東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

コラム52:感情に耳を傾ける

学習相談室

コラム52:感情に耳を傾ける

満開だった桜の木も、新緑に包まれる季節となりました。3年生の皆さんは、新しいキャンパスに慣れてきた頃でしょうか。4年生の皆さんは、気持ちが引き締まるとともに、溌剌とした下級生の姿が眩しく見えることもあったかもしれませんね。人々が行き交い、環境が変化する時期は、どうも外側に目が向き、自分の内面にはなかなか目が届かないものです。今回は、「感情に耳を傾ける」というテーマでお話ししたいと思います。

 

皆さんにとって、感情とは大切なものでしょうか、それとも煩わしいものでしょうか。感情は、様々な分野で研究されており、私たちの生活に密着したもの、あるいは人間の本質と言ってもよいかもしれません。私は、そんな感情の「機能」に関心をもっています。

 

ひとつの感情には、適応的・不適応的、両方の「機能」があります。例えば、罪悪感という感情について、ある本ではこう述べられています。生存競争において、自分の利益をより多く得ようとするのは合理的である。しかも、相応の対価を払うことなく(つまり、ごまかせるならごまかして)、より多い利益を得ることができるなら、そうすることに越したことはない。その点では、罪の意識を感じる人間は、そうでない動物よりも劣るはずだ、と。しかし、この本の続きはこうです。罪悪感、もしくは良心の呵責ともいえる感情をもつ人は、より多くの他者から信頼されやすい。つまり、罪悪感があることで、他者との誠実な関係が築きやすくなり、結果的に、より大きな利益や安全を得られるだろう。

 

このように、罪悪感というような、一見ネガティブで扱いにくい感情であっても、社会生活を送る私たちにとっては、機能的(functional)な側面をもっているのです。一方で、もしもこの感情が強くなりすぎると、不必要に自分を責めたり、自分が守るべき主張や権利を守れなくなったりすることもあるかもしれません。私は法学には明るくないのですが、法学部の皆さんは、罪悪感とか良心の呵責といった感情を拾い上げ、それをもとに判断を迫られることもあるのかと想像して、例に挙げてみました。

 

さて、私たちが日常生活で感じる、もっと身近なネガティブ感情も、両価的な役割をもちます。さらに、自分のこころとからだの状態を示す大切なシグナルでもあります。例えば、試験前の不安は、準備が足りないところに気づかせ、勉強に臨むように自らを奮い立たせてくれます。しかし、不安になりすぎると、どこから手をつけるべきかわからず、どこにも終わりがないような気がして、身動きが取れなくなってしまいます。そんなときは、「ああ、今、自分は不安なんだな」、「この不安はどこから来ているんだろう」、「何が変われば、この不安は軽くなるのか」など、ステップを踏んで今の感情を整理することで、日常を過ごしやすくするヒントが得られます。鬱々とした感情は、休憩が必要というサインですし、劣等感は、自分の理想や高い志の裏返しだといえるでしょう。本来、感情は自分のニーズを教えてくれるものなのです。どのような感情にも、適応的・不適応的の両方の「機能」があるという見方をすると、少し気持ちが楽になり、自分が何をしたいか・すべきかが見えてくるかもしれません。

 

もちろん、日々の生活の中では、学習の仕方や履修のスケジュールなど、現実的に解決せねばならない問題も沢山あるかと思います。しかし、毎日のパフォーマンスを上げるためにも、自分の感情に耳を傾けてみることが役に立つことがあります。学習相談室のよさは、学習面・心理面どちらの相談も気兼ねなくできるところです。視野が狭まってきたときや、自分のことがよくわからなくなったとき、少し立ち止まって一緒に整理できる場所があることを思い出してみてください。

(文責:北原)