大澤真幸『ナショナリズムの由来』
 
 
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 本書の著者、大澤真幸について、私はこれまで名前は一応知っており、多少気になってはいたものの、作品を読んだことはほとんどなかった。専門が違うとか、分厚い大著が多いということも理由の一つではあるが、それが全てではない(異なる専門分野の大著を読むためには時間的・精神的なゆとりが必要で、そう簡単にいつもできることではないが、できる限りそうしたことにも挑みたいという風に、私は常日頃念じている)。
 私はある時期、社会学に惹かれたことがあり、本格的に学んだとはいえないものの、自己流にある程度かじってみたこともある。一口に社会学といっても、壮大な社会理論を構築するタイプのもの(ウェーバー、パーソンズ、富永健一、見田宗介=真木悠介等々)と、具体的事例に即した実証的社会調査に力点をおくものとがあるが、私はある時期まで前者に惹かれ、それから後者の重要性を感じるようになり(これは歴史学について、壮大な歴史理論よりも具体的な実証研究を尊重するようになったのと並行している)、しかしそれに没入することもできないまま、あまり社会学文献は読まなくなる、という経過をたどった。大澤が一連の著作を刊行し始めたのは、ちょうど私が理論社会学に興味を失い始めた時期と合致していた。大澤の師の一人に当たるらしい見田=真木の一連の著作を読み、一定期間熱中してから醒めつつあった時期である。私が大澤の名を早い時期から一応知りながらも、あえて読もうという気にならなかったのは、そうした不幸な巡り合わせによるところが大きい。
 そういうわけで、ほとんど作品を読んでこなかった中で、例外的に面白いと思ったのは、大澤編の『ナショナリズム論の名著50』である。これは私自身が深い関心をもつテーマを扱い、しかも多数の書物について簡潔な解説を集めた非常に便利な本で、私も多くの恩恵をこうむった。この本の中で大澤自身が担当したのはゲルナーとスミスに関する二つの章だが、そのいずれにおいても、末尾の参考文献一覧に、大澤真幸『ナショナリズムの由来』講談社、二〇〇二年近刊と記されている(1)。それ以来、私は本書の出現を待ち続けてきたが、ようやくそれが具体的な形をとったわけである(どうでもいいことだが、二〇〇二年刊と予告されていた本が〇七年になって現われたことを批判するつもりは私にはない。ゆっくりと丁寧に仕事を進めるのは私のモットーでもある)。
 楽屋話めいたことをもう一つ記すと、現在、私自身が本書と似たタイトルの小著(正式の題名は未定)を書く予定であり、本書の刊行はちょうどその構想を練っている最中というタイミングだった。私の執筆途中の本は、紙数が厳しく制約された薄い本で、詳しく丁寧な議論を展開することはもともとできない性質のものだが、とにかくそういうものを書こうとしている矢先に、似たタイトルの大著が出たとあっては、平静ではいられない。ひょっとして、自分の書こうと思っていることが全てこの大著に盛り込まれているかもしれず、もしそうだとしたら私の本は出す意味がなくなってしまう。自著の準備そのものを完全停止するか、あるいは少なくともこの大著との関係において自分の小著の位置づけを明確化するか、いずれにしてもかなり大きな路線変更を余儀なくされるだろうという予感をいだきながら、この本に向かうことになった。
 誰かの本を読んで、その感想をまとめる際に自分の側の楽屋話をするのは、一般的にいえば不必要なことで、みっともないとさえ言えるが、今回の場合、こうしたことを断わっておかないと、どうして以下のような感想をいだき、それを文章化するのかがはっきりしないだろうから、あえて冒頭に手の内をさらすことにした次第である。
 さて、上記のような予感をもちつつ本書に向かってみた結果、読後感を一言でいえば「肩透かし」である。本書と私の準備中の著書とは、タイトルに外観的類似性があるにしても、実質においては驚くほど接点が少ない。ほぼ完全に異なった主題と狙いをもつ本である。おかげで、私としては自著の構想に変更を施す必要はほとんどないということになった。これほどの厚さをもつ本(九〇〇頁に迫る)でありながら、私が書こうと思っていることとの重なりがごく僅かだというのは驚くほどだが、これはもちろん、いい悪いの話ではない。著者と私の関心の方向性がまるで異なっているというだけのことである。
 そうはいっても、もちろん、本書の膨大な内容の中に私の関心を惹く個所がないわけではないし、執筆中の拙著との接点も、わずかではあるが、皆無ではない。大著が出たすぐ後に似たタイトルの小著を出す者としては、どうしてタイトルの類似性にもかかわらず実質的接点が乏しいのか、またわずかにもせよ接点があるのであれば、それはどこであり、その点についてどういう風に考えるのかをまとめておく必要があるだろう。この読書ノートはそういう観点から書かれたので、満遍ないバランスのとれた書評を目指したものではないということを先ずもって断わっておかねばならない。以下では、ときおりかなり不満めいたことを記すが、それは大半の場合、「私が正しく、大澤が間違っている」という主張ではなく、「私の関心と大澤の関心はまるでスレ違っている。彼の関心事は、おそらくある種の読者にとっては非常に面白いのだろうけれども、少なくとも私にはピンと来ない」という感慨のようなものである。関心の違いを言い争っても始まらないが、とにかくどこでどのようにスレ違っているかの確認だけはしておきたいというのが小文の趣旨である。
 
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 いま述べたように、この読書ノートは本書全体についての満遍ない論評を目指すものではないが、それにしても、自分の関心ばかりに引きつけた印象論に終始するのでは、あまりにもバランスを失し、我田引水になってしまうだろう。そこで、とりあえず本書の構成を確認し、全体的な構想についての感想を述べることから始めたい。
 本書は予告編、第一部「原型」、第二部「変型」、補論、そして「結びに代えて」からなっており、そのうちの第一部は古典的ナショナリズムの分析、第二部は二〇世紀末以降の現代的状況の分析と位置づけられている。このような構成は一応スッキリしていて、分かりやすいものといえるだろう。第一部と第二部にそれぞれの内容を簡単に要約した「総括」がついているのも、大著を読み通すのに疲れてしまいそうな読者のことを配慮した親切な書き方といえる。逆に、索引がついていないのは不親切で、大きな欠陥である。読み終わった後で、何らかの印象を残した個所を再確認しようと思っても、索引がないと当該個所を探す手がかりがなく、これだけの厚さの本を全部読み直す気力も出ず、再確認できないままとなりかねない。
 予告編に書かれているように、現代はもはや古典的ナショナリズムの条件が失われつつある時代だが、にもかかわらず――というよりもむしろ、それだからこそ――現代的な意味でのナショナリズムが大きな問題として登場している。このことの確認から出発して、古典的ナショナリズムおよびそれと区別される現代ナショナリズムについて考えるという問題設定には共感するところが大きい。こうした課題を全体に先立って提示した予告編は本書の中で最も分かりやすく、その先を知りたいという気分に読者を誘う。
 古典的ナショナリズムについて論じた第一部も、本書の中では比較的分かりやすい部分に属する。おそらく、ここでの対象がこれまでに多くの研究で解明の進んだ主題だという事情が関係しているだろう。一九世紀から二〇世紀半ばにかけてのナショナリズムに関しては、膨大な研究の蓄積があることはいうまでもない。大澤はそれらの中でも特にベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』を重要な出発点としつつ、それを独自の角度から修正する形で論を進めている。アンダーソンにおさまりきらない重要な論点としては、資本主義についての独自の捉え方――アンダーソンも「出版資本主義」を重視しているが、大澤の着眼はそれよりも広い――があり、それとの関係で古典的ナショナリズムが位置づけられている。これらのうち、いくつかの点については、後で個別に取り上げて考えてみたい。
 続く第二部は、予告編を読んだ段階では二〇世紀末以降の現代の状況を集中的に論じるのだろうと予想したが、実際には、二〇世紀中葉あたりの事柄が多く取り上げられている。大きな柱となっているのは、クレオール文学、サバルタン論、そして在日韓国・朝鮮人文学者の作品の分析などである。これらがそれ自体としては二〇世紀前半ないし中葉の事柄であるにもかかわらず「現代的ナショナリズム」論の中で重要な位置を与えられているのは、大澤なりの独自の戦略があるようだが、その戦略がどういうものなのか、私には十分理解できなかった。この点についても、後で多少考えてみたい。
 その後にくる補論は、いささか特異な位置を占めている。著者の意図としては本論を補足する重要な意義を与えられているらしく、「補論」にしては長大だが(百頁以上にのぼる)、私にはその意義が読み取れなかった。いずれにせよ、これは補論ということなので、この読書ノートでも末尾で補論的に取り上げることとしたい。
 本書の末尾には、「結びに代えて――救世主について」という部分がおかれている。通常の書物の「結びに代えて」は本論の内容を要約しつつ締めくくるものであることが多いが、この「結びに代えて」はむしろ全く新しい論点――それも一種の宗教哲学的な議論――が繰り広げられている。私にはこれが本論とどう関わるのかも、どうしてナショナリズム論の末尾におかれるのかも、全く理解することができなかった。この部分については純然たる「謎」として残しておくほかない。
 
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 大澤の文体は冗舌で、そのため時として冗長に流れるところもあるが、個々の文章自体は明快であり、理論に力点をおいた書物のわりには読みやすい。これも大きなメリットというべきだろう。理論を論じようとする著作の陥りがちな通弊として、あれこれの理論家の概念枠組みや特異な用語(一種のジャーゴン)を乱発し、表面的な言葉の華麗さに幻惑されるあまり、著者自身が何を言いたいのかが分からなくなるということがよくあるが、本書の場合、借り物の議論ではなく著者自身の頭の中で練られた論の展開という性格が明確であり、そのおかげで、何を言いたいのかが分からずに欲求不満に陥るということは比較的少なくて済む。もっとも、個々の文章ないしパラグラフは比較的分かりやすいにしても、それがどのように組み立てられて、どういう方向に議論を展開しようとしているのかという点になると、よく分からない個所が少なくない。それは書物の基本性格と関係しているのではないかと思われる。
 著者自身がどう考えているかはともかく、私の印象としては、本書はあくまでも理論社会学の本だということを強く感じる。題名に引きずられてナショナリズム論の本かと思って読むと、実はそうではなく、著者自身の社会学理論の展開が最大の目標であり、ナショナリズムはそのための単なる素材として利用されているに過ぎないのではないか、つまり端的にいって本書はナショナリズム論それ自体を狙いとした本ではないのではないか――これが私のいだく最大の疑問である。
 本書のあとがきで、大澤は第一に「理論性」、第二に「固有名」に特に留意したとして、「真に普遍的なものだけが、特異性の襞に触れるのである」と書いている(八七六頁)。本文よりも先にあとがきを読んだ私は、当初、「固有名」を「固有性」と読み違え、もしこれが本当に達成されているなら、それは素晴らしいことだが、果たしてその抱負は本当に満たされているだろうかという問題意識をもちながら(2)本文に向かった。読み進むうちに、本書には「理論性」は充満しているが「固有性」はほとんど完全に欠落しているという印象を懐いた私は、これはどうしたことかと思って、もう一度あとがきを読み返すと、「固有性」ではなく「固有名」とあることに気づいた。「固有名」という表現が「固有名詞」とどう区別されているのかは分からないが、とにかく本書には確かに固有名詞はたくさん出てくる。その限りでは、大澤の自負は完全に外れているわけではない。だが、あれこれの固有名詞(特定の時代、特定の地域に生きた特定の人々)がまさにどのような意味でその時代・地域・問題状況の刻印を帯びているのか――私の考えではこれこそが「固有性」の中身をなす――という点についての関心は、本書にはほとんど感じられない。
 これは歴史家と理論社会学者の最大の違いだろう。歴史家にとっては、時間と地域を特定した対象について、大量の一次資料を「資料批判」の精神で点検しながら、可能な限り実証的に再現しようと試みることが主要な課題となる(こう書くと、実証史学は時代遅れだというポストモダニズムや「新しい歴史学」からの批判を知らないのかという批判を浴びそうだが、それは別問題である(3))。これとは対照的に、大澤著の叙述は時間・空間を自由自在に行き来しており、個別性への執着がほとんどない。個々の事例について論じる際に、一、二冊の二次文献だけをもとに対象のイメージを形成しているような個所も珍しくない。「固有名」は多くても「固有性」が欠けているという私の印象は、ここに由来する。取り上げられた事例がどのような意味で当該問題にとって代表的なのかということの検討も、ほとんどなされていない。そんなことはどうでもいいから、とにかくたくさんの「固有名」を自分の理論図式の中にとりこみ、位置づけること――これが大澤の問題意識であるようにみえる。金太郎飴的に繰り返される「第三者の審級」その他の用語は、どのような事例についても適用できる打ち出の小槌、あるいはヘーゲルの「絶対精神」のようなものであり、森羅万象がこの理論体系の中に位置づけられるという具合になっているように見える。あまりにも多くのものを説明する図式は、そのことによってかえって無内容になってしまうのではないかと私などには思えるのだが、理論社会学にとっては、できるだけ多くのものを説明してしまいたいという欲求が作用するのだろうか。
 
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 ともかく第一部から検討していこう。既に述べたように、古典的ナショナリズムを主題とするこの部分は、本書の中では比較的分かりやすい。もっとも、ここでの主たる関心の対象はネーションないしナショナリズムそれ自体なのではなく、「近代社会固有の存在としてのネーション」という把握を前提に、ネーション/ナショナリズムを生み出した近代社会とはどういう社会か、その構造、その生成過程などを一般論的に論じることに主たる狙いがあるように思われる。一言で言って、本書はナショナリズム論というよりは、理論社会学の応用問題としての近代社会論の書物ではないかと思われてならない。
 考察の素材としては、様々なネーション/ナショナリズム論が取り上げられているが、中でも圧倒的に大きな位置を占めているのはベネディクト・アンダーソンの所説である。といっても、単純にアンダーソン説を引き継ぐというのではなく、それを批判的に再検討し、再解釈したり、補足したりするという作業が行なわれているが、そうした作業が重視されていること自体、アンダーソンが重要な出発点となっていることを物語る。たとえば第T章における問題設定はほぼ忠実にアンダーソンをなぞっているし、第W章で俗語による出版、官僚の「巡礼の旅」、公定ナショナリズムの三側面からナショナリズムを特徴づけているのも、議論の型としてアンダーソンと同じである。ただ、その内容および解釈においてアンダーソンでは不十分だとして、一定の修正を施して自己の理論社会学体系の中に位置づけ直そうとする点に大澤の独自性がある。ついでにいえば、第一部ではエスニシティの問題にはほとんど触れられていない――エスニシティは第二部で出てくる――が、これもアンダーソンの『想像の共同体』がネーション論であってエスニシティ論でない(彼の後の著作『比較の亡霊』では、この点が自己批判されて、エスニシティが重視されている)ことと関係しているのではないかと思われる。
 本書と私自身の研究との接点は僅かではあるが皆無ではないと先に書いたが、そうした接点については、特に取り出して考えてみる必要があるだろう。一つには、「ネーション成立より前の帝国」と「ネーション以降の帝国」との相違という論点がある(二九二‐二九三頁)。現代まで視野に入れた第二部では、ネーション以前/同時/以降という三区分になっている(四四六‐四四七頁)。これは私の言葉で言えば、「国民国家」観念成立以前の帝国(前近代の帝国)と「近代帝国主義」の区別――これにごく最近の「新しい帝国」を加えれば三区分となる――に相当する(4)。もっとも、私の場合はこれらそれぞれの歴史的個性に関心があるのに対し、大澤の場合は、それらを壮大な統一的理論図式の中に位置づけることに関心があるようで、関心の方向性が違っている。
 別の論点だが、旧宗主国の言語が旧植民地の国語として採用されるのは「世界中どこでも見られるきわめて一般的な現象」だという指摘がある(三四一‐三四二頁)。これは言語政策を研究テーマの一つとする私の関心を引く論点であり、多少立ち入って検討するに値する。
 いま引いた大澤の文章は、「一般的」という言葉を緩やかな意味で受けとるなら妥当な指摘といえるが、ここでの「一般的」とは、前後の文脈からして、「普遍的」に近い、より強い意味をもたされているのではないかという風にも受け取れる。もしそうなら、旧宗主国の言語が「旧植民地の国語として採用されている」というのは、いくつかの事例があるにしても、それほど一般性をもつ現象ではないといわなくてはならない。
 おそらくこれが最もよく当てはまるのは、ラテンアメリカ諸国におけるスペイン語(およびポルトガル語)だろう(大澤はこの点に二六五頁で触れ、それを三四一‐三四二頁では一般化して受けている)。それは、これら諸国の国家建設を担ったのが先住民ではなく、イベリア半島から移住してきた人たちの子孫――生まれも活躍範囲も現地に限られているが、母語はスペイン語ないしポルトガル語――だったという事情による。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダにおける英語(ケベックの場合はフランス語)についても同様である。しかし、これら以外の旧植民地諸国について同様のことをいうことはできない。
 フィリピンの場合、確かにホセ・リサールはその小説をスペイン語で書いた。しかし、その後のアメリカ支配が英語を優越的なものにしたため、いまでは大多数のフィリピン人はスペイン語を知らず、そのため、リサールの小説も原語では読めないものになっている(5)。そして、法的には、タガログ語を基礎として形成されたフィリピノ語(かつての呼称はピリピノ語)が公用語とされている。インドの場合、連邦全体としては多言語的であるために英語を共通の公用語として残さざるを得ない状況が続いているが、それは妥協としてであり、公式にはヒンディー語を「国語」(国家語あるいは国民語)とすることが目指されており、また州ごとにもそれぞれの公用語がある(6)。こうして、フィリピンでもインドでも、スペイン語も英語も「国語」として位置づけられているわけではない。インドネシアの場合、もともとオランダ語があまり広められなかったせいもあり、マレー語から創り出された「インドネシア語」が多言語社会統合の核と位置づけられている。その他、事実として旧宗主国の言語が優越的である旧植民地は珍しくないが、それはどちらかといえば「やむを得ざる事情」と意識されており、「ナショナリズム」の観点からは、現地の言葉――その中から選ばれたあるヴァリアントを元に、近代社会での利用に適するような加工を施されたもの――に基づく新しい「国語」(国家語あるいは国民語)の形成と普及が目指されることが多い。その成功度には個別の事情による差があり、新しい「国語」の普及と定着はしばしば多くの困難をかかえるが、ともかくナショナリズムの論理は旧宗主国の言語を無条件に「国語」とすることを正当化しているわけではない(念のためにいえば、ここで問題にしているのはあくまでも言語についてであって、西欧起源の様々な観念や制度の輸入は別問題である)。この問題に関する大澤の議論は、南北アメリカやオセアニアのような新大陸(移民国家)におけるネーション形成とその他の地域におけるネーション形成の差異を無視して、前者を性急に一般化したものになっている。アンダーソンがラテンアメリカに着目したのは、旧大陸中心のこれまでの議論では摘出できない論点を発掘するためだったが、それを直ちに一般論として受けとめてしまうなら、古典的ナショナリズム論の欠落を正そうとして逆の極端に行き着いてしまう。
 もう一つ、これは第一部よりも第二部の方で主に論じられている点だが、多文化主義に対する批判を取り上げてみたい。大澤は「普通は、偏狭なナショナリズムに対抗していると見なされている、リベラルな寛容」の「代表例」として多文化主義を取り上げ、「多文化主義はまことに結構な思想であって、非の打ち所がないということになるのか?」という問いを出している。そして、多文化主義が主唱する諸文化の平等と相互尊重は、実際には、アパルトヘイトとほとんど同じことになってしまう、「多文化主義を理論的に純化していけば、ある種の極端なナショナリズムを信奉する最も過酷な差別を、完全な平等として、ありがたがって受け取ることが求められることになるのだ」と批判している。「多文化主義の狡猾さ」「その欺瞞は一層深い」といった言葉もある(三一、四五五‐四五七、五七五‐五八三頁など)
 多文化主義が「まことに結構な思想であって、非の打ち所がない」などという代物でないという点では、私も同意見である(7)(「狡猾」「欺瞞」といった言葉づかいは事態をカリカチュア化して描き出し、議論を浅いものにしているのではないかという気もするが)。だが、これはそれほど大げさに言い立てるほどのことだろうか。確かに、一部には、多文化主義を非常に高く評価する人たちもおり、そうした人たちに対する一種の解毒剤としては、この議論はある程度有効だろう。しかし、「多文化主義さえ広まれば万事解決」というお目出たい人々がそれほど圧倒的であるようには思われないし、多文化主義に対する批判的検討も、これ以前に絶無であるわけではない。むしろ文化人類学者(民族学者)たちの間では、そうした認識はかなり一般化しつつあるのではないだろうか(8)。この点に関する大澤の記述は、結論自体は同感できるにしても、やや不必要に力みすぎているという印象を受ける。
 
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 私の研究と接点をもつもう一つの論点は、シヴィック・ナショナリズムとエスニック・ナショナリズムの二分法に対する批判(三六四‐三六九頁)である。これは重要な問題で、やや立ち入って検討するに値する。最初に確認しておかねばならないのは、この二分法に対して批判的という点では私も大澤と立場を同じくするということである(9)。しかし、その結論をどのように導き、どのような含意をもたせるかという点について考えていくと、いくつかの疑問が出てくる。
 その一つは研究史の理解に関わる。先ず大澤はロジャース・ブルーベーカーを「コーンに正確に従って」と特徴づけ、シヴィック・ナショナリズムは同化主義的、エスニック・ナショナリズムは差別(差異)主義的なものになるという個所に「ブルーベーカーによれば――、必然的に」という言葉を添えている(三六五頁)。しかし、私の理解では、ブルーベーカーの『フランスとドイツの国籍とネーション』は、確かに独仏両国を対比的に描いているとはいえ、単純な二分法に陥るのを避け、対比の説明要因に関して多次元的であり、歴史的可変性の要素も含んでいる(10)。しかも、彼は後の論文(大澤著の文献一覧にも載っている)で、シヴィック・ナショナリズムとエスニック・ナショナリズムの二分法に対する鋭い異論を提起しており、彼の議論は到底この二分法の枠には収まらない(11)
 他方、大澤はアンソニー・スミスは二分法を「硬直的な地政学的区分として使用することを批判している」という点に注目して、自説により近いとしているが(三六八頁)、これについても疑問がある。スミスの『ネイションとエスニシティ』は、小さな留保を伴っているとはいえ、基本的に「西」=領域的・市民的モデル、「東」=エスニックなモデルという二分法図式を提出したものである(12)。同じスミスが数年後に書いた『ナショナリズムの生命力』では留保がもう少し詳しく展開されているが(13)、前後の文脈を見ると、これは二分法が過度に図式主義的になるのを避けるために付けた軽い断わり書きに過ぎず、基本構図そのものを変更するようなものではない。実際、この留保に続く個所には、「このような批判にもかかわらず、ナショナリズムのイデオロギーを、より合理的なものとより有機的なものとに分けるコーンの哲学的な区別は有用である。……〔レッテルは注意深く取り扱わねばならないという留保〕にもかかわらず、概念上の区別から重要な結果が得られる。市民的・領域的なネイション・モデルは、ある種のナショナリズム運動を生み出す傾向がある。……他方、エスニック的・系譜的なネイション・モデルは、独立以前は分離主義的あるいはディアスポラ的な運動を、独立以後は領土回復主義あるいは「汎」運動を生み出す傾向がある。この類型論では両者が混合している事例はもちろん、多数の亜変種を無視することになるかもしれない。しかし私は、これによって多くのナショナリズムの基本的論理が捉えられると考えている。……これを土台として、エスニック・ナショナリズムと領域的ナショナリズムとのあいだの区別を中心に、ナショナリズムを暫定的に類型化することにしよう」と書かれている(14)。これはまさしくシヴィック/エスニック二元論そのものである。実をいえば、二分法の祖と通常みなされているハンス・コーンにしても、後世の論者が往々にしてカリカチュアライズして描き出したほど安直な図式だけで満足しているわけではなく、もう少しニュアンスに富んだ議論を出していた(15)。とすれば、スミスはコーンを殊更に図式主義的に描き出すことで自らとコーンを分かってみせながら、実際には二分論を基本線で維持しているのであって、彼がコーンを超えたというのは過大評価であるように思われる。むしろ、先に挙げたブルーベーカー論文の方がより明確に二分法図式を批判しているのであって(16)、どうも大澤のブルーベーカーおよびスミスに対する評価はうなずけない。
 もっとも、大澤は『ナショナリズム論の名著50』収録のスミス論では、もう少しスミスに対して辛い評価をしていた。そこには、スミスは原初主義と近代主義の対立を克服すると称するが実際は「両説の折衷的な妥協案」に過ぎないとの批判がある(17)。そして、スミスの結論には同調できないと明言した上で、彼の議論を生かすためには、その説明を「総体として反転」させる――あるいは「逆立ち」にさせる――べきだと主張している(18)。「反転」とか「逆立ち」という比喩的表現で何を言わんとするのか十分読みとれないが、この点を掘り下げるなら面白い方向に発展する可能性があるようには思える。ところが、本書ではこの論点が展開されておらず、わりとあっさりとスミスに同調してしまっている観がある。私見を差し挟むなら、スミスの師に当たるゲルナーがやや単純な「近代主義」に傾きすぎたのに対し、スミスがそれに修正を施して歴史的要素を持ち込もうとした意図は共鳴することができるが、スミスの修正はあまり成功しているとは思えない。このようにゲルナーとスミスの双方に批判的だという限りで、おそらく大澤と私はある程度似たところがあるのではないかと思うが、本書のスミスに関する記述は前著における短い示唆を特に発展させてはおらず、スミスをどのように「反転」ないし「逆立ち」させて発展させようというのかは不明なままである。
 シヴィック/エスニックの二分法に関しては、もう一人マイケル・イグナティエフの名が挙げられることがよくある。本書の六四七頁にも、イグナティエフの名前が「シヴィック・ナショナリズム」論者として挙げられている。確かにイグナティエフは、『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』付論の「帰属の政治学」や『民族はなぜ殺し合うのか』(原題 Blood and Belonging)の序で、「市民ナショナリズム」と「民族ナショナリズム」の対比をしている(19)。こうした個所だけをそのまま読むと、彼が二分法の代表的論者と見なされるのも当然のように思える。しかし、彼の一筋縄でいかないところは、それとはかなり異なった方向性を示唆する記述も同時に行なっている点にある。たとえば同じ『民族はなぜ殺し合うのか』には次のような個所がある。
 
「民族ナショナリズムのうねりに対し、世界の、ことに英国のコスモポリタンたちは、とんでもないうぬぼれを抱いてはいないだろうか。自分たち以外はみな狂信的で、自分たち以外はみなナショナリストだといううぬぼれを(20)」。
 
 ここでイグナティエフ論を展開している余裕はないが(21)、一面では思想史家として出発し、哲学的理論に深い関心をもちつつも、他面では、現代世界のアクチュアルな問題に引きつけられ、時として理論的考察からかけ離れた熱い感情論をほとばしらせるという両義性が彼を特徴づけている。こうした両義性は理論整合性の欠如につながることもあるが、他面では、そのおかげで過度の図式主義から免れさせることにもなる。イグナティエフの面白いところはそういった不整合性にこそあるように、私には思われる。ナショナリズム論に関しても、一見したところ単純なシヴィック/エスニック二分論を出していながら、他面でそれにおさまりきらない観察を示してもいるという点こそがむしろ注目される。大澤に限らず、この点を見落としたまま、彼を二分法論者という整理だけで片づける人が多いのは、せっかくの面白さを読み落とすことになるのではなかろうか。
 以上、研究史理解にこだわって論じてきたが、次に大澤自身の積極的主張について見てみよう。この問題に関する結論的な部分で、大澤は次のように書いている。
 
「シヴィック・ナショナリズムは、ナショナリズムの普遍主義的局面を、エスニック・ナショナリズムは、ナショナリズムの特殊主義的局面を、それぞれ抽離したものにほかなるまい。ナショナリズムの謎は、この両局面の独特の交錯にこそある。これらを分離して、――理念的には排他的でありうるような――二類型に仕立てあげることは、ナショナリズムのこの中核的な謎への視野を失うことを意味する。……両者は異なるものではない。両者が同じであることにこそ、謎がある」(三六九頁)
 
 この指摘には、それ自体としては共感することができる。だが、同時に、あまりにも抽象的であるように感じる。また「同じ」であるはずのものがどうして「排他的」であるかのように立ち現われるかの解明も、ここにはない。
 私見を述べるなら、フランスのナショナリズムは、自己意識としては――そしてまた多くの論者の見解でも――シヴィック・ナショナリズムの典型とされているが、実は、背後にエスニック・ナショナリズムの要素を隠しもっている。他方、旧ユーゴスラヴィア諸国のナショナリズムは、大多数の西欧の論者からエスニック・ナショナリズムの典型というレッテルを貼られているが、実は、当事者たちが西欧のシヴィック・ナショナリズムに憧れ、それを模倣しようとして行動したことの結果的所産とみるべきである。このように考えるなら、「フランスはシヴィック・ナショナリズム、旧ユーゴスラヴィアはエスニック・ナショナリズム」という通説的二分法が維持できないことは明らかだが、だからといって、「両者は異なるものではない。両者は実は同じなのだ」というだけでも、片がつくわけではない。実際には正しくないのに、あたかもフランスがシヴィック・ナショナリズムの典型であるかのように見え、旧ユーゴスラヴィアがエスニック・ナショナリズムの典型であるかのように見えるのはどうしてなのか、という点をこそ問わねばならない(22)。しかし、大澤著にはそうした問題意識は見当たらない。
 その上、別の個所で大澤は、西方キリスト教圏と東方キリスト教圏(およびイスラーム圏)の違いを強調し、そのことをもって、古典的ナショナリズムの理想が西欧でのみ成功した理由としているが(三三三‐三四〇頁)、これは実質上、「西のナショナリズム」と「東のナショナリズム」という二分法の再来になってしまっている。宗教的伝統は確かに一つの重要な要因ではあるが、そのことをもって各国のネーション形成の特徴を理論づけてしまうことは、固定的な二分法の安易さを再現してしまうのではなかろうか。
 
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 先にも述べたように、本書第一部は大きな枠組みとしてアンダーソンを出発点とした部分がかなりの比重を占めているが、それだけにおさまらない部分としては、独自の資本主義論がある。これは既成のマルクス主義とは相当異質であるにしても、マルクス的な発想の型を一つの重要な準拠枠としていることは明らかである。たとえば、「剰余価値」に関する三一九‐三二二頁の叙述は、重要な点でマルクスから離反した結論を出しているが、議論の型は――「剰余価値」という用語を含めて――マルクスそのものである。「近代化」とか「市場経済」という用語を使う代わりに、「資本主義」という概念にこだわること自体、マルクス的理論の系譜の影響を物語っている。予告編でネグリとハートの著書を取り上げ、その批判的検討から議論を始めていることも、「並みのマルクス主義」には満足しないが、広い意味でその系譜の理論に執着するという態度を物語っている(更にいえば、アンダーソンにしても、「マルクス主義者」という枠で論じられることはあまりないが、広い意味ではその系譜に属している)。
 こういうわけで、大澤の議論は、通常「マルクス主義」という言葉で思い浮かべられがちなものとは大きく異なっているものの、理論史的にいえば、その系譜の中に自覚的に位置し、その独自な発展を図ったものという性格を帯びている。そのこと自体は決して批判されるべきことではない。それどころか、猫も杓子も「市場経済」について語り、マルクスについては全面的に忘れ去ったようなふりをしている今日の風潮の中では、これは勇気ある態度であり、貴重だと私は思う。
 ただ不思議なのは、そのようにマルクスと「資本主義」にこだわる著者が、これほど広汎な主題を扱った本書の中で社会主義についてほとんど触れていないことである。「資本主義を超える」ことを掲げながら、それを達成しなかった「現存した社会主義」という歴史的経験についての、このような無関心は何を物語るのだろうか。問いに答えられないというだけならまだしも、そもそも問いを立てようという姿勢さえ感じられない。私自身が「現存した社会主義」を研究対象としていることから(23)、これは一種の我田引水、無い物ねだりと言われるかもしれない。しかし、「資本主義」という用語を避けて「近代化」とか「市場経済」という用語を専ら使う人ならいざ知らず、論の中心を「資本主義」ということにおいている人が、それと表裏一体の関係にある「社会主義」については無関心でいるというのは、どうにも理解しがたい。
 本書の中でソ連をはじめとする旧社会主義諸国に触れた個所は極小だが、そうした中で稀にソ連に言及した個所では、次のように書かれている。
 
「ボリシェビキの政治と行政は、ロシア民族主義(ナショナリズム)に貫かれていた。たとえば、党の要職は、ロシア人によって独占されており、タタール人を初めとするムスリムには開かれていなかった」(五九頁)
 
 これは世間一般に通俗的に広まったソ連イメージをそのままなぞった感じの記述である。このようにいうと、「いやそうではない。世間一般ではボリシェヴィキはロシア・ナショナリズムを克服し、諸民族の平等を達成したと考えられてきたので、そうした通説に対して果敢に挑戦したのだ」という風に受け取る人がいるかもしれない。だが、そのようなソ連の公式見解が日本で広く受容されていたのは、今から数十年前の話である。はるかな昔、ソ連公式イデオロギー賛美論が主流だった時代があったことは歴史的事実だが、そのような古くさいものを今頃批判しても、さしたる意味はない。ソ連公式イデオロギーに批判的な立場からの研究は、一九五六年のスターリン批判とハンガリー事件――いまから半世紀以上も前のことである――に始まり、中ソ対立、プラハの春(一九六八年)、ソルジェニツィンの一連の著作発表と国外追放、アフガニスタン侵攻、ポーランド「連帯」運動と戒厳令等々といった世界史の流れの中で着実に増大してきた(24)。その中で、ソ連公式イデオロギーの威信は一九六〇‐八〇年代を通じて低下し、ソ連に関する批判的な見解は――イデオロギーや社会体制全般についてであれ、民族政策についてであれ――ソ連解体を待つまでもなく常識化、いや陳腐化さえしていた。もっとも、いま述べたような専門家の間の研究動向に比して、非専門家の間での受けとめ方の変化には大きなタイムラグがあり、ソ連解体を機に「ソ連公式見解は嘘の塊だった」という考えが一挙に大量現象化した。それは時代状況を考えれば無理からぬことではあるが、一つの極論から他の極論に走る類の安易かつ皮相なものであり、まともな研究者のとる態度ではない。そして、一九九〇年代以降の、より新しい研究は、過去の研究蓄積を踏まえつつ、それだけにはとどまらない見地を多面的に提出しつつあるのであって、そこにおいては、右に引用した大澤のような通俗的見解はまさしく克服の対象となっている(25)
 著者がさしたる関心をもつことなく軽く触れただけの事項について、わざわざ批判するのは無用のことかもしれない。ただ、この程度のお粗末な認識で満足しているのは、およそ本気でソ連なり社会主義に取り組もうとする気がないことを物語っているということだけは言っておかねばならない。そのことと「資本主義」への執拗な関心とは一体どういう関係にあるのだろうかという疑問は大きな謎として残る。
 
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 これまで主に第一部について検討してきたが、そろそろ第二部の検討に移ろう。予告編の記述からは、第二部こそが本書の中心部分――第一部はそれを理解するための前提という位置づけ――という風に受け取れる。それだけ重要なパートであるはずなのだが、論が錯綜していて、本筋を読みとるのが難しい。
 もっとも、いくつかの主要な個所に注目するなら、話の道筋をある程度理解することができないわけではない。予告編で大澤はネグリ=ハートの『〈帝国〉』を重要な出発点とし、その大きな欠落は、グローバルな資本主義の時代にナショナリズムの嵐が吹き荒れているのはなぜなのかという問いにあると述べている。この問いに答えるためには、「国民(ネーション)」という単位に有意味性を与える条件のあった「古典的ナショナリズム」の時代と違い、そうした条件の失われた二〇世紀末以降に高まっている「現代的ナショナリズム」の性質について考えねばならない、というのが予告編の問題提起だと受け取ることができる。
 第二部の冒頭はこの問題提起をうける形で、資本主義の展開の果てにナショナリズムは無意味なものになるだろうという多くの人の予想は裏切られた、それはなぜか、という問いを提出している(四三九頁)。それほど多くの人が「ナショナリズムは無意味となる」と予想していたのかどうかにも疑問の余地はあるが、その点は今はおくことにする。ともかく、このような前提に立てば、現代は「ナショナリズムの最後の波」よりももっと後の時代のはずなのに、実際には「最後のさらに後」の波が現われているということになる。大澤はこれを「ナショナリズムの最後・後の波」と名付け、「人が民族の差異に拘泥することの社会的な必然性がまったくなくなってしまったかのように見えるまさにそのときに、つまり、民族の差異が完全に瑣末なものに転じてしまったかのように見えるまさにそのときに、現れている」と説明する(四四二頁、原文では全体が太字で強調されている)
 この問題意識は重要であり、私も基本的には共感する(もっとも、やや極端に図式化されているのではないかという疑問もあるが、それはさておくことにする)。問題は、ここから先どのように論を展開するかにある。
 大澤の議論は次のようなものである。産業化のある段階においては、「ネーションという文化的単位」を同時に政治的な単位として分立させておくことに、経済に即した機能的な価値があった。交流密度の高い良質な市場をつくり出すための「公共財」の投資範囲として、ネーションの範囲が最も効率的だった。主要なメディアたる印刷メディアが情報を収集し、また発信することができた領域は、主としてネーションの範囲だった。人の移動に関しても、たとえば鉄道のような交通機関はネーションの内部の移動に有利だった。しかし、これらの条件は二〇世紀末以降、全て失われている。この現代的ナショナリズムは一九世紀的ナショナリズムと違って、一方では、国民‐国家を民族(エスニシティ)という、共同性のより細かい単位へと分解していく運動としてあらわれ、他方では、国民‐国家を、インターナショナルなより大きな政治単位のうちに解消していこうとする指向性と連動している(四四二‐‐四四五頁)
 この説明は大筋としては一応当たっているように思える。だが、よく考えてみると、いくつかの疑問が浮かぶ。右の説明は、あたかも「ネーションという文化的単位」が固定的なものとしてあって、それと政治的単位(国家)との合致が合理的だったり、そうでなくなったりする、という風に読める。そして古典的には合致していたものが、現代的にはより小さな方向とより大きな方向とに引き裂かれている、というのが論旨であるように読める。しかし、「ネーションという文化的単位」自体が、実際には様々な線引きを許容し、より小さい方向にもより大きな方向にも変化しうるものである。口語としては無限に多様である俗語を文章語化する際に、どのような範囲で「標準形」を設定するかには様々な選択の余地があるし、一旦ある範囲で文章語規範が確立した後でも、それと政治的単位をどのように合致させるかにはいくつかのヴァリエーションがあった。一八七一年のドイツ統一は、抽象的可能性としていえば、より小さな単位(プロイセンとかバイエルンとか)で落着することもあり得れば、より大きな単位(オーストリアやスイスのドイツ語圏まで含んで)になることもありうる中での一つの選択だったことはいうまでもない。
 鉄道、河川交通、電信網等にしても、それらがどういう範囲でどういう風に引かれるかは、「国民国家の時代だったから」ということで一義的に決まるものではなく、それらをどのように引くかをめぐって複雑な国際関係が展開された(今日では、これに航空宇宙産業、石油やガスのパイプライン、電気通信回線等々が加わるだろう)。ある範囲での交通通信手段の発達がその領域内のコミュニケーション密度をその外部との間よりも濃密なものにし、「国民国家」形成の重要な条件となったのは事実だが、他面では、それらが国境を超えて広がるという現象も一九世紀末‐二〇世紀初頭の段階で既に見られ、それがアンダーソンのいう「初期グローバル化(26)」を可能にした。これらのことは大澤も事実としては十分承知しているだろうが、先の説明では、これらの可変性・流動性が表に現われていない。むしろ、一九世紀‐二〇世紀前半にはある地理的範囲が「文化的単位」「経済的単位」「政治的単位」として調和的に存在したかのような表現になっている。
 「予定調和」という言葉があるが、ここでの大澤の議論はその逆で、いわば「過去調和」的――現代には調和がないが、過去にはそれがあったはずだ――になっている。かつてあった「均衡」が今では破れたというのだが、かつて「均衡」があったように見えるのはあくまでも今日から振り返ってみてのことで、当時の状況を歴史に即して考えるなら、やはり特殊主義と普遍主義という相反する方向を目指す複数のヴェクトルが同時的に存在し、それらがせめぎ合い、どこに「均衡」があるかが不確定なままに、様々な「あり得べき調和的関係の候補」の間の模索と闘争が繰り返されていたはずである。おそらく第二部における大澤の主要な関心が現代にあり、歴史に関しては現状を引っ繰り返して過去に投影する形で論じていることが、このような印象を与える要因ではないかと思うが、歴史自体に関心をもつ立場からは、このような議論は現実から遊離しているように思われてならない。
 関連して、ここでは、「エスニシティ=民族(27)」という概念が、「国民‐国家」よりも小さな単位として定義されている(四四四‐四四五頁)。しかし、これも、ネーションを固定的に考えるから、エスニシティが「それよりも小さい」ものと映るのではないだろうか。ネーションにしろエスニシティにしろ、様々な線引きによって様々な単位で形成される可能性があるのであって、両者の大小関係は、エスニシティがネーションより小さい場合もあれば、一致するとみなされる場合もありうる(アメリカではネーションより小さい単位がエスニシティだという理解が一般的だが、これはむしろアメリカ的特殊性であって、一般性を主張できることではない)。あるネーションの中の小単位とみなされていたエスニシティが「われわれこそネーションだ」と主張することもあり、その運動が強まればそれが「ネーション」とみなされるようになる。こうした流動性・多義性を無視して、エスニシティを「ネーションよりも小さな単位」と断定するのは、無意識のうちにもせよ、既存のネーションの範囲を固定的なものとみなしてしまっているからではないだろうか。
 「普遍主義と特殊主義の二つの傾向の交錯と接合」「特殊主義と普遍主義という背反する方向を目指す二つのベクトル」という指摘(四五一、四五二頁)は重要であり、共感するところが大きい。しかし、この構造それ自体は、一九‐二〇世紀の古典的ナショナリズムの時代と、二〇世紀末以降の新しいナショナリズムとに共通している。後者に新しい点があるとしたら、それは、普遍的・グローバルな方向への傾斜が技術的要因から格段に強まったこと、それと同時に、そのことに対する特殊主義的な反撥もまた強まっているという状況にある。このような私見と大澤の議論とは重なりあうようにも見えるが、大澤は古典的ナショナリズムの時代における「均衡」の存在をやや誇張しているのではないか――先に書いた「過去調和」的発想――という疑問もぬぐえない。
 
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 いま述べたような疑問はあるが、とにかく大澤は、もはや客観的条件がなくなったにもかかわらず逆説的に強まっている現代的ナショナリズムの成立メカニズムを、独自の論理で解明しようとしている。その柱をなすのは、「アイロニカルな没入」という論点である(予告編の四〇頁以下および第二部の四五二頁以下)。大澤によれば、現代のナショナリズムはもはやネーションを物神崇拝するが故のものではない。ゴミがゴミでありながら芸術でありうる(本書冒頭に言及されたマルセル・デュシャンの現代芸術の例)のと同じように、今日のナショナリズムはかつてのような自明性・絶対性をもたず、いわばゴミのようなものだが、だからといって無力なわけではない、というわけである。
 「アイロニカルな没入」という概念はそれ自体としては大変興味深い指摘であり、いろんなことを考えさせる。ただ、これはナショナリズムに限られず、その他の様々な事柄について当てはまる観点であり、殊更に「ナショナリズム論」とされる必然性はないのではなかろうか。デュシャンの例(購入した男性便器を「泉」と題して現代芸術展に提出した)が冒頭におかれているのは、大澤の意図としては現代ナショナリズムを説明する手がかりという位置づけのようだが、読む者としては、むしろこれはナショナリズムに関わらない多種多様な事柄を説明する概念だという気がしてくる。「ナショナリズムもまたその一例だ」という例示に挙げることはできるにしても、他ならぬナショナリズムに固有な話ではないように思われる。
 第二部の最後近くでは、ろう者共同体が「民族である」とされた上で、それ以外にも、自身を民族や部族に類比させている集団は少なくないとして、ゲイ・コミュニティ、没頭しているオタク的趣味によって連帯する共同体、何らかのアディクション(薬物などの中毒)を媒介にしたセルフヘルプ・グループなどが挙げられている。これらはいずれも作為性・媒介性と自然性・直接性の交錯を特徴としており、作為性・媒介性に注目すればアイロニカルな距離をとっていると見なすことができるが、自然性・自明性に注目すれば、人はその性質を宿命のように受けとっているということで、ここでも「アイロニカルな没入」という概念が有用だとされる(六三一‐六三二頁)
 ここで取り上げられている様々な事例は、それ自体としては興味深い着眼だと思う。しかし、挙げられている具体例に即して考えるなら、オタク共同体は自己の趣味に「アイロニカルな距離をとっている」と見なせるにしても、ろう者たちが自己のろう者性に「アイロニカルな距離をとっている」と見なせるだろうかという疑問が湧く。薬物中毒から脱却しようと必死になっている人たちの集団も、そのような自己のあり方に「アイロニカルな距離をとっている」とはあまり思えない。ここに列挙された例は、伝統的には民族と見なされてこなかった集団が自己を民族に類比させていることがある――あくまでも「そういうこともある」ということであって、「必ずそうだ」ということではないと思うが――という限りで共通するかもしれないが、それを「アイロニカルな没入」で括れるかは疑問である。
 いってみれば、この「アイロニカルな没入」という観点は、現代ナショナリズムの説明にとって、ある意味では過小であり、ある意味で過剰である。「過小」というのは、現代ナショナリズムのうちこの観点で説明されるのは一部だけ――最もよく当てはまるのは、おそらく現代日本の「ぷち・ナショナリズム」(大澤の表現では「J‐回帰」現象)だろう――であり、それとは大きく異なったナショナリズムもあるからだが、「過剰」だというのは、この観点はナショナリズム論を離れて、他のいろいろな現象について適用可能だからである。デュシャンの作品とかオタク共同体などは、ナショナリズムとは異なった文脈で「アイロニカルな没入」という概念が効果を発揮する例だろう。とすれば、本書はナショナリズム論として書かれるのではなく、むしろ「アイロニカルな没入」論として書かれた方がずっとスッキリしたのではないかと思われる。
 これと同じような感想は、本書刊行の少し後に大澤が『朝日新聞』に寄稿した論考についても感じる(28)。その論考で大澤は「表の規範」と「裏の(反)規範」という観点を呈示し、たとえば学校における校則(表の規範)に対し、むしろそれを破るような仲間集団の裏ルールの方が個々の生徒にとっては大きな意味をもっていると指摘する。そして、今日のナショナリズムも、「人権」のような「表の規範」の偽善性を暴く「裏の(反)規範」に見立てられる、というのである。
 この論自体は重要な点を衝いており、共感するところが大きい。近年強まった風潮――そのものとしては以前からあったにしても、近年になって一段と強まったように感じられる――として、「人権」とか「差別はよくない」とか「弱者の権利擁護」といった言葉が、「空しい言葉」「偽善」「鬱陶しくて抑圧的な旧世代知識人のお説教」という風に受け取られ、それらをひっくりかえす言説が「本音」として快哉を博する――大澤の文章にある表現を借りるなら「妖しい魅力を発する」――という傾向があるように思われる。このような傾向に対して、いくら「それはよくない」ということを理性的に説いても、それ自体が「表の規範」でしかないために、「空しい言葉」「偽善」「鬱陶しくて抑圧的な旧世代知識人のお説教」というステレオタイプを再生産し、ますます「裏の(反)規範」の側からの反撥を強める、という悪循環状況があるように思われる(29)。私自身がこの間、こういうことを考えていたので、大澤のこの問題提起には共感を惜しまない。だが、この論点もやはりナショナリズム論という文脈では、一面で過小――現代日本の青年層を念頭におくなら確かに妥当だが、それ以外の様々な事例を広く念頭におくなら、あまり当てはまらないケースが多い――であり、他面で過剰――ナショナリズム以外の様々な現象について広く当てはまる――だと思われてならない。大澤自身が説明に使った学校の校則と「非行」の関係にせよ、フェミニズム・バッシングとか、「人権派」叩きとか、各種差別反対運動へのバックラッシュなど、どれもナショナリズム論とは別個の文脈で、この概念が有用性を発揮する例だろう。
 こういうわけで、「アイロニカルな没入」論にせよ、「表の規範と裏の(反)規範」論にせよ、それ自体としてみれば大変興味深い議論なのだが、ナショナリズム論という文脈で展開されると、どうしても「一面で過小、他面で過剰」という印象がつきまとい、もう少し違った文脈で展開した方がよかったのではないかという風に思われてならない。この読書ノートの前の方で、「これはナショナリズムの本ではないのではないか」と書いたが、それはこうした感想とも関係している。
 
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 これまで記してきたような不満はあるが、それでも第二部のはじめの方と最後のあたりはある種の対応関係があり、予告編とも呼応して、それなりの話の筋をつかむことができる。これに対して、その中間の部分――その多くがクレオール、サバルタン、「在日」文学者等にあてられている――は、個別テーマとしては面白いが、全体の中での位置づけがよくつかめない。時期としても、二〇世紀末以降の現代的現象ではなく、二〇世紀中葉にさかのぼっているし、話題としても、通常の意味でのナショナリズム論が主として取り上げる事項からは隔たっている。著書の頭の中では、これがナショナリズム論(それも二〇世紀末以降の)の重要な一角をなすようだが、どうしてそのように言えるのかが、少なくとも私には十分飲み込めない。そのため、これらの点に関わる私の感想も、全体の骨格を離れた断片的なものとならざるを得ない。
 とりあえず、「サバルタンは語らない」という論点(四八一頁以下)について考えてみよう。サバルタン論はここ十年ほど一種の流行となっており、多くの人によって論じられている。それに大澤が関心を寄せるのも分からないではない。だが、どうしてこの問題がナショナリズム論のテーマになるのかは、少なくとも自明ではない。「サバルタン」とは、いうまでもなく「従属者」というほどの意味の言葉であって、ネーションとかエスニシティと直接関わっているわけではない。元来インド史の文脈で提起されたという意味では植民地主義の問題とある程度関わっているが、それが流行語化したのは元来の文脈を離れた一般化がなされたからであり、その一般化はどちらかといえばジェンダー論・テキスト論・歴史認識論などに関わっていて、ナショナリズム論とのかかわりはむしろ希薄なのではないだろうか。
 それはともかく、大澤がこの問題――主に参照されているのは、インドにおけるサティ(寡婦殉死)の風習をめぐるガヤトリ・スピヴァクの議論である――に、どのように迫っているかを見てみよう。
 
「この慣習〔寡婦殉死〕の禁止に対して、論理的に可能な言明は、次の二つであるように見える。@『白人(男性)が茶色の男たち(インド人男性)から茶色の女たち(インド人女性)を救った』という言明と、A『女たちは本当に死ぬことを欲していた』という言明である。……/二つの命題によって、論理の空間は尽くされているように見える……。つまり、二つの命題の和は、十分に包括的で普遍的なものに見えるのだ」(四八二‐四八三頁)
「この二言明〔右の引用文における@Aと同じもの〕は、相互に排他的であると同時に、論理的に可能なケースを尽くしているように見える。……矛盾律と排中律にしたがう通常の論理を前提にすれば、一方が真で、他方が偽でなくてはならない」(五六二頁)
 
 このように述べた上で、「通常の論理」では可能な全てを尽くしているはずの@とAが「インド人女性の観点からすると、どちらの命題も受け入れがたい」と指摘され、その「謎」を解くために独自の哲学的議論が繰り広げられている。カントに依拠したこの哲学談義は、それ自体としてはなかなか興味深いし、結論も一応うなずけるが、そのもっと手前の地点で、一つの素朴な疑問が湧いてくる。というのも、@とAが「論理的に可能なケースを尽くしている」わけでないことは、特に高度かつ難解な哲学によらなくとも、「通常の論理」で十分説明がつくように思われるからである。
 先の@とAはともに全称命題の形をとっている。しかし、これらの命題において語られている「インド人女性」「インド人男性」「白人男性」のいずれも――ついでにいえば、「白人女性」も、また「白人」でもインド人でもない様々な女性と男性も――決して単一の存在ではない。それぞれの主体の複数性に気づきさえすれば、@とAが「論理的に可能なケースを尽くしている」わけではなく、いずれも不当な一般化であることは明白である。主語だけでない。これらの命題の述語についてみても、「救った」とか「本当に欲していた」とはどういうことを指すのかについて様々な解釈がありうるので、一義的に真偽を決めることはできない。ある人が「自分はこれこれのことを自ら欲して行なった」と言い、他の人が「それはそう思いこまされているからにすぎない。『自ら欲して』と本人が語るのは、それほど深く思いこまされているということだ」と言うとき、どちらが正しいのか――あるいはそもそも正解がありえないのか――議論は尽きない。更にまた、@の裏には「だから白人男性は正しい」、Aの裏には「だからインド人男性は正しい」という判断が前提されているが、いずれにしても男性の視点からの評価しか問題とされておらず、「全てを尽くして」などいないのは明らかである。こういう風に考えれば、@Aが「論理的に可能なケースを尽くしている」わけではなく、いずれをも拒否する立場はいくらでもありうることになる。それなのに「通常の論理」ではこれ以外にありえないとするのは、「通常の論理」というものを馬鹿にしすぎているのではないだろうか。
 もう一つ、「サバルタンは語らない」という表現(第二部第U章第1節の表題にもなっている)についても、小さな疑問がある。スピヴァクはその有名な論文の表題を「語ることができるか」という疑問形にする一方、結論部では「語ることができない」という断定的否定文を使っている(30)。疑問形の表現は否定を含意する修辞的表現だと考えるならば、どちらでも同じことかもしれない。しかし、微妙な差異があると考えることもできる。疑問形の表現はあくまで問題の提示であり、読者の頭を揺さぶることが狙いであるのに対し、断定的否定文は結論を明示することによって、問題提起よりもあっさりとした回答を与えて、一件落着としてしまうように見える。そのことと関係するのかどうかは分からないが、訳者の上村忠男によれば、後のスピヴァクは「サバルタンは語ることができない」という一句を自ら取り消したという(31)。ところが、大澤は多くの個所で「語らない」「語りえない」「発話の不可能性」という断定的な否定表現を使っている。これは「語ることができるか」という疑問形の表題に込められた狙いを単純化してしまうのではないかという気がする。ついでにいうと、「インド人女性の観点からすると、どちらの命題も受け入れがたい」という言い方(五六二頁)も、語れないはずの当事者の「真の意図」を――本来代弁できないはずであるにもかかわらず――事実上代弁するような表現になってしまっている。ここには非常に微妙な問題が介在しており、大澤を批判するだけですむ話ではないが、ここでは問題の提示にとどめておく(32)
 
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 第二部ではこの他にも多くの論点が取り上げられているが、その一つとして、「イスラーム原理主義あるいはイスラーム主義」がある。これ自体がいくつかの要素に分かれ、その相互関係を見定めるのが結構難しいのだが、ここではとりあえず次の個所に注目してみたい。
 大澤は「イスラーム原理主義あるいはイスラーム主義」について論じた部分の冒頭で、旧ユーゴスラヴィアのムスリム人(表記については注33の後半を参照)をとりあげ、「ムスリムのエスノ・ナショナリズムがまさに、イスラーム主義の形態をとる」好例だとしている(五八三‐五八四頁)。だが、ここには大きな錯誤がある。旧ユーゴスラヴィアにおけるムスリム人カテゴリーが「宗教的集団ではなく、エスニック・グループとして」人口統計上数えられるものだというのは、大澤自身が記しているとおりである。つまり、これはボスニア=ヘルツェゴヴィナ住民のうち先祖がムスリムである人が自己を「セルビア人」(先祖が正教徒)とも「クロアチア人」(先祖がカトリック)とも申告したくないときに選ぶことのできるカテゴリーなのであって、本人がイスラームを信奉しているかどうかとは関係がない。ましていわんや、「イスラーム(原理)主義」とは何の関係もない(33)。実際、ボスニアのムスリム人は、一九九三年末以降、自らの民族名称を「ボスニア人(ボシュニャク人)」と変更した。それは欧米諸国の人々に自分たちのことを「イスラーム教徒」と見なしてほしくなかったからである。これを「イスラーム(原理)主義」の一例として扱うのは全くの見当違いである。
 大澤は続く個所で、内戦の中で人々が民兵に「お前はセルビア人かムスリムか」と問いかけられ、そのことが帰属意識を固定化させ、昂進させたと指摘しており、これ自体は正しい。だが、そこで問われたのはまさに「宗教的集団としてではなく、エスニック・グループとして」の帰属選択であり、「イスラーム主義」とは何の関係もない。イスラームを信じようが信じなかろうが、内戦の中で「敵か味方か」と問われれば、どちらかに属すると表明しないわけにはいかない(「中立」とか「半々」とか答えるなら、両方から敵として扱われるおそれがある)。自分の親族が「セルビア人」によって殺されれば、自分は「ムスリム人」だと言うしかない。そのことは、自分がイスラームを奉じることを全く意味しないし、原初主義的な「民族」意識への固着でもない。「奴らは顔つきも、言葉も、生活習慣も俺たちと違わない。けれども、奴らは俺の肉親を殺した。だから奴らは敵だ」。これが内戦の論理である。決して、「宿命的な人種のような属性」としてコミットするわけではない。「人種」としては何の違いもない――当事者もそう認識している――けれども、現に敵味方に分かれてしまった以上は、「敵」との闘いに必死にならざるを得ないということである(34)
 旧ユーゴスラヴィアのムスリム人について述べたすぐ後に、大澤は「だが、逆に、イスラーム主義を、むしろナショナリズムに抗する政治的・文化的運動と見なす論者もいる」と続けている(五八四頁)。イスラーム主義がナショナリズムに抗する運動だというのはイスラーム地域研究の常識である(イスラーム圏が広い範囲の多数の国々を包括する以上、「イスラーム信徒共同体」全体への忠誠心と個別ネーションへの忠誠心が矛盾するのは当たり前である)。旧ユーゴスラヴィアのムスリム人(ボスニア人)は「イスラーム主義」とは無縁だからこそナショナリズムと結合するのであって、この関係を「逆に」と表現するのは当たらない。にもかかわらず大澤がこのような形で論じるのは、イスラーム主義が古典的ナショナリズムとは対立するにしても、現代のナショナリズム自体が「古典的ナショナリズムを解体する運動」なのだから、その意味ではイスラーム主義も「ナショナリズムの最後・後の波の内に含めることができる」と論じたいからのようである(五八五‐五八六頁)。「古典的ナショナリズム」と対立するものを「現代的ナショナリズム」と名付けるというのは、言葉の定義次第でそうも言えるしそうでないとも言えるという類の話で、特に賛成したり反対する必要を感じない。ただとにかく、旧ユーゴスラヴィアのムスリム人はこの文脈で取り上げる必要のないテーマであって、これを「イスラーム主義」が「ナショナリズム」化した例だと論じるのは、かえって論の説得力を弱める。
 話がやや離れるが、旧ユーゴスラヴィアについては、別の個所で、「エスニック・クレンジング(民族浄化)」への言及がある。そこでは次のように書かれている。
 
「ここで編み出されたのは、異民族の女性をレイプすることによって、その異民族の絶滅や改造を図る、という手法である。ナチスでさえも、ユダヤ人の女性を妊娠させることで、ユダヤ人の絶滅を促進しようとは考えなかった」(七九一頁)
 
 この叙述は、宣伝戦の中で広められた「ナチスさえもしなかったような蛮行」というイメージを、何の批判的検討もなしにそっくりそのまま鵜呑みにしたものである。言説というものが「事実」を模写したものなどではないということは常識であり、ポストモダニストの間では特に強調されていることのはずである。にもかかわらず、ここではプロパガンダ上の言説が「事実」と受け取られている。そのあまりにも素朴な態度には驚くほかない(35)。別の個所にも、「今日(異民族に対して)最も寛容性が低く、排外的なナショナリズムは、旧社会主義圏の、とりわけ旧ユーゴ地域の民族紛争の内に見ることができる」とあり(三五頁)、大澤自身の偏見をはしなくも露呈している。
 
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 本書は全体として「ナショナリズム」と呼ばれる諸現象をどのように理解するかという理論的課題に向けられており、あくまでも「理論の書」であって、実践的な処方箋を出そうとするタイプの書物ではない。「ナショナリズム論」というと、ややもすれば口角泡を飛ばした政治論争――一方の側に熱烈なナショナリスト、他方の側にこれまた熱心なナショナリズム否定論者が対峙するという構図――を連想しやすいが、そうした構図から距離をおき、実践的立場はさておき、ともかくこの対象を冷静に理解しようと試みる努力は貴重なものである。本書の中で、現実的な政治論争に引きずられた感じの部分はほとんどないが、そのことは本書の価値を高めこそすれ、低めるものでは全くない。
 そうではあるのだが、本書の中には、ごく僅かに、そして暗示的にではあるが、ある種の価値観や実践的姿勢を示唆するかに見える個所がいくつかある。学者といえども人間である以上、冷静な理論書の中に実践的価値観をほのめかす個所があってもおかしくはないが、それが書物全体の議論とどのように関わるのかという疑問はどうしても出てくる。
 本書の基調は、「ナショナリズムは時代遅れだ」といった類のナショナリズム批判は無効だという指摘におかれているが、そのような理解を前提にした上で、かといって「ナショナリズムはそれほど危険な思想ではなく、敵視する必要はない」といった弁護論を展開するわけでもないとしたら、どのような方向に希望を見いだすことができるのかというのは、そう簡単には答えられない、深刻な問いである。大澤は正面からの回答を提示しているわけではないが、ごく部分的に、望ましい方向性を示唆するとおぼしい記述がある。しかし、それはまさしく短い示唆にとどまっているため、それをどう受けとめてよいのか、戸惑いが生じる。
 積極的な方向性らしきものが最も明示的に述べられている個所としては、次の文章を挙げることができる。
 
「それ〔特異な逆説を経由した、積極的で主体的な表現の可能性〕は、古典的なナショナリズムを否定はするが、それを超えてもうひとつのナショナリズムへと転態してはいない、境界部に位置する可能性である。たとえば、クレオールの新しい文学の内に、こうした可能性が姿を現しているのであった。この切り立った細い境界部に踏みとどまるところに、確かに、もうひとつの積極的な可能性が残されていたはずである」(六二〇頁)
 
 ここでは、クレオール文学――およびそれとある程度類比的な「在日」の文学者たちの作品――の中にある種の可能性があるという考えが示唆されている。本書第二部でクレオール文学および「在日」の文学者たちが大きな位置を占めているのは、おそらくそうした考えと関係しているのだろう。だが、その「可能性」が具体的にどのようなものなのかは、これだけを読んでもあまりはっきりしない。
 右の引用文には、「古典的なナショナリズムを否定はするが、それを超えてもうひとつのナショナリズムへと転態してはいない」という個所があった。「もうひとつのナショナリズム」へと行き着くことなく「細い境界部に踏みとどまる」ことが重要だ、というのはそれなりに分かるような気がする。では、次の文章はどう解釈すべきだろうか。
 
「金鶴泳にとって、父との和解ならぬ〈和解〉が、日本人としてのそれでも、朝鮮人としてのそれでもない、『在日』という移行状態に対応した民族性の自覚をもたらしていた。……こうした原理は、クレオール性やディアスポラとしての性格に立脚したナショナリズムを結節する機制を説明する論理として、一般化させていくことができるのではないか」(五五一頁)
 
 ここにある「日本人としてのそれでも、朝鮮人としてのそれでもない、『在日』という移行状態」という言葉は、先の「細い境界部」に対応するようにも見える。しかし、そのすぐ後に「クレオール性やディアスポラとしての性格に立脚したナショナリズム」とあるのは「もうひとつのナショナリズム」ではないのだろうか(「日本人」や「朝鮮人」だけでなく「在日」というカテゴリーも、物神崇拝や排他的忠誠心の対象に――常にとは限らないにしても、少なくとも論理的可能性として――なりうるはずである)。次の文章でも、ある種の特異なナショナリズムが肯定的に捉えられているようにみえるが、そのことと「もうひとつのナショナリズム」否定の関係はどうなっているのかという点が気になる。
 
「ここに説明してきたような、現代的なナショナリズム〔クレオール的な、あるいはディアスポラ的なナショナリズム〕にあっては、共同体の特殊性・特異性は、積極的に要求されている。特殊性・特異性は、普遍化への障害ではなく、むしろ、それを通じてこそ、『真の〈普遍性〉』への通路が開かれる(かのように見える)からである」(五五三‐五五四頁、後半部は太字で強調されている)
「こうしたナショナリズム〔クレオール性に立脚したナショナリズム〕の思想的な可能性を、最も高い部分において代表しているのが、グリッサン〔マルティニクのクレオール作家〕ではないだろうか」(五五六‐五五七頁)
 
 右の第二の引用文に続く個所には、「普遍性ということについての通常の理解が、ラディカルな仕方でひっくり返されている」という文章がある(五五七頁)。これは『朝日新聞』掲載の大澤の文章(前注28)で「真の〈普遍性〉を見いだす」ことを呼びかけ、「真の〈普遍性〉は〔全ての葛藤や差異が中和されるような〕容器ではない。むしろ葛藤そのものに内在しているはずだ」とあるのとつながるようにみえる。だが、これもレトリックに頼った記述で、具体的にどういうことを指しているのかがつかみにくい。そして、「他者が、まさに他者である限りにおいて接近してしまうこと」という結論的呼びかけも、あまりにも雲をつかむような話だという印象が残る(アフガニスタンで活動している中村哲医師の名が挙げられているが、これは唐突の感があり、それまでの抽象論が、いきなり呈示されたこの具体例とどう結びつくのか分からない)(36)
 クレオール論やディアスポラ論はここ十年ほど一種の流行のようである。確かに、特定の「民族」「エスニシティ」「領土」「国家」等々に固定化された発想法を超える上で、こうした問題領域に着目することには一定の意義があるだろう。だが、問題なのは、「クレオール性やディアスポラとしての性格に立脚したナショナリズム」とは具体的にどういうものなのかという点にある。特に重要なのは、それが「クレオール性」「異種混淆性」「ディアスポラ性」などを新たな物神崇拝の対象とする固定化・閉鎖化をもたらし、「もうひとつのナショナリズム」と化してしまう可能性にどのように対処するのかという疑問である(37)
 もうひとつ付け加えるなら、ここで取り上げてきた個所では文学者たちの思想的営為が主要な考察対象となっている。他の個所でも文学作品が多数利用されていて、それが本書の一つの特徴をなしているが、ここで問題とする個所ではそれが特に顕著である。社会現象・社会問題・社会運動・社会思想などについて論じる際に文学作品を素材とすること自体に異を唱えるつもりはないが、それが社会科学にとって何を意味するのかについての説明がもっとあってもよいのではないかという気がする。大多数の文学者にとって最も切実なのは個人としての生き方に関わる次元である。もちろん、それは社会から孤立したアトムとしての個人ではなく、社会的背景の中にある個人であるはずだが、ともかく関心の方向性が文学者と社会科学者とでは違っていて、前者では「社会を背景とした個人」、後者では「個々人によって織りなされる社会」に焦点がおかれるのではないだろうか。
 ある民族集団の中に生まれ、その民族のナショナリズムへの忠誠とそれとは別種の忠誠とがともに強く要求される環境の中で育ち、引き裂かれる思いをする人は数多いが、そのような相克にどのように立ち向かうかは各人ごとに個性的であり、多様だろう。ある人が苦闘の果てに自分なりの生き方を見出していく様を描いた文学作品は、読む人に感動を与えるが、それは社会問題・社会運動・社会思想としてのナショナリズム問題をどう考えるかという問題とは次元を異にするのではないだろうか。それに、そうした忠誠心の相克と苦闘というテーマは、民族・エスニシティ問題に限らず、階級的帰属だろうが、宗教だろうが、職業的利害だろうが、その他あらゆる場面で見出されるものであって、殊更にナショナリズム論という文脈でだけ問題化されるものではない。ある文学者がある作品の中でどんなに感動的な場面を描いたとしても、それが社会現象としてのナショナリズムにどう立ち向かうかという問題の回答を与えることにはならないのではなかろうか。
 
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 補論「ファシズムの生成」に移る。本書が通常の歴史学とおよそ異なった性質の仕事だということについてはこれまで述べてきた通りだが、この補論は、時間的にも空間的にも絞られた対象(一九三〇年代のドイツ)を取り上げており、また末尾の文献目録を見ると、次のようにかなり多数のドイツ史研究者の著作が挙げられていて、「この補論は本文と違って歴史研究に近づいているのかな」という予感をいだかせる。
 文献目録からドイツ現代史関係のものを抜き出してみると、次のようになる。フリードレンダー『ナチズムの美学』、同『アウシュヴィッツと表象の限界』、ヒルバーグ『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』、平井正・木村靖二・岩村行雄『ワイマール文化』、平島健司『ワイマール共和国の崩壊』、井上茂子ほか『1939 ドイツ第三帝国と第二次世界大戦』、蔭山宏『ワイマール文化とファシズム』、カーショー『ヒトラー――権力の本質』、木村靖二『兵士の革命』、小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』、コーゴン『SS国家』、熊野直樹『ナチス一党支配体制成立史序説』、栗原優『ナチズム体制の成立』、同『ナチズムとユダヤ人絶滅政策』、リンゼ『ワイマル共和国の予言者たち――ヒトラーへの伏流』、南利明『ナチス・ドイツの社会と国家――民族共同体の形成と展開』、三宅立『ドイツ海軍の熱い夏』、望田幸男『二つの近代――ドイツと日本はどう違うか』、村瀬興雄『ナチス統治下の民衆生活』、同『ナチズムと大衆社会』、中井晶夫『ヒトラー時代の抵抗運動』、中村幹雄『ナチ党の思想と運動』、西牟田祐二『ナチズムとドイツ自動車工業』、野田宣雄『教養市民層からナチズムへ』、小野清美『テクノクラートの世界とナチズム――「近代超克」のユートピア』、大野英二『ドイツ問題と民族問題』、ポイカート『ナチス・ドイツ――ある近代の社会史』、同『ワイマール共和国』(英語版)、シェーンボウム『ヒットラーの社会革命』、篠塚敏生『ドイツ革命の研究』、シュテファーン『ヒトラーという男』、山口定『ファシズム――その比較研究のために』、同『ヒトラーの抬頭』、山本秀行『ナチズムの記憶――日常生活からみた第三帝国』。
 このリストをみるなら、これらを活用して書かれた補論は本論とは違って歴史に近づいたものではないか、言い換えれば歴史家にとっても読みやすいものになっているのではないか、という期待を読者がいだいてもおかしくはない(少なくとも私はそうだった)。ところが、そういう期待をもって補論を読んでみると、驚くべきことに、ここに挙げられた膨大な著作を活用したとおぼしき個所はほとんどない。わざわざリストアップするからには、大澤は一応これらを読んだ上で書いたのだろうが、それらは大澤の思考にほとんど何の痕跡も残さなかったかのごとくである(38)
 これらの文献が多少なりとも本文に反映している個所を探すなら、まず強制収容所に関連して、コーゴンその他いくつかの著書が使われている。しかし、これらは歴史的分析というよりも、当事者の回想的叙述を素材として想像力を駆使したイメージの描写といった性格のものである。小岸昭の著作も何度か言及されているが、これは文学的イマジネーションを羽ばたかせた評伝ともいうべきもので、通常の意味での歴史書ではない(念のために断わっておくが、ここで「通常の意味での歴史書」かどうかということは価値評価とは無関係で、単純にジャンルの違いを指している)。多少なりとも通常の歴史書を参照したらしいのは、私の気づいた範囲では、ナチズムの「近代性」およびそこにおけるテクノクラートの役割に関連して小野清美その他若干の著書に言及した個所だけだが(六九三‐六九四、七三〇‐七三二頁および七九九頁の注4)、これはごく一般論的な文脈でのものであり、特異な論点を出しているようには見えない(39)。そして、これ以外の歴史書の大半は、わざわざリストアップされているにもかかわらず、完全に黙殺されている。
 こういうわけで、この補論は文献目録の与える印象とは違って、およそ歴史研究と縁遠いものになっている(繰り返すが、これは善し悪しの問題ではなく、ジャンルの違いを言っているだけである。前注38も参照)。むしろ、ここで圧倒的な重点がおかれているのは、ハイデガーをめぐる考察である。実際、この補論は「ファシズム論」というよりは「ハイデガー論」と銘打った方が、はるかに内容にふさわしかったろう。
 いうまでもなく、ハイデガーは二〇世紀最大の哲学者と目されている人であり、その彼がナチズムを支持したことがあるという事実は、多くの人々の関心を引き、これまでも様々な形で論じられてきた(私自身は、そうした議論の内容に通じていないが)。それはそれでよいが、どうしてそれがファシズム論の主要な内容となるのだろうか。哲学者や思想史研究者がこの問題に大きな関心を寄せるのは分かる。だが、それは歴史的現実としてのファシズムないしナチズムとどういう風に関わるだろうか。
 敢えて乱暴な言い方をしてしまうなら、一九三〇年代のドイツ(およびその周辺諸国)に生きていた人々の圧倒的多数は、哲学などという学問にほとんど何の関心ももっていなかっただろうし、ハイデガーという人の名前も聞いたことがなかったかもしれない(名前は辛うじて知っていたとしても、読んだことのない人が圧倒的多数だろう)。そのような「ハイデガーのハの字も知らない」ような膨大な大衆がその時代をどのように生きたのか――この点にこそ、歴史としてのナチズムないしファシズム論の課題があるという風に考える私のような人間の見地からすれば、この補論で書かれていることは、およそまるでピンと来ない。「大事なことが書かれているのかもしれないけれども、私には関心がありません」としか言いようのない話である。
 私とても、哲学に全く関心がないというわけではない。若い頃は人並みにヘーゲル、マルクス、新カント派、サルトル、メルロー=ポンティなどを読みあさったことがあるし、その後も、ウィトゲンシュタイン、フーコーその他の哲学書を折に触れてひもといたり、あるいは自分の頭で哲学っぽいことを考えることをしないわけではない。ただ、専門分野としての哲学を自己の職業とするわけでない場合に重要なのは、いわゆる「哲学学」ではなく、自分自身でどのように考えるかという「自前の哲学」である。日本の哲学は「哲学学」だということが指摘されるようになって久しいが、その状況はどれほど変わっているのだろうか。ここ十年ほど、日本では一種の哲学ブームが起きていて、哲学の入門書・概説書などが広い範囲の読者層に売れているようだ。それはそれで結構なことだし、私自身もそのいくつかを読んで、恩恵をこうむったりもしている。ただ、多くの読者の需要はおそらく「自前の哲学」模索のための手がかり獲得に向けられているのだろうと思うが、供給の側は、「この機会に哲学学を売り込もう」という思惑も紛れ込んでいるのではないかという気もする。
 話がやや逸れてしまったが、大澤の場合、第一部や第二部の叙述から推して、おそらく「自前の哲学」をもっているのだろうと思われる(実際、そこにおける哲学議論には、私でも何とかついていける)。しかし、この補論では、なまじハイデガーという「超大物」を主要対象として取り上げたせいで「哲学学」に引きずられてしまっているのではないかと思われてならない。とにかく、「哲学学」とりわけ「ハイデガー学」に通じていない私にとっては、この補論はフラストレーションばかり掻き立てるものだった。
 
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 大著であるだけに、この読書ノートもずいぶん「長編」になってしまったが、本書では数多くの論点が取り上げられており、私なりに興味を惹かれながらもここで触れなかった点も多く残っている。断片的に例示するなら、たとえば、「終わり」の不在ないし失効をめぐる議論(五二五‐五二七頁)、各所に出てくるカント哲学の解釈、Coda=Children of Deaf Adultsについての議論(第二部第X章(40)などはそれぞれに面白い論点であるように思う。もっとも、それらの本書全体の中での位置づけ、そしてどうしてナショナリズム論の中でこれらが重視されねばならないのかとなると、分からないとしか言いようがない。
 これらとは別に、私自身の研究上の関心と重なる論点も、これまで触れた以外にいくつかある。最も大きな点としては、現代のグローバル化の中で、一方ではアメリカの権威が相対化され、トランスナショナルな「帝国」は決してアメリカ合衆国と等置できないが、にもかかわらず、他方ではそのグローバル化の中で主導的な位置を占めているのはやはりアメリカだという二重性の問題がある(各所で触れられているが、たとえば、一七、三七‐三八、五七九‐五八〇、六一五頁等(41)。しかし、各所で論じられているわりには、この一見逆説的な事態をどう理解するかに関する大澤自身の積極的考えは十分読みとれない。もう一つ、二〇世紀末の東ヨーロッパのナショナリズムの興隆の背景には「(西)ヨーロッパ性」の濃度をめぐる競争があるという指摘(四五八‐四五九頁)も、私自身の専門と関わって関心を引くところだが、短い言及にとどまり、十分展開されていない(また、これは何も「二〇世紀末」の特殊な状況ではなく、もっと古い背景をもつ)。こういった風なことを拾い上げていけば切りがないが、長文になりすぎたことでもあり、とりあえずこの辺で打ち切っておきたい。
 
 振り返ってみると、ずいぶん数多くの不満を書き連ねてしまった。とはいえ、このノートを書く過程で自分自身の考えを整理することは、私にとって貴重な機会ではあった。ここに書き連ねたことの多くは、以前から考えつつあったとはいえ、本書を読み、著者との対話を試みる過程でより明確化してきたものであるので、そうしたきっかけを与えてくれたという意味では、著者に感謝しなくてはならないだろう。
 各所で述べてきたように、大澤と私とは、専門も、世代も、関心の方向性も、思考法のパターンもおよそかけ離れており、私にとって大澤は、「徹底した他者」である。そのような「徹底した他者」との対話の試みであるこの読書ノートは、多くの誤解を犯している可能性があり、いずれにせよ「外在的批評」との反論を免れないだろうが、それでも私にとってこれを書くことはやはり有意義だった。それというのも、先に紹介した大澤の言葉――「他者が他者である限りにおいて接近してしまうこと」という呼びかけ――をもじっていうなら、この読書ノート自体が、私にとって徹底的な他者である著者に接近しようとする試みだったからといえるかもしれない。
 
(1)大澤真幸編『ナショナリズム論の名著50』平凡社、二〇〇二年、二七四、三一三頁。
(2)本文で引用したのと同じ個所で、大澤は「理論が指向する普遍性と、固有名が照準する特異性とは、矛盾すると考えている人がいる。だが、それは間違いである」とも書いている(八七六頁)。私は両者が「矛盾する」とは考えず、その限りでは大澤と同意見だが、どうやって結合させるかは非常に難しい問題であり、一方を達成すればそれが直ちに他方に通じるというような簡単な関係ではないと考える。ひょっとして、大澤は普遍性さえ達成すればそれが直ちに特異性の理解にも繋がると考えているのだろうか。もしそうなら、それはそう簡単にはいかないと言わなければならない。
(3)歴史学の方法・視角・テーマ設定・手法・資料選択などについて、「伝統的」なスタイルを墨守することなく、様々な角度から新しい模索がなされるべきなのは当然であり、諸方面からの「実証史学批判」には多くの面で傾聴すべきものがある。ただ、とにかく個別性ないし固有性への執拗な関心と「資料批判」(ここでの「資料」には非文書資料も含まれる)の精神まで捨てたのでは、およそ歴史研究そのものが成り立たなくなってしまう。この問題については、塩川伸明『《20世紀史》を考える』勁草書房、二〇〇四年、第一〇章参照。
(4)塩川伸明『民族と言語――多民族国家ソ連の興亡T』岩波書店、二〇〇四年、二二‐二五頁。やや詳しくは、近刊の著書で展開予定。
(5)アンダーソンはリサールがスペイン語で書いた事実と並んで、いまではその作品が原語で読まれなくなったということを重視している。ベネディクト・アンダーソン『比較の亡霊――ナショナリズム・東南アジア・世界』作品社、二〇〇五年、第一〇、一一章。だが、大澤は前者のみに注目し、後者には触れていない。
(6)鈴木義里『あふれる言語、あふれる文字――インドの言語政策』右文書院、二〇〇一年。
(7)ソ連の民族政策・言語政策が――一般的に懐かれがちな通念とは異なって――一種独自の多文化主義・多言語主義の性格を帯びていたこと、そしてまさしくそれが各種の矛盾を生み出していたことについて、塩川伸明「ある多言語国家の経験――ソ連邦の形成・変容・解体」(多言語社会研究会二〇〇六年度大会における講演)参照。偏狭なナショナリズムを超えるはずの多文化主義が「まことに結構な思想であって、非の打ち所がない」というわけにはいかないという事情と、資本主義の諸矛盾を超えるはずだった社会主義が「まことに結構な思想であって、非の打ち所がない」というわけにはいかないという事情との間には並行関係があり、この対応は偶然ではない。
(8)一例として、杉島敬志編『人類学的実践の再構築――ポストコロニアル転回以後』世界思想社、二〇〇一年所収の諸論考(同書については、私のホームページに読書ノートがある)参照。多文化主義の実践のかかえる様々な矛盾の諸相については、関根政美『エスニシティの政治社会学』名古屋大学出版会、一九九四年、第七章も参照。
(9)塩川伸明「国家の統合・分裂とシティズンシップ」塩川伸明・中谷和弘編『国際化と法』東京大学出版会、二〇〇七年、八五頁でこの二分法に対する批判を簡単に提示したことがある。より詳しくは近刊の著書で展開の予定。
(10)Rogers Brubaker, Citizenship and Nationhood in France and Germany, Harvard University Press, 1992(『フランスとドイツの国籍とネーション』明石書店、二〇〇五年)。
(11)Rogers Brubaker, "The Manichean Myth: Rethinking the Distinction between "Civic" and "Ethnic" Nationalism," in H. Kriesi, K. Armingeon, H. Siegrist and A. Wimmer (eds.), Nation and National Identity: The European Experience in Perspective, West Lafayette, Indiana: Purdue University Press, 2004.ブルーベーカーはこの論文の中で前著『フランスとドイツの国籍とネーション』への自己批判を行なっているが、それは自説の全面的転換ということではなく、前著で十分展開されていなかった論点をより鮮明にする中で前著の一部を手直ししたという性格のものである。
(12)アンソニー・スミス『ネイションとエスニシティ』名古屋大学出版会、一九九九年、一五九‐一八〇頁。
(13)スミス『ナショナリズムの生命力』晶文社、一九九八年、一四七‐一四八頁。なお、この個所は大澤、三六八頁にほぼそのままの形で紹介されている。
(14)同右、一四八‐一四九頁。
(15)Hans Kohn, The Idea of Nationalism: A Study in Its Origins and Background, with a New Introduction by Craig Calhoun, New Brunswick and London: Transaction Publishers, 2005 (originally published in 1944).
(16)前注11。二分法図式批判については、その他に、Stephen Shulman, "Challenging the Civic/Ethnic and West/East Dichotomies in the Study of Nationalism," Comparative Political Studies, vol. 35, no. 5, June 2002; 渋谷謙次郎「言語問題と憲法裁判――ソ連解体後の『デモス』と『エトノス』の弁証法」早稲田大学『比較法学』第三五巻第二号、二〇〇二年、三‐八頁なども参照。
(17)大澤編『ナショナリズム論の名著50』、三〇三頁、なお同趣旨の指摘は本書七二‐七三頁にもある。
(18)同書、三〇七、三一二頁。
(19)マイケル・イグナティエフ『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』風行社、一九九九年、二一六頁、同『民族はなぜ殺し合うのか――新ナショナリズム6つの旅』河出書房新社、一九九六年、一二‐一七頁。
(20)『民族はなぜ殺し合うのか』二六頁。これ以外にも、彼が単純な二分論に満足していないことを窺わせる文章は各所に散在している。
(21)『ヴァーチャル・ウォー』および『軽い帝国』に関する私の読書ノート参照。
(22)ついでにいえば、「公定ナショナリズム」の「典型」がロシア帝国に見られるという通説も、私見では間違っている――一九世紀後半‐二〇世紀初頭のロシア帝国が「公定ナショナリズム」の政策をとろうとしたことは事実だが、それはきわめて不徹底かつ中途半端なもので、「典型」には程遠い――が、にもかかわらず、そのような見解が広まっている(大澤も二八六、四〇六頁でそのように書いている)のはどうしてなのか、というのも興味深い問いである。
(23)塩川伸明『現存した社会主義――リヴァイアサンの素顔』勁草書房、一九九九年参照。
(24)日本におけるロシア史研究の回顧として、塩川伸明「日本におけるロシア史研究の五〇年」『ロシア史研究』第七九号(二〇〇六年)参照。
(25)ソ連民族政策史について詳しくは、塩川伸明『多民族国家ソ連の興亡』全三巻、岩波書店、二〇〇四‐〇七年、より簡略には、同『《20世紀史》を考える』勁草書房、二〇〇四年、第八章、また前注7に挙げた講演も参照。近年の欧米における研究も多数にのぼるが、特に大きな影響力をもった重要な著作として、Terry Martin, The Affirmative Action Empire: Nations and Nationalism in the Soviet Union, 1923-1939, Cornell University Press, 2001(邦訳、明石書店、近刊予定)。
(26)梅森直之編『ベネディクト・アンダーソン、グローバリゼーションを語る』光文社新書、二〇〇七年。
(27)他の個所でも、「民族」の語に「エスニシティ」とルビを付けたり、「民族」を「エスニック・グループ」と言い換えたりしており(五九九、六二三頁など)、両概念が完全に等価であるかのように扱われている。しかし、日本語の「民族」という言葉は、英語のエスニシティと対応させて使われることもあればネーションと対応させて使われることもある多義的な言葉である。大澤も大分離れた個所で「民族」の語に「ネーション」というルビを振っている(八二〇頁)。同じ語に異なったルビが振られることがあるのは、言葉の両義性を念頭におくなら驚くに値しないが、問題なのは、そのことについて何の説明もない点である。
(28)大澤真幸「ナショナリズム」『朝日新聞』二〇〇七年九月一五日。
(29)私はこの問題について、ごく簡単な問題提起だが、市野川容孝『社会』に関する読書ノートの末尾で触れたことがある。
(30)G・C・スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』みすず書房、一九九八年、一一六頁。
(31)上村忠男「得策ではなかった結語?」『現代思想』一九九九年七月号。
(32)サバルタン問題については、スピヴァク自身への疑問を含めて多くを論じなくてはならないが、まだ本格的に論じる準備はない。さしあたり、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』および杉島敬志編『人類学的実践の再構築』への読書ノートの中で簡単に触れたことがある。
(33)六七六頁の注32には、「ただし、この頃には、ボスニアの『ムスリム』たちの大部分は、すでにイスラーム教の信仰と実践を放棄していた、ということを認知しておかなくてはならない」と――正当にも――書かれている。だが、この認識と、「イスラーム原理主義あるいはイスラーム主義」の例だとする本文の記述の関係は、何も説明されていない。なお、日本語での表記として、「信者」を意味する「ムスリム」よりも、端的に民族名を指すことが明らかな「ムスリム人」を使う方が無難であり、日本の旧ユーゴスラヴィア研究者の大半は通常この表記をとっている。大澤はそうした専門家たちのほぼ一致した用語法を無視して「ムスリム」と書いているが、これはミスリーディングな表記であり、この注の冒頭に引用した認識を裏切っている。
(34)ひょっとしたらここには、ボスニア紛争に関するイグナティエフのミスリーディングな叙述が影響しているのかもしれない(イグナティエフが取り上げているのはセルビア人、大澤が書いているのはムスリム人で、話題が異なるが、捉え方には共通性がある)。イグナティエフという人が一筋縄ではいかない書き手であり、鋭い洞察と首尾一貫性の欠如を同居させていることについては前述したが、ボスニア内戦に関する彼の記述には、興味深い観察から一挙にミスリーディングな結論に飛躍するところがあり、しかもそれが多くの人に影響――私見では悪影響――を及ぼしているように思われる。あるセルビア人兵士との会話を紹介した個所で、彼は「セルビア人とクロアチア人は全く共通点のない根本的に異なる二つの民族だという民族主義的な神話」への屈服とか、「洗礼を受けて以来、正教会の礼拝に出たこともなかったのに、今になって、やっぱり『我々』は正教徒で、『かれら』はカトリック教徒なんだと思い出したわけだ」等と書いている(マイケル・イグナティエフ『仁義なき戦場――民族紛争と現代人の倫理』毎日新聞社、一九九九年、五〇、五九頁)。だが、彼自身の紹介するセルビア人兵士の言葉には、どこにも宗教への言及もなければ、「セルビア人とクロアチア人は全く共通点のない根本的に異なる二つの民族だ」という考えも表明されていない。これはイグナティエフが勝手に押しつけた解釈であって、セルビア人兵士が実際にそのような観念に基づいて行動していたと考えるべき根拠はない。イグナティエフ『ヴァーチャル・ウォー』についての私の読書ノート参照。
(35)いうまでもないことだが、このように指摘することは、だから「民族浄化」はなかったとか、大量レイプはなかったと論じることを全く意味しない。この複雑な問題については、私の研究ノート「『民族浄化』という言葉について」、「コソヴォ問題と『人道的介入(干渉)』論――日本における国際政治・国際法研究者の言説をめぐって」、またイグナティエフの『ヴァーチャル・ウォー』および『軽い帝国』に関する二つの読書ノートなど参照。
(36)本書全体の最後の個所には、「このとき、愛は、ナショナリズムを結節するような閉鎖性を脱し、普遍的な社会空間を準備するような無限に開放的な形式へと転換するはずだ」とある(八二八頁)。これはあまりにも唐突なご託宣であり、理解不能というほかない。
(37)「クレオール主義」について私自身はあまり通じていないが、小田亮の二論文に示唆されるところが大きかった。小田亮「しなやかな野生の知――構造主義と非同一性の思考」『岩波講座・文化人類学』第一二巻(思想化される周辺世界)、岩波書店、一九九六年所収、同「発展段階論という物語――グローバル化の隠蔽とオリエンタリズム」『岩波講座・開発と文化』第三巻(反開発の思想)岩波書店、一九九七年所収。これらに触発された私なりの考えは、塩川伸明「帝国の民族政策の基本は同化か?」『ロシア史研究』第六四号、一九九九年、二七‐二八頁で簡単に述べたことがある。
(38)ひょっとしたら、大澤は既成の歴史学の総体に対して強く否定的な見解をもっており、そこから学ぶべきものは何もない、黙殺が最もふさわしい、と考えているのかもしれない。もしそうなら、結論への賛否はともかくとして、一つの重要な問題提起あるいは挑戦状ということになる。しかし、そのように明言されているわけでもなければ、仮にそう考えるとして、その論拠が説明されているわけでもない。
(39)「ファシズムには、さまざまな観点から見て、近代的と見なしうる性格が備わっている、ということが、研究者たちによって自覚されてきた」(六九三頁)とか、「近年のナチズム研究は、ナチ体制下で、技術者やテクノクラートが重用され、彼らが積極的なナチスの支持者になっていたということを実証している」(七三〇頁)とあるが、こうした点は「近年の研究」を待つまでもなく常識であり、実際、ここで挙げられている文献の多くは一九七〇‐八〇年代のものである。
(40)なお、ろう者および手話言語について、私はこれまでほとんど何も知らなかったが、たまたま本書を読んだ直後に、次の論文に接することができた。小嶋勇「日本手話と言語権の実践」渋谷謙次郎・小嶋勇編『言語権の理論と実践』三元社、二〇〇七年所収。
(41)なお、私自身はハート=ネグリの帝国論をめぐる一連の論争にあまり通じていないが、現代的な「帝国」がアメリカを指すのかそうでないのかという問題を考える際には、ハートとネグリの話題の書物は「九・一一」の直前に書かれており(原著初版、二〇〇〇年)、その後のアメリカの単独行動主義的軍事介入をまだ見ない時点のものだという事情を考慮する必要があるのではないかと思う。
 
*大澤真幸『ナショナリズムの由来』講談社、二〇〇七年
 
(二〇〇七年一〇‐一二月)
 
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