。元来東京大学文学部に設置されていた政治、理財、哲学、和漢文学の諸学科に関する研究を目的として「文學會」という組織が設けられていたが、1885(明治18)年に「政治学及理財学科」が法学部に移管されたため、政治学の学生、学士等が、「憲法、行政、財政、外交、経済、政理、統計等国家学ニ属スル諸学科ヲ講究スル」(国家学会規則第2条)ことを目的として「文學會」から独立した組織を結成したものである。会員の範囲は当初「旧東京大学卒業ノ学士、帝国大学ノ教授、卒業生、学生生徒及国家学専門ノ名士ニシテ本会ノ目的ヲ協賛スルモノ」(第3条)と定められ、事業内容は講義討論と雑誌の発行であった。講義討論のために、夏期を除く毎月一回の「通常会」が開催されることとされた。設立時の会員は94名であった。

 1887(明治20)年3月5日の第1回の会合で行なわれた講演は、評議員長渡邊洪基(初代帝国大学総長)による「本会開設ノ主旨」、カール・ラートゲンによる「日本及欧州人口統計結果ノ比較」、和田垣謙三による「近世独逸国経済学一班」であった。同年3月15日に発行された『国家学会雑誌』第1号には渡邊洪基の講演が掲載されている。その中で渡邊は、理学、哲学、人類学、社会学等の発展が著しいのに対して「人類ヲ以テ組織セル一生活体」である国家の学問的研究が遅れていることを指摘する。生理学、病理学の研究なくして医療を行なうことができないように、国家についてもその学問的な研究が必要であるが、「独墺ノ学者遂ニ国家学ヲ唱道スルニ至リ、国家ノ定義成分ヨリ各部分ノ性質其相互ノ関係其変化ノ定理及ヒ他ノ対等物トノ関係ト外物トノ交渉トニ至ルマデ條分縷?スル事恰モ一個人類ノ生理ヲ説クカ如ク、未タ定論ト理法トヲ成スニ至ラスト雖モ一般ニ学理的ノ観察ヲ下スノ勢ヲ成シタルカ如シ」と述べている。帝国憲法の制定公布が近づいていた当時、国家運営にかかわる学術の涵養と学識の普及との必要性が強く感じられ、そのためにドイツの「国家学」(Staatswissenschaften)を参考にしようとしたのである。実際に国家学会の設立には伊藤博文の示唆・助力があったことはよく知られている。伊藤が1889(明治22)年『帝国憲法義解』および『皇室典範義解』の版権を国家学会に寄贈し、その財政的基盤としたことは、国家学会にかけられていた期待の大きさを物語る。

 

渡辺洪基(述)「本會開設ノ主旨」(国家学会雑誌第1号巻頭)

国家学会の財政的基盤となった伊藤博文著『帝国憲法・皇室典範義解』(明治30年刊行の再版版)岡義達先生の蔵書である。

その後国家学会は雑誌刊行と講演会開催を内容とする活動を順調に続け、会員数は1895(明治28)年6月時点で865名、1897(明治30)年4月時点では1,100名余、さらに1920(大正9)年12月時点では1,902名を数えた。

 また1919(大正8)年4月に経済学部が法学部から独立した後も、国家学会は少なからぬ経済学者および実業家や金融・財政の実務家を会員に擁し、雑誌にも経済や財政問題にかかわる論稿が多く掲載された。1927(昭和2)年5月25日に改正された国家学会規則でも、会員として、「東京帝国大学法学部又ハ経済学部ノ教授、助教授、及ビ卒業生」が認められている。もっとも、経済関係の論説は徐々に減少し、『国家学会雑誌』は法学・政治学の純学術誌としての性格を強めていった。

 その後国家学会は1943(昭和18)年4月に財団法人化されるが、雑誌は1944(昭和19)年8月刊行の第58巻第8号を以て発行停止を余儀なくされた。しかし1946(昭和21)年1月、尾高朝雄「法の窮極に在るもの」を巻頭に掲げた第60巻第1号より刊行を再開する。また同巻第10号から第12号まで東京大学法学部スタッフによる新憲法の解説を連載し、その後も新憲法下の法的・政治的問題に関して多くの論稿を掲載して、戦後日本社会に対する法学・政治学の責任を果たしたのである。それ以後も現在に至るまで、『国家学会雑誌』は、日本を代表する法学・政治学の学術誌としての地位を占めてきた。

 国家学会は、公益法人制度改革にともない、2011(平成23)年7月末に法人としては解散し、8月1日をもって新たに任意団体としての国家学会が設立された。新しい組織のもとで『国家学会雑誌』の刊行は従来通り着実に続けられている。

 

第二次大戦後最初に刊行された『国家学会雑誌』第60巻第1号(1946年)巻頭論文 尾高朝雄「法の究極にあるもの」

国家学会編『新憲法の研究』(1947年) 国家学会雑誌 に連載された論文をまとめたものである。

国家学会編『国家学会百年記念 国家と市民』全三巻(1987年)