サイード『オリエンタリズム』
一
本書のことを初めて知ったのは、確か一九八〇年代の半ばのことだったと思う。原書刊行は一九七八年だから、それから数年経っていたわけだが、まだ邦訳も出ておらず、少なくとも日本ではそれほど話題になってはいなかった。そのときに簡単な紹介に接した私の第一印象は、「正当な問題提起だが、それほど新鮮というわけではないな」というものだった。そう感じたせいか、それから少しして邦訳が出て、日本でも本書が――そしてまた「オリエンタリズム」という言葉が――有名になる中でも、それほど強く食指が動くことはなかった。「一応は納得がいくし、基本的には正しい指摘なのだろうけれど、そんなに大騒ぎするほどのことでもないのではないか」という気がして仕方がなかったのである。
本書に限らず、世間で話題になっている本や著者に対してちょっと斜めからみてしまうというのが私の癖である。ひねくれているとか、時流に疎いといわれればそれまでだが、自分なりの言訳もないわけではない。今日のように次から次へと各種の本が出て、知的世界での流行もあわただしく移り変わる世の中で、それに一々つきあっていたら、いくら時間があっても足りない。それよりはむしろ、一定期間が過ぎてからまだ気になるようなら、そのときに読めばよいというのが私の流儀である。数年後には忘れられてしまうような流行なら、もともと大した意味はなかったのだし、数年後でもまだ気になるようなものなら、遅ればせに読んでも意味を失わないのではないかと考えるのである。
こういう態度をとることには、もちろん危険性もつきまとっている。重要な問題提起に気がつかず、吸収すべきものを適時に吸収しないで、自分の視野を広げる機会を失ってしまうかもしれない。このような危険に対しては、とりあえずアンテナだけは広く張り巡らし、読む読まないは別として、「こういうのが最近の流行らしいな」ということにだけは気をつけるようにしておくという形で何とか対処できないわけではない。もっと難しいのは、「やはり無視できない」と感じたものを遅ればせに読んだときに、それまでに「耳学問」で吸収していた知識のせいで先入観ができあがっていて、虚心坦懐に読むことができず、単なる先入観の確認に終わってしまいかねないという点である。自分としては、できるだけそういう先入観にとらわれず、意外な発見を大事にしながら読んでいるつもりではあるが、それがどこまで成功するかは一概にいえない。ともかく、先入観通りのものしか見いだせなかった場合には、その読書はそれほどの成果をもたらさなかったと自覚し、意外な発見があった場合にのみ、「読んだ甲斐があった」と考えるように心がけてはいる。
二
さて、サイードの『オリエンタリズム』である。はじめて紹介に接したときに「それほど新鮮ではない」という不遜な印象をもったことは先に述べた。この印象は、ようやく読んだ後も、残念ながら大きく修正はされなかった。その意味では、この読書は私にとってそれほど成功ではなかったということになる。あまり成功しなかった理由の一つは、著者が検討対象としてとりあげている題材の多くが英仏の東洋学者の著作で、それらに私が馴染んでいないため、細部に立ち入った吟味をする能力がなく、大まかな全体的構図を見ることしかできなかったという点にある。そして、全体的構図に関する限り、欧米の「東方」への眼差しが差別的で、ステレオタイプに基づいたものだという程度のことなら、それこそ当たり前すぎて、新鮮でも何でもない。
もっとも、これが「当たり前すぎる」と映るのは、まさしくサイードの著作の影響力が大きく、原著刊行以来二〇年近くの間に常識化したからではないか、その意味ではやはり先駆的な問題提起だったのではないか、という風に考えることもできないわけではない。この辺を判定しにくいのが、流行の著作を遅ればせに読む者の悲しさである。しかし、敢えて素人の暴論としていえば、私は一九八〇年代半ばに初めて紹介に接した時点で既に「それほど新鮮でない」と感じたのであって、その後の邦訳刊行や日本における流行を見た後ではじめてそう感じるようになったわけではない。
それにはいくつかの理由がある。何よりも、戦後の日本では、竹内好をはじめとする一連の知識人によって「脱亜入欧」的心性への鋭い批判が蓄積されており、単純に欧米のオリエンタリズムに追随するような論調ばかりが――量的にはともかくとして、少なくとも私が尊敬してきた上質の知識人の間では――排他的に支配してきたわけではなかった。もっとも、具体的な「アジア論」の対象としては、日本との近接性から、主として東アジアが念頭におかれており、サイードが主としてとりあげる中東イスラーム世界については一九七〇年代くらいまでは確かに関心が低かった。だが、そうした対象地域の問題を別として、基本構図に関する限り、同様の問題はすでに提起されていたのである。
そしてまた、欧米の文化人類学においても、かつて「未開民族」とされてきた人々の文化を内在的に理解すべきだという考え(いわゆる「文化相対主義」)があり、西欧的エスノセントリズム(自文化中心主義)への批判という視角が提起されてきた(1)。こうした視角がいつ頃から広まりだしたかをはっきりと定めることはできないが、ともかくもサイードに先立つ時期に、徐々に日本にも紹介され、受容されてきたように思う。
こういうわけで、西欧中心主義的偏見への批判ということだけを問題にするならば、それはかなり古くから多くの人によって指摘されてきたものであり、とりたてて新しいものではない。それなのに、それらと比べてサイードの議論がずば抜けて強い影響力をもち、「オリエンタリズム」という言葉が流行語となって世界中で通用するようになったのはなぜだろうか。暴論をおそれず敢えて極端な言い方をすれば、内容的な説得力・新奇性によるというよりもむしろ、同じ主張を手を変え品を変え繰り返し述べ、大著に仕立てあげたというあくの強さによるところがありはしないだろうか。アメリカ合衆国の一部の学者によくみられる傾向、というと私の偏見かもしれないが、中味の説得力よりも、あくの強さと売り込みにおける押しの強さで、人々の注目を引きつけるという面がなくはないような気がしてならない。
こういう風にいっただけでは、あまり建設的ではない。問題は、オリエンタリズム批判それ自体にあるのではなく、どのような形でオリエンタリズムを批判するのか、そしてその批判を通してどのような新たな視角を獲得するのかという点にこそあるだろう。この点で、本書は確かにいくつかの重要な問題を出してはいるが、それが雑然たる提起にとどまっているために、どう受けとめてよいのかに戸惑いが生じるというのが私の感想である。先にも述べたように、私は本書の主たる題材となっている英仏の東洋学者の仕事について不案内であるため、立ち入った論評をすることはできないが、個々の内容よりもむしろ論の進め方、オリエンタリズム批判における立論の仕方といった点に関して、多少感じたところがある。あまり新発見をしたという確信をもてないにもかかわらず、敢えて本書の感想を書き記したいと思ったのは、これらの点についての吟味を通して、何がしかの新しい展望への手がかりがつかめはしないかと期待するからである。
以下、どういう点で、本書の議論に混乱があると感じたのか、三点に分けて述べてみたい。
三
先ず何よりも気になったのは、オリエンタリズム批判をする際に、標的とされる人物が露骨な差別意識の持ち主だということが問題なのか、それともそうではなくて、主観的には相当程度良心的で、差別を乗り越えようとしているような人でさえも、ある種の観念構造に絡めとられてステレオタイプから抜けきっていないということが問題なのか、ということである。本書の中には、前者を意識しているように思われるような個所が多数あり、そういうものとして本書全体が貫かれているという観さえもなくはない。しかし、もしそれだけが問題なら、話は非常に単純であり、何もこのような大著を書く必要はなかっただろう。「差別はけしからん」とただ一言いえば、それですべてが尽くされ、後は政治的アジテーションが残されるだけ、ということになる。実際、そのようなアジテーションととれるような文章が本書には少なくない。
しかし、そのようなものとしてだけ本書が書かれたのだったら、これほど話題になることもなかっただろうし、フーコーをはじめとする複雑な道具立ても必要とされなかったろう。現代哲学にあまり通じていない私には、そうした道具立てについて云々する資格があるわけではないが、素人の特権で思い切って簡略化された印象をあえていうなら、おそらく、そこで問題にされているのは、あれこれの個人の差別意識とか良心とかいったものを超えた言語と知識の深層構造のようなもののことだと思われる。そうだとすると、右の段落で挙げた二つの問題のうちの後者の方こそがより深刻な問題だということになるはずである。そのように考えてこそ、「オリエンタリズム批判」は深い意味をもつだろう。ところが、実際の叙述はしばしば前者の方に傾斜しており、そのために、議論の深化が妨げられているような印象がある。
サイードの著作から離れるが、フェミニズムをはじめとする各種の差別批判の議論においても、同様の問題があるように思う。あれこれの人物が、たとえ従来の常識で「偉人」とされるような人であっても、実は差別意識をもっていたということはよくあることだし、それを指摘するのは、一旦そのような立場に立ってしまえば容易なことである。いま「一旦そのような立場に立ってしまえば」と書いたのは、次のような事情を念頭においている。オリエンタリズム批判にせよ、男性中心主義批判にせよ、これまでの社会の通念への反逆という性格をもつため、ある種の知的努力なり覚悟なりがないと、なかなかそうした視角を獲得しにくいという社会構造がある。だが、それでも、差別批判論が次第に浸透しつつある今日、そうした視角に立つ人も増大しつつある。そして一旦そうなれば、その後の作業は、いわば「コロンブスの卵」的に容易になる。例えば、過去の文学史において偉大な作家とされてきた人が実は男性中心主義的な発想をもっており、その文章の中に女性蔑視的な要素が含まれているというような指摘は、「フェミニズム批評」というものが登場するまでは確かに気づかれにくいことであり、その指摘は非常に新奇かつ大胆なものという意味をもっただろう。だが、一旦「フェミニズム批評」が登場して、「コロンブスの卵」が割られてしまうと、あの作家にも、この作家にも、あの作品にも、この作品にも同様のことがあると指摘するのは、至って簡単な作業になってしまう。私は、サイードの著作を読みながら、フェミニズムの議論を何度も思いだし、その共通性を感じた(著者自身も――特に、訳書に付録として収録されている「オリエンタリズム再考」で――オリエンタリズムを男性支配・家父長制と重ね合わせて論じている)。
もちろん、私は差別批判という作業それ自体を無用のものと考えたり、ましていわんや揶揄しようというつもりはない。「コロンブスの卵」であっても、大衆的レヴェルではまだ十分に浸透していないことであれば、何度でもくどいほど繰り返し指摘しなければならないということもあるだろう。ただ、先に述べたように、露骨な差別意識を糾弾する政治的アジテーションというものと、あれこれの個人の差別意識とか良心とかを超えた言語と知識の深層構造のようなものを分析する作業というものは異なる次元にある以上、もし後者を志すのであれば、前者にあまりとらわれるのは議論を混濁させるのではないかという気がしてならない。
言語と知識の深層構造に分け入るのは大変な作業であり、私も、その点について確たる定見をもっているわけではない。ただ一ついえそうなのは、〈西欧=見るもの、「東方」=見られるもの〉という図式――あるいはフェミニズム論の文脈でいえば、〈男性=見るもの、女性=見られるもの〉という図式――は、個人の意識を超えた社会構造に由来しているということである。「見るもの」としての西欧なり男性なりが、「見られるもの」としての「東方」なり女性なりを常に見下しているとは限らず、高く評価したり、あるいは正当な認識を目指して努力することもあり得るが、その場合にも、それだけでは「見る」「見られる」関係は変わらない。これを変えようとするなら、西欧や男性の論者に「ものの見方を変えよ」というだけでは済まず、「東方」なり女性なりの中から「見る」主体となる人間が輩出する――西欧や男性からも無視されないような形で――という状況が出現することが必要とされるだろう。これはもちろん、個々の「東洋人」や女性の努力ということではなく、社会構造の問題である。
四
次に問題にしたいのは、西欧の人々の「東方」への視線が「オリエンタリズム」と特徴づけられるようなものになる理由をどう理解するかという点である。単純化するなら、二通りの理由付けが考えられる。第一は、ヨーロッパ人にとって「東方」が遠い存在であり、あまりよく知らないから、無知ゆえに種々の誤解が発生するという解釈である。これに対して第二の解釈としては、西欧と「東方」の間には隣接・交流・対抗の長い歴史があり、その歴史の中では西欧の方が劣位に立った時期もあったりして、深層ではかなり深く知っているからこそ、いわば過去における劣位の記憶を必死に打ち消そうとするために敢えて蔑視するということが考えられる。
本書には、何個所かで、後者を示唆する叙述があり、これは非常に興味深い指摘である。考えてみれば、「オリエント」こそは人類文明の発祥の地であり、古代にさかのぼるならヨーロッパなどは後進地域だったわけである。古代だけではない。オスマン帝国の時代にも、西欧はしばしばオスマン帝国に脅かされた。軍事的脅威というだけでなく、文化的にも、中世末期から近代初期にかけての西欧はアラブ・イスラーム世界から多くのものを学んだのであり、そのおかげではじめて近代文明を築くことができた。とすれば、近代以降の西欧がアラブ・イスラーム世界を蔑視するのは、秘かな劣等感の裏返しではないか――こういう風に考えてみるのは、単純に西欧が一貫した強者として弱者たる「東方」に君臨してきたととらえるよりもずっと陰影に富んでおり、面白い。
この観点は、多少変形すると、中国文明の強い影響下にあった日本の近代以降における中国への態度とか、かつてモンゴル=タタール帝国に支配されたことのあるロシアの「アジア」への態度などについても、適用可能であるように思われる。いずれの場合も、決して遠い世界でもなければ、一貫して支配したり見下してきた関係でもなく、むしろある時期に優劣関係が逆転したが故に、過去の劣等感を裏返すような反撥や殊更な軽視があらわれたと考えることができる。
こういうわけで、この論点は非常に重要なのだが、そのことの意味が、著者自身によってどこまでつきつめて自覚されているのかに疑問がないではない。というのは、本書は、直接的題材としてはアラブ・イスラーム世界に関する西欧の言説をとりあげているが、それは「東方」一般への西欧の眼差しの例解という意義を与えられており、「東方」一般とアラブ・イスラーム世界との共通性と異質性といった問題には触れられていないのである。そもそも「東方」を一つのものとみなす発想自体がオリエンタリズムの一つのあらわれであり――だからこそ、私はこれまで「東方」の語に一々カッコをつけてきた――、本来なら、「東方」一般などを論じることはできないはずである。ところが、サイードの立論は、あたかもアラブ・イスラーム世界の例をとりながら「東方」一般が論じられるかのような体裁をとっているようにみえる。
本書で主要に論じられているアラブ・イスラーム世界は、いうまでもなく西欧に直接に隣りあった地域であり、接触・交流・摩擦の関係も深い。これに対し、例えば極東などは、はるかに西欧から遠くに位置する。ヨーロッパの人が、極東に対してエキゾチシズムを感じるのは、そうした遠さによるところが大きいのではないだろうか。だとすると、西欧のイスラーム世界への視線と極東への視線とはかなり異なったものということになるはずである。両者をともに「オリエンタリズム」とくくるような大ざっぱな用語法は、実は、まさに批判の対象とされている「オリエンタリズム」と同様の、過度に単純な図式化ということになりはしないだろうか。
ついでにいえば、この関係は、日本にとってはちょうど逆になる。日本にとって東アジア世界はごく近い世界であり、古い歴史をたどれば明らかに日本が中国・朝鮮よりも劣位にあった。そのことの裏返しとして、虚勢を張るような形の中国・朝鮮蔑視が近代日本ではみられた。これと比べ、中東イスラーム世界は比較的最近まで、日本にとって遠い世界であり、単純な知識の欠落が特徴的であり、時にはエキゾチシズム感覚で受け取られた。このように考えるならば、西欧にとってのオリエンタリズムの構造と日本にとってのオリエンタリズムの構造は大きく異なることになるはずである。しかし、私の知る範囲内では、この違いに着目した議論はこれまでみたことがない。むしろ、大多数の論者は、日本は西欧に追随して、アジアの一員でありながらヨーロッパ的な「オリエンタリズム」を再生産してきたというような平板な受けとめ方をしているように思われる。これではオリエンタリズムの構造を突っ込んで理解することにならないのではあるまいか。
五
第三に問題としたいのは、西欧の様々な人々――文学者、政治家などを含む――の「東方」観ということと、専門の学者としての「東洋学者」――まさしく「オリエンタリスト」――との関係、その異同という点である。本書ではその両方がとりあげられているが、中心的な位置を占めているのは後者である。確かに、両者に共通の要素はあり、その限りで一括して論じられてもおかしくはない。しかし、同時に、異なった要素もある以上、その関係がどのようなものかという点がもっと自覚的に論じられてもよかったのではないだろうか。
専門の学問としての「東洋学」について考える場合、多くの非専門家に漠然と広まっている差別的なステレオタイプの指摘ということとは別に、「制度化された知」としてのアカデミズムないしディシプリンへの批判という作業が必要になる。これは確かに重要な論点であり、刺激的な問題提起でもある。ただ、こうした視角からの批判は、何も「東洋学」に限らず、他のどのような学問分野についても当てはまるような批判であるように思われる。ここには「オリエンタリズム批判」というものと「アカデミズム批判」というものとが、はっきり区別されないままに同居しているのではないだろうか。
一般にディシプリンというものが、ある枠を認識に科し、そのことによってあるものをみえやすくすると同時に、みえなくなってしまうもの――いわば死角に入るもの――を生み出す、ということはよく指摘されるところである。このような角度からのアカデミズム批判ないしディシプリン批判に学者が謙虚であるべきだということはいうまでもない。しかし、厄介なのはその先にある。
認識というものがある枠組みによるものである限り、その枠組みが認識を助けると同時に妨げもするという構造は、どのような認識の努力についても一般的に当てはまることだろう。だとすると、このような角度から既成のディシプリンへの批判をするのはよいとして、それに代わって新しく提起された議論自体がまた別の死角を生み出しもするということになるはずである。「古くさく」「権威ばっていて」「抑圧的な」既成の学問を批判して、さっそうと登場した「ラディカル」派が、いつのまにか、自分自身も新しい「権威」と化してしまっているという構図は、いくらでも例に事欠かない。ほかならぬ「オリエンタリズム論」自体もその例であるし(2)、フェミニズムも同様の陥穽から自由でないような気がしてならない。私はかつて、多数派に対抗する少数派がそれ自身ある種の排他的なコミュニティーをつくって自己満足に陥ってしまい、「ノンセクトという名のセクト」をつくるとか、既成の性役割ステレオタイプを批判するフェミニストが自ら「フェミニスト的ステレオタイプ」を生み出してしまうことがあるといった傾向を指摘したことがある(3)。こうした傾向は免れがたいことなのかもしれないが、やりきれないように感じる。オリエンタリズム論の流行に対して、私がその問題提起には同感しつつも、何となく微かな反撥のようなものを感じてきたのは、おそらくこの点にかかわるのだろう。
六
最後に、全体の文脈とは別に、私の注意を特に引きつけた文章を一つ引用しておきたい。
「故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である」(アウエルバッハの引用する聖ヴィクトルのフーゴー)。
(文庫版、下、一三八頁)
別に「我が意を得たり」と思ったわけではない、とまず断わっておこう。というのも、私はまさしく「全世界を異郷と思う者」というタイプの人間なのだが、だからといって、自分が「完璧な人間」だとうぬぼれる気には到底なれないからである。ただ、「異文化理解の重要性」という場合に、多くの人が主張しているのは、「故郷を甘美に思ってばかりいてはいけない。あらゆる場所を故郷と感じられるようになるべきだ」ということであるように思われ、それに違和感をもっていたので、この文章に目を引かれたのである。
ロシア研究者としては情けないことだが、私はロシア人の心性とか文化とかいうものを――もちろん、様々な機会に観察したり、理解しようと努めてはいるのだが――心の底から理解できたという気持ちになかなかなれず、違和感にとらわれることが多い。そういう時に、自分はロシア研究者として失格ではないかと思いつつ、居直り的に考えるのは、「ロシア人についてだけでなく、日本人の心性や文化だって分からないのだから」ということである。実際、私は日本人の中にいるとき、ロシア人の中にいるのと同様の疎外感と孤独を感じることがよくある。アメリカ人とつきあっていても同様である。男性である私は女性のことを理解するのが難しいというだけでなく、多くの男性のこともまた理解しがたい「他者」だと感じることがよくある。こうした「全世界を異郷と思う者」の存在は、通常、まるで問題にもされないので、ともかくもそういうタイプの人間もいるのだということに触れた文章を見て、ホッとするものを感じたのである。
異文化に接するとき、相手を何か劣ったものとみなし、それ故に馴染めないものと感じるのは、もちろん差別的観念のあらわれである。だが、では異文化をもっとよく理解し、親近感をもつようにさえすればよいのだろうか。そしてまた、自己の属するはずの文化に違和感をもつということはないのだろうか。
(1)この小文を書いた時点では、私はまだ文化人類学の動向にあまり通じていなかった。いまでも、それほど通じているといえるほど進歩したわけではないが、ともかくその後にいくつか読みかじった文献によれば、近年、従来の文化人類学のあり方に種々の批判が提出されており、その中には、サイードのオリエンタリズム論などをうけて、人類学者のまなざしに異議申し立てしようとする議論も含まれているようである。それはそれとして重要な問題提起だが、それにしても、「文化相対主義」というのは単純に異文化を見下す差別的通念の再生産ではなく、むしろそれを克服しようとする一つの試み――その成否は別として――ではあった。たとえば、次の叙述を参照。「西欧近代が覇権を握ってきた世界システムの中では、今だから言えるのだが、人類学の実践が深くオリエンタリズム的構造に浸りこんできたことは、いわば避け難いことであったように思われる。しかし、ただ浸りこんでいただけではなく、その中にあっても西欧の人類学自身は内発的な西欧近代の自己批判を積み重ねてきたことも確かな事実である。」(関根康正「他者を自分のように語れないか?――異文化理解から他者了解へ」杉島敬志編『人類学的実践の再構築』世界思想社、二〇〇一年、三二三頁)。その限りで、この旧稿の記述を全面的に撤回する必要はないのではないかと思う。この問題についての私の雑駁な理解は、塩川『現存した社会主義』勁草書房、一九九九年、四一‐四八頁で多少述べ、また杉島編『人類学的実践の再構築』の読書ノートでもある程度展開を試みている(この注は二〇〇一年四月および二〇〇二年六月の追記)。
(2)「オリエンタリズム」の語を、当初の文脈から敢えて引き離して、より広く解釈するなら、何らかの対象を内在的に立ち入って理解しようとせず、自分がもともともっていたステレオタイプの枠に押し込めた理解で満足するような心的態度という風にでも言い直すことができるだろう。このようなものとして「オリエンタリズム」を広義に解釈するなら、「西欧やロシアのアジア理解はみなオリエンタリズム的なものだ、そこにあるのは全て差別と蔑視ばかりだ」という公式を、個々の具体的事例に立ち入った内在的検討の作業を省いて振り回すのも、それ自体がオリエンタリズムの一種ということになる。この小文を書いてから数年後に読んだサーヘニー『ロシアのオリエンタリズム』(柏書房、二〇〇〇年)には、残念ながら、そうした態度――いわば、裏返され、ロシア・ソ連に対して向けられたオリエンタリズム的視線――が濃厚である。それだけでなく、日本でオリエンタリズム論を担ぎまわっている人たちの議論の多くにも、往々にしてそのような安易さが紛れ込んでいることがあるように思われてならない(この注は二〇〇一年七月の追記)。
(3)塩川伸明『社会主義とは何だったか』勁草書房、一九九四年、第Y章。
*エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』上・下、平凡社ライブラリー、一九九三年(単行本版、一九八六年)
原書 Edward W. Said, Orientalism, New York, 1978.
(一九九六年六‐八月)