杉島敬志編『人類学的実践の再構築』
はじめに
本書は、人類学(序論の注で、「文化人類学・民族学・社会人類学の総称」のことだと説明されている)の領域において「ポストコロニアリズム」の衝撃をどのように受けとめるかという問題意識を共有する人々による論文集である。
私自身は、人類学そのものには不案内だし、ポストコロニアル理論なるものの流行に対してもやや距離をおいて眺めている――流行にすぐ乗ろうとせず、やや距離をおいて眺めるというのは、私のいつもの癖であって、この例だけが特別ということではないが――人間だから、本書の内容を内在的に理解し、論評する資格があるわけではない。ただ、文化人類学/社会人類学というものには昔から素人的な興味を懐いてきたし、ポストコロニアル理論なるものをどのように受けとめたらよいのだろうかということも、それなりに気にはしてきた。十分よく分からない個所があるにもかかわらず、本書を素材に自分なりの感想をつづってみようと思い立ったのは、そうした事情による。
私が人類学に素人的な関心を懐くのは、「異文化」とか「他者」というものを理解するとはどういうことなのかという問題意識を共有するからである。歴史学は現在と異なる過去の時代を理解しようとする営みだし、外国研究も比較体制論も、自分たちの住む国・体制と異なる国・体制を論じるものである。具体的な対象や方法には大きな違いがあるにもかかわらず、ここまで抽象して考えれば、「異/他なるものの理解の試み」――それは翻って、「自己」「自文化」とは何かという反省を迫るものともなる――という点での共通性があることになる。
次に「ポストコロニアル」についていうと、私は民族・エスニシティー問題には昔から関心があったし、近年では、旧ソ連諸地域の民族問題を大きな研究課題としている。そして、そのような私自身の研究課題と、ポストコロニアル論議で触れられている事柄との間には、いろいろな接点があるように感じるのだが、その接点が具体的にどのようなものなのかを解明するのは容易ではない。そもそも、「ポストコロニアル」という言葉で何を意味しているのかを正確に理解するのも結構難しい(「ポストモダン」「ポスト工業化」「ポスト社会主義(共産主義)」なども同様だが、「ポスト」とはただ単に「○○よりも後」ということを意味するだけで、それ以上のことを明示しない無内容な言葉づかいである)。この言葉が流行語になってからかなり経つが、その中身を明快に説明した文献には、残念ながらあまりお目にかかったことがない。「帝国主義」「植民地主義」「民族差別・抑圧」などであれば、古くから多くの人によって論じられてきた。それらが一見過去のものとなったかにみえる現代的状況の中で、実はなお共通する問題状況が持続していることの指摘が眼目のようだが、植民地が政治的に独立したからといって直ちに従属状態が変わるわけではないのは当然だから、この指摘はごく当たり前のことをいっているような気もする。一九六〇年代の植民地独立ブームの後、「新植民地主義」とか「従属」とかいう言葉が盛んに使われたのも、そうした事情と関係しているだろう。ひょっとしたら、古くから提起されていたものの、形を変えた「新装版」にすぎないのではないかという気がしないでもない。
ポストコロニアル理論の元祖と目されているフランツ・ファノンは、今から三〇‐四〇年くらい前に大流行し(私自身、当時、大学に入って間もない学生であり、御多分に漏れず、かなり熱心に読んで影響を受けたことがある)、それから忘れ去られ、近年リヴァイヴァルの兆候があるようである。サイードのオリエンタリズム論が大流行してから久しいのはいうまでもないが、これについても、その内実の丁寧な批判的検討は意外なほどなされていないのではないかという疑問がある(1)。一部の理論家に刺激を与えているらしいグラムシに至っては、もっとずっと昔から、いろいろな人によってそれぞれに受けとめられ、咀嚼されてきたが、それがどうして最近こと改めて取り上げられているのか、よく分からない。「古臭い」から意味がないなどという発想は私とは全く無縁だが、ともかく長い年月の間に流行の盛衰を経てきた議論を改めてとりあげるに際しては、どういう事情で流行から一時去り、どういう事情で再発見されようとしているのかをきちんと論じる必要があるだろう。ところが、そうした説明も、私のみる限りではあまりなされているようにはみえない。もう一つ気になる点として、ポストコロニアル理論家を含む広義の「ポストモダニズム」の系列に属する人々の言説には、しばしばやや奇をてらった表現があり、実質的な意味を離れて、漠然とした雰囲気でもって読者を幻惑するところがあるような気がしてならない(2)。だからといって、ポストコロニアル理論そのものが無意味だと性急に決めつけるのではなく、その問題提起を受けとめつつ、それを皮相な流行にとどめず、じっくり考えることが必要なのではないだろうか。こうしたことを漠然と感じていた中で本書を読んだので、これを手がかりに、少しでも自分の考えを深めることを試みたいと思い立ったわけである。
本書は論文集の常として、必ずしも一貫した論理で組み立てられているわけではなく、体系性をつかむのが難しい。先に触れたように、「他者」「異文化」を認識しようとする営みは歴史学・外国研究・比較体制論などに共通するところがあるが、本書ではそうしたことはあまり意識されず、ひたすら人類学の内部での議論を進めているようにみえる。もっとも、「人が何ごとかを認識するとはどういうことなのか」という根本問題に関わって、哲学者の議論はときおり参照されている。哲学にまで立ち戻って認識論を鍛え直そうという態度自体は共感できるが、「専門分野としての人類学」と「専門分野としての哲学」が接合されただけでは、この二分野を専門としない読者には、取っつきが悪い印象を与える。あちこちで、「これは、話を広げると、いろんな方向につながる可能性があり、私自身の研究と結びつくかもしれない」ということを感じさせるものの、そのような印象を与える一節のすぐ次で狭い専門の議論に戻ったりしているため、読みながら著者たちと対話するということがなかなかできない。
こういった事情があるため、各論者の議論が十分内在的に理解できないという限界があるのだが、ここでは敢えて自分の問題意識に引きつけて――つまり、各論者の議論の進め方に沿ってではなく――論じることにする。このような論じ方が我田引水の危険をはらむことはよく承知している。だが、敢えて居直り的に弁明するなら、中途半端な「内在的」理解のポーズは、実は、往々にして相手の「他者性」の消去になってしまうのではないだろうか。それよりもむしろ、どこまで自分の側に引きつけられるかを検討することにより、どうしても引きつけられない「他者性」を明確にすることもできるのではないか。
本書は私にとって専門外の分野に属する論文集という意味で、一つの「異文化」の実例ともいえるが、この小文は、自分にとって「他」「異」であるものを、その「他者性」を消去することなく、「他」「異」のままにとどめながら論じようとする一つの試みでもある。
「他者」とは何か
他者を理解し、論じるのが難しいということは、どのような「他者」を相手にしても同じようにいえることである。だが、人類学の場合、そうした一般論に尽きない特殊事情があるのかもしれない。人類学は伝統的に、西欧からみて「未開」とされる地域の社会・文化を観察対象としてきた。先に私は、歴史学も外国研究も他者を理解しようとする点では同じだと書いたが、「文明国」を対象とする歴史学や外国研究の場合、研究者が属する文化とは異なる文化を研究する作業であっても、それが「人類学」の一種とされることは従来あまりなかった。「文明国」とは異質で、一段劣った文化が「未開」の地にはあるという了解が初期にはあっただろうし、その後、「劣った」「野蛮」というようなレッテルが使われなくなってからも、今度は、「文明国が失ってしまった自然の健全さ」のようなものがあると想定され、いずれにしても、「文明国」とは異質の存在があるという想定のもとで、その地を観察する作業が人類学の課題をなしてきた。そしてまた、複雑な分業に基づく「近代文明」が発達していないので、法律・政治・経済などの分化した諸側面をそれぞれの側面ごとに固有の論理(ディシプリン)で分析する――「文明国」を相手にするときはこれが普通のやり方となる――のではなく、「フィールド・ワーク」ということをほとんど唯一の武器として対象に迫るということがなされてきたようにみえる。
ところが、時代の進展につれて、かつて「未開」とされてきた国・地域も近代化の波に洗われ、「近代的」な法律・政治・経済などがそれらの地にももちこまれるようになった。その結果、アフリカであれ、東南アジアであれ、政治学とか経済学とかいった分野の研究対象でもあるという風になりつつある。もし、「近代文明とは異質の文化」――「未開」「野蛮」などの言葉はもはや使わないにしても――ということを前提にするのが人類学だとすれば、もはやそのような対象は、少なくとも純粋形としては過去のものとなりつつあり、ひょっとしたら博物館に保存されるのみとなっているのかもしれない。とすると、人類学固有の対象はどこに残るのかという疑問が人類学者に生まれても不思議ではない。
もう一つの問題点として、人類学という学問自体が欧米帝国主義・植民地主義の共犯者だったのではないかという糾弾にさらされ、それをうけた倫理的反省の問題をかかえているという事情も、現代の人類学が「転機」意識をもつ大きな契機になっているのだろう。こういう風にみてくるなら、最近の人類学が種々の面で深刻な反省を迫られているという自己意識をもっていることはそれなりに理解できるように思われる。
まず、何を「自己」とし、何を「他者」とするのかという点から考えてみよう。おそらく、かつての人類学は、《近代西欧文明=自己、アジア・アフリカなどの社会=異文化=他者》という確固たる図式を前提して、前者の側から後者を理解しようと努めてきたのだろう(3)。その理解がどのくらい浅いか深いか、またあからさまに差別的かそれともむしろ差別克服を目指しているかは、場合によって様々だとしても、ともかく先の図式に立って前者の側から後者の側に接近しようとする姿勢自体は共通していたと思われる(ついでながら、この図式において日本の人類学者がどちらの側に属すかは微妙な問題である)。とすれば、その図式自体を反省し、何が「自己」で何が「他者(異文化)」か――これはまた、誰が「見るもの」で誰が「見られるもの」かという問題と関係する――について考え直す作業は、人類学にとって一つの根本的な自己点検を要しただろう。たとえば稲賀繁美の次のような文章に、そうした感覚が窺えるように思われる。
「国際化時代における異文化理解の促進といったお題目の背後には、自国の文化を自明なものとし、それと異質なものを弁別する二分法が、厳然として存在する」(七九頁)。
ここで批判されているのは、「自文化は容易に理解可能、異文化は理解不能」といった図式である。しかも「自文化/異文化」の区分はしばしば国民国家レヴェルでなされる(「自国」=自文化、「外国」=異文化というように)。このような区分が固定化されるなら、いくら「異文化を理解しましょう」などと呼びかけられても、「自分たち」=「自分の国家/国民」=「分かり合える間柄」という構図自体は不動の前提として温存されるし、「国民」という軸が特権化されることで、他の軸――ジェンダーや宗教――が見失われてしまう(日本にもムスリムはいるのに、ムスリム=異文化とされてしまう)、こういった風なことが、先の引用に続いて指摘されている。このような指摘は、私にとっては比較的納得しやすい。実際、人類学の素人である私がときおり人類学的な文章を読んで興味をそそられるのは、そうした文献を読むうちに、いつの間にか「自文化」と思っていたものの自明性が失われるといった経験をすることがあるからである。「他/異」を認識するということがどういうことなのかはさておき――これについては後で立ち返る――それが有意味なのは、その作業を通して、自/他の区別が揺らぎ、自明性が疑われるからこそ、認識が深まったと感じるのだろう。
「異文化」という言葉には、たとえ相手を理解しようという善意に発する場合でも、「文化」を固定的に捉え、自己/他者関係も固定した上で、一方から他方への理解を追求しようという姿勢が暗黙のうちにつきまといがちである。これに対し、自己/他者の境界であれ、「文化」という言葉で表現される集団的な行動様式の特徴であれ、もっと流動的に捉えるべきではないかという発想が、本書の執筆者の多くに共有されているようにみえる。たとえば、関根康正論文は、「異文化理解」から「他者了解」へと説く。これは、上記の文脈の中で考えるなら、共感できる発想である。
ただ、私のように最初から「他者」理解の問題に関心をもち、その一例として人類学に素人的関心を懐いていた者にとっては、ただこういうだけでは、あまり問題解決を助けてくれないのではないかという不満も残る。確かに、「文化」というと、特定の社会に固有のものがあるかの印象があり、固定化されたイメージになりやすいから、それを「他者」と言い直すことにはそれなりの意味があるだろう。また「理解」に代えて「了解」――「自己変容を伴う他者の受け止め」と説明されている(三三五頁)――と表現するのも一応は分かる。しかし、では、「他者了解」はどのようにして可能なのか、この根本問題は依然として残る。まして、「我が事として感応しようとする」などという表現にぶつかると(三四〇頁)、まさか神秘的な交感でもなかろうに、一体どういうことを指しているのだろうかと、不可解の印象が残る。いずれにせよ、問題は、「他/異なるものを理解する」とは実際問題としてどのようにして可能なのか、という点にたどりつく。
他者/異文化を深く、内面的に知るということは、認識対象とする人々の感覚を我がもののように理解することだとすると、仮にそのことに成功したとして、もう一つの難問が待ちかまえている。というのも、そこまで達したとき、「自己」の側で変容が起きて、いわば「自分」が「向こう側」に行ってしまったために、かつての「自分たち」から離れてしまい、もはや「自分たち」の仲間への伝達ができなくなってしまうのではないかという問題が起きてくる。稲賀繁美論文に紹介されているイスラーム神秘主義の譬えは、ひょっとしたらそうしたことと関係しているのかもしれない。
「蛾は炎の中で焼け死ななければ炎の『真実』を知ることはない。だが、真実を知った蛾には、もはやその『真実』を仲間に伝える術もない」(九三頁)。
では、どうしたら、「他者」を理解し、なおかつそれを「自文化」の仲間たちに了解可能な形で表現することができるのか――いくつかの角度から、この問題を考えてみたい。
「他者」理解の困難(1)――「本質主義」批判とその限界
伝統的な人類学――に限らず、「先進国」知識人による「他者」認識一般――を批判(あるいは自己反省)する際の重要な論点として、相手を特定の鋳型に押し込め、「本質」を勝手に想定することの傲慢さの指摘がある。何ごとかについて、その「本質」が固定的・絶対的なものとして与えられているかのごとくに想定する発想は「本質主義」と呼ばれるが、そうした本質主義の批判が、本書の各所で問題にされている。
「本質主義」批判という論点は、人類学に限らず、他の様々な分野でも一種の流行になっており、それに対置して「構築主義(構成主義)」というような考えがしばしば唱えられている(4)。と同時に、「構築主義(構成主義)」は、通俗的に広まっている「本質主義」的発想の批判という限りでは鋭利な武器となるが、より突っ込んで考えてみると種々の困難にぶつかるのではないかという疑問もまた、しばしば提出されている(5)。そうしたことを考えると、ただ単に本質主義をやっつけて構築主義に立つと宣言すれば、それでもってすべてが解決するというほど簡単な話ではないということになりそうである。実際、本書の寄稿者たちの間でも、本質主義を批判するのは当然として、それと構築主義とを対置して後者をとるという立場にもあまり与したくないという感じの発想がわりと強いようにみえる。そこまでは分かるのだが、ではどこに活路を求めるのかという点になると、あまりはっきりしない。
たとえば、杉島敬志による序論には、「本質主義と構築主義を対比させる議論からえられるものは少ないことが予想される。フェミニズムにおいても人類学においても、すでに多くの論者がさまざまな論拠に基づいて、それがかならずしものりこえがたいジレンマではないことを指摘しているからである」というような記述がある(一九頁)(6)。
私は杉島がこの個所で引き合いに出している文献の多くを読んでいないので、「すでに多くの論者がさまざまな論拠に基づいて」指摘していると言われると、「ああ、そうですか」としか言いようがない。ただ、「かならずしものりこえがたいジレンマではない」ということは、裏を返せば、ともかくも「結構のりこえるのが難しいジレンマ」ではあることを意味するはずだろう。とすれば、その乗り越え方について、「多くの論者」によって論証済みとあっさり片づけるのではなく、その内容を具体的に展開してほしいという気持ちをいだく。それ抜きにこのように断定するのは、むしろ難しい問題をごまかすものではないかという気さえしないでもない。
本質主義批判(実在論批判)のディレンマは、固定的・絶対的な「本質」「実在」の安易な想定を退けるのはよいとして、その後に何が来るのか、「本質」の退場の後に来るのは、ひょっとしたら果てしない相対主義ではないのかという疑問にある。このような疑問を杉島自身も意識しているが、その対応は、いわば門前払いの態度で退けようとするもののようにみえる。たとえば、次のような文章である。
「実在論の放棄が正しいことと正しくないことの区別をうしなわせ、相対主義的な混沌をもたらすという考えは虚妄である。多くの場合、この種の見解は、研究上の前提となる枠組みの選択を実在論的に正当化し、その無謬性を主張する態度に由来する」(一三頁)。
この引用文の第一センテンスは、「虚妄である」という強い断定で終わっているが、どうして虚妄なのかという理由は示されていない。実在論=本質主義批判が相対主義になってはいけないのだという決意のようなものがあり、それを問答無用の形で表明しているようにみえる。気分としては分からないではない。だが、理由付け抜きに「虚妄」だと断定するのは、かえって論理的な確信の欠如を露呈してはいないだろうか。続く第二センテンスは、「多くの場合」という限定句で始まる。確かに、このセンテンスでいわれていることは「多くの場合」正しいだろう。だが、「常に」そうだとはいえない(そのことを著者自身が意識するからこそ、この留保を付けたのだろう)。では、そうでない(少数の)場合、つまり「無謬性を主張する態度」からではなく疑問が提起されたなら、どう答えるのか。この点に杉島は立ち入っていない。これでは、議論がはぐらかされたような印象を受ける。
これと似た論点に触れている大塚和夫の議論は、私にとってはより分かりやすい印象を受ける。大塚は、言葉を用いて世界を論じる学問は「言語論的転回」を踏まえないわけにはいかないと述べ、その趣旨を敷衍して、言語は現実=実在と考察主体の間におかれた「透明なガラス板」などではなく、色や歪みも伴った「曇りガラス」であることを承認し、媒体=ガラスこそが検討されるべき対象だとする発想のことだと説明する。その上で大塚は、しかし同時に人類学は経験的実証科学でもある以上、できるだけ透明な概念によって世界を記述・分析していかなければならないとする。「おそらく他の経験主義的学問分野でも同様であろうが、人類学・民族誌学で用いられる言葉は、このように不透明さを自覚しつつ透明性を希求するという、パラドクシカルな性質をもたされる」というのである(六八‐七二頁、傍点原文)。
この「おそらく他の経験主義的学問分野でも同様であろうが」という言葉に、私は賛成する(小さな言葉づかいの問題として、「経験主義的」でなく「経験的(empirical)」といった方がよいような気がするが)。言語が「透明なガラス」でなく「曇りガラス」だというのは、およそどのような認識についても同様にいえることだろう(7)。と同時に、媒体=ガラスだけを論じていればよいというのは、哲学・言語学・記号論・文芸批評などのようなジャンルだけであり、何らかの対象を経験的に捉えようとする学問はすべて、「曇りガラス」を通してではあっても「対象」に迫ろうと試みないわけにはいかないのではないか。しかし、問題はそれをどのように実現できるかにある。
「他者」理解の困難(2)――翻訳としての他者理解
異文化/他者が「分かる」という態度を安易にとることは、他者の独自性を軽視し、「自分には何でも分かっている」と思いこむ傲慢さにつながる。このことはよく指摘されるとおりである。だが、だからといって、「しょせん分からない」と言い切ってしまったのでは、理解へ向けての努力そのものを放棄することになるし、「あの人たちは訳の分からない連中なのだから、分かろうとしてもしようがない」といった差別的偏見を放置することにも通じる。つまり、他者が「分かる」というのも「分からない」というのも、ともに安易な態度でありうる。では、どう考えたらよいのか。
「自己」にとって「異」「他」なるものがそう簡単に分かるといえないという事情は、何もアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの諸国の人々を相手にしたときだけでなく、どのような「他者」についても同様のはずである。身近な人が悩んでいるとき、「君の苦しさはよく分かるよ」と言ったら、「あんたなんかに分かるはずがない。分かった風な顔をしないで」と反撥されるといった経験は、ごくありふれたものだろう。そして、「他者」理解が難しいと同時に、だから完全に不可能というのでもなく、何とかして理解しようと試み、その努力の果てに、「心が通じた」――少なくとも、以前よりはよりよく「分かった」という気になれる――と感じることがあるというのも、すべての場合に共通である。
他者認識は確かに難しくはあるが、完全に不可能ということでもない。それがともかくも可能だということは、純粋の論理で論証できることではなく、むしろ生の条件をなしている。というのも、至る所に「他者」がいて、彼らとの関係において生が成り立っているのであり、もしあらゆる他者認識が不可能なら、そもそも生きていくことができないからである(8)。
杉島の紹介によると、E・R・リーチは異文化理解を翻訳になぞらえたという。「言語学者はわれわれにあらゆる翻訳が困難で、完全な翻訳などはたいてい不可能であることをしめした。しかし、その一方で、われわれは実用的な目的のためならば、オリジナルの『テキスト』がきわめて難解な場合でも、そこそこ満足できる翻訳が常に可能であることを知っている」(一九頁)。
翻訳の比喩はいろんなことを考えさせる。あらゆる翻訳に誤訳は付き物だと、よくいわれる。誤解のない翻訳などあり得ず、むしろ「創造的誤解」こそが有意義なのだなどという言い方さえもある。だが、だからといって、翻訳というものがおよそ一切不可能だとまで説く論者はいない(少なくとも、私はこれまで出会ったことがない)。誤訳・誤解を伴いつつ、何とかして原文の意に近づこうとする営みが翻訳であり、それは「完全」ということはありえないにしても、「そこそこ満足できる」ところまでは到達できるというのが一般的な感覚だろう。そもそも「誤解」という言い方ができること自体、どこかに「正解」の物差しが――それ自体を手に入れることはできないにしても、そこに近づこうとする目標として――あると想定するからであって、「正解」が絶対にあり得ないと考えるなら「誤解」を云々することも無意味になってしまう。
では、どうして、そんなにも難しいこと(翻訳であれ他者理解であれ)が、にもかかわらず、大なり小なり不正確さを含みながらも、何とかして可能になってしまうのか。これが問題である。
おそらくこの問題にかかわって、浜本満は、あらゆる翻訳は比喩的な等置のプロセスだと指摘する。ある言葉(現地の)を別の言葉(われわれの)に等置し、ある対象を何かに見立て、ある現象を何かになぞらえる。その際、比喩とりわけ隠喩は、差異の存在を暗黙に前提した上で、その差異を無視して行なわれる同一性の主張である。恋人を白鳥に喩える青年は、その恋人には羽毛も水掻きもないという事実を無視し、あるいはわきまえた上で同一性を主張している。しかし同じであることを主張する際の、無視すべき違いについてのこの暗黙の同意の目配せが、場合によっては致命的でありうる(二〇七‐二〇八頁)。
違っているものを、違いをわきまえつつ、それでも「なぞらえられる」として把握する。そこでは、差異が無視されているというよりも、承知の上で敢えて不問に付すことのできるものと捉えられている。では、何が不問に付せる差異であり、何がそうでないのか。あるいは、何か(未知のもの)を何か(既知のもの)に「なぞらえる」ことで理解するというとき、前者と後者は完全に同一ではあり得ないのに、それでも「なぞらえられる」――そのことによって、前者を「理解した」と思える――のはどうしてか。
浜島自身は、この論文で、ケニア海岸地方のドゥルマ人たちの「キドゥルマ」という言葉を具体例として取り上げている。この言葉を、法的制裁の比喩、自然の法則の比喩、「構成的規則」(あることを他のことと制度的に結びつける取り決め)の比喩という三通りの比喩で説明しようとする試みが紹介され、どの比喩も適切でない理由として、〈自然〉と〈社会〉(あるいは規約)という二分法自体に潜む問題があるとされる。浜本の挙げている具体例および彼の依拠する知的伝統に通じていないので、どこまで正確に理解できたか心もとないが、ここでは重要なことが指摘されているように感じる。
折角の精密な議論を粗っぽい要約におきかえることで核心的なものを見落としてしまうかもしれないが、ここでいわれているのは、従来「内在的理解」という言葉でいわれていたことをより精密に規定し直そうとしたものではないだろうか。あらゆる他者理解(の試み)は比喩であるとして、より適切な(内在的な)比喩と、より的外れな(外在的な)比喩とがあるように感じられる。では、それはどうしてか。両者をどのようにして見分けることができるのか。
他者理解を「翻訳」になぞらえるとして、翻訳には比較的容易な場合とそうでない場合とがある。アメリカにも日本にも地下鉄があり、どちらの国でも大多数の人はそれに乗った経験があるという前提条件の下で、subwayという単語を「地下鉄」という単語に置き換えるのはやさしい。というのも、それがどういう場面でどういう風にわれわれに立ち現われてくるかの理解が予め共有されているからである。だが、地下鉄というものを見たり、それに乗ったりしたことのない人に、subwayという単語を含む文章を説明するのはより難しい。まして、議会とか選挙とかいう政治制度を体験したことのない人たちにとって、それらにかかわる言葉を含む文章の翻訳は、単に「それに当たる言葉」を探すだけではすまない。そもそも「それに当たる言葉」がないし、それ以上に、そうした言葉を成り立たせるような経験も発想もない。このことは、明治期に大量の西欧起源の観念が流入したとき、それらをどのような日本語に移すかをめぐる苦闘が展開されたといった例に鮮明に示されている(9)。
浜本の出している例に戻ると、たとえば「時間を無駄づかいする」という表現は、時間が消費したり節約したりできる何かであるかのように眺める観点、そして様々な行為を時間と生産という観点で振り分ける独特の分類法を伴う生活の特殊な体制化と切り離してはあり得ない。ここで明らかになるのは、他者理解をしようとするときに、何か(被説明項)を何か(説明項)に当てはめるという作業以前に、その暗黙の前提となっている世界の構図の理解が必要だということである。そして、その作業は、翻って自分自身の世界についても、暗黙に前提しているために説明不要と思いこんでいるものがあるのではないかということを反省させるきっかけとなる。
人間は多くのことを暗黙のうちに前提し、それを自明の枠組みとして物事を考えている。そして、自分と比較的近い枠組みをもっている相手を理解しようとするときには、あまり大きな困難を感じずにすませているが、自分と遠い相手ほど、理解がますます困難になる。と同時に、そのような相手を理解する試みは、日頃いかに多くの事柄が暗黙裡に前提されているのかを明るみに出すことで、相手方の文化を理解するだけでなく、「自分の側」についても日常的な自明性を解体し、「自文化」とは何かを問いかけ、更には自/他の区別をも揺るがせるような新しい認識の契機となる。この点では、文化人類学における異文化観察であろうと、歴史学における過去の探求であろうと、外国研究であろうと、比較体制論であろうと、原則的にはみな同じである。どの場合にも、自己の物差しを自明のものとして、それで測れないものを「奇妙なもの」「まともでないもの」と片づけるような安易な理解を反省し、「我々のとは異なるが、ここにはこれなりの論理があるのだ」と理解することが、「我々の文化」を反省的に、より深く理解することの助けになる。
いま書いたことは、それ自体としては当たり前のような一般論だが、比較体制論については、やや独自な事情がある。ソ連解体以前の比較体制論(資本主義体制と社会主義体制を比較する)においては、一方の優位を弁証する護教論的な議論ももちろんあったが、それにとどまらず、両者から距離をおいてそれぞれの特徴を摘出し、その比較の作業を通して、自己がその中に住み、日頃「自明」とみなしがちな体制の特徴について「必ずしも自明でない」という反省的認識に到達しようとするものもあった。ところが、ソ連圏解体を期に、「やはり両者を対等に見る必要はなかったのだ。我々の体制はまともなものであり、奴らがこれまでとってきた体制は異常で珍奇なものだったのだ」という感覚が一挙に広まった。それにはそれなりの根拠があり、無理からぬ面もあるのだが、ともかく自己がその中に住む文化を「当たり前」「暗黙の基準」とみなし、そこからはずれているものを「異常」「劣等」と見る視点は、文化人類学的な発想の後退ではないかという危惧を感じる(10)。
学問の倫理
「知」「認識行為」が権力関係を含み、一種の政治だということが指摘されるようになって久しい。人類学の場合、そのフィールド・ワークそのものが「先進国」による植民地支配なしにはありえなかったことは明白であり、その植民地主義との「共犯」関係が指摘されるのも当然といえば当然である。たとえば、本書の大塚和夫論文は次のように述べる。
「知と権力の密接な協働(共犯)関係が広く認められている今日では、認識行為そのものがすでに一つの政治的行為であるというべきだろう。ただしそれは〔中略〕身近な日常世界の中で働く、それとは気づかれにくいミクロ・ポリティクスである場合が多いのだが」(七〇頁)。
これが一般論的にいえば正しい指摘だということは、誰もが否定しがたいところだろう。だが、問題はその先にある。「知と権力の共犯」はあらゆる認識の営みについていえるはずであり、そのことを徹底して考えると、「知」の営み自体を放棄しなければならないということにもなりかねない。では、一体どうしたらよいのか。
一つの極端な代替戦略として、「被傷性の人類学」というものが松田素二論文で紹介されている。人の心を揺さぶらない人類学には価値を見いださないという立場に立ち、近代科学の特徴である実証主義と客観主義から敢えて遠ざかり、自分自身を語るような熱情をこめて他者を語り、他者の民族誌を語る距離感で自己を語るものだという(一二九‐一三二頁)。「冷静な」実証主義・客観主義を批判し、「人の心を揺さぶる」かどうかに判断基準をおくという発想は、いまから約三〇年前の全共闘運動の中で提出されたアカデミズム批判を思い起こさせるところがある。その記憶をもつ者としては、分からないではないが、それを言い出したら果てしない泥沼ではないかという気もする。「被傷性」を前面に押し出すことは「人類学者がパンドラの箱をあけたようなものだ」という評価が紹介されているが、まさしくそうだろう。
これとは別の、もう一つの行き方として、過去の人類学の古典的テキストをとりあげて、そこに植民地主義の構造がどのように反映しているかを読み解くという作業も盛んに行なわれているようだ。これは、過去の学者に対する批判――あるいは、人類学に例をとった社会思想史研究――としては有意味な作業だろう。だが、現に異文化に接近しようとしている人類学者にとっては、これだけでは積極的な指針にはならない。それどころか、「昔の学者はこうした問題に無自覚だった。それにひきかえ、自分はその点を自覚しているから、より進歩的だ」という安直な自己満足を生み出すかもしれない。大塚が、「フィールドワークという手法が植民地主義支配の枠内で可能となってきたものであることを重々承知しつつ、それでもその手法を人類学の守るべき伝統の一つで考えるのなら」と語る(七一頁)とき、そこにあるのは、こうした問題なのではないかという気がする。
おそらく、関根康正論文で次のようにして指摘されているのも、これと同様のことだろう。
「西欧近代が覇権を握ってきた世界システムの中では、今だから言えるのだが、人類学の実践が深くオリエンタリズム構造の中に浸りこんできたことは、いわば避け難いことであったように思われる。しかし、ただ浸りこんでいただけではなく、その中にあっても西欧の人類学自身は内発的な西欧近代の自己批判を積み重ねてきたことも確かな事実である」(三二三頁)。
これに続く個所では、民族誌は「文化的フィクション(「虚偽」という意味ではなく、「創られたもの」の意)だ」とし、民族誌は制度的・歴史的制約のもとで「部分的真実」を明らかにすることしかできないというクリフォードらの指摘が紹介されている。そして関根はそれを一応受けとめつつ、ある疑問を呈示する。というのも、「部分的真実」しか書けないという指摘は、「全体の真実」を僣称する議論への批判としては有効だが、それだけでは、糾弾すべき相手の言説もそれに抗する自分の言説も同じように相対化されてしまい、闘う基盤を定めることができなくなってしまうからである。むしろ、「良くない」暴力的なオリエンタリズム的「部分的真実」と、それに抗して構築されるべき「より良い」「部分的真実」を区別する必要がある、というのが関根の考えのようである(三二五‐三二六頁)。
あらゆる認識は限界をもち、「部分的」でしかあり得ないというのはその通りだろう(ついでながら、「フィクション」について、「虚偽という意味ではなく、創られたものの意」だという説明は興味深く、他の様々な分野に応用のきく指摘だと思う)。また、認識の「部分性」の指摘だけではどのような認識も等価になってしまい、「闘う基盤」がなくなってしまうから、何とかして「良くない」部分性と「より良い」部分性の区別を見いださねばならないという発想も分かる。だが、問題はどうやってその区別を見つけだすかである。この点に関し関根は、次のように書く。
「人類学の中心的方法としてのフィールドワークは、その重要性を減じていない。〔中略〕。現実という『ある世界』の具体相に学ぶ現場主義は、人類学のみならず、社会科学の基本的方法であり続ける。〔中略〕。民族誌はその客観性、科学性が疑われてフィクションの側に引き寄せられたとしてもすべてが恣意的な主観性の中で相対化されるわけではない。『セルフ』〔フィールドワークを行ない、記述を行なう人類学者の「自己」〕の問題意識が探り当てる『事実』という他者性によって突き動かされて書かれている点が見過ごしてはならないポイントである。いつでもどこでも成り立つと主張する客観的実証性は疑ってかかった方がよいが、個別の問題意識と対になった妥当性としての実証性は確かに存在すると考える」(三二七‐三二八頁、傍点塩川)。
若干の疑問がないではないが――「フィクション」に引き寄せられることと「科学性」を対置するかのような表現(「科学」においても「フィクション」は必須の要素ではないのか)など――結論自体には共鳴できるものがある。ただ、最大の問題は、「『事実』という他者性」をどうやって確定するのかという点にある。その点がここでは十分明らかにされてはいない。これはどこまでも難問として残りそうな気がする。
他者の「代表」「代行」可能性
これまではやや抽象的に学問の倫理について論じてきたが、もう少し具体的に考えようとするなら、特に問題となるのは、「良心的」であろうとする学者が「第三世界」の人々の代弁者のような顔をして発言するときに、それはどこまで正当化されるのかという点だろう。
かつての「素朴な」人類学者は「文明vs未開」という図式を何の疑問もなく受け入れていたのかもしれないが、今日の人類学者たちは「植民地主義的偏見」を批判されるおそれを最初から意識しており、「ポストコロニアル理論」で武装していたりする。だが、そういう意識さえもっていればそれでもって免罪されるのか、という疑問から自由になるのは簡単ではない。たとえば、本橋哲也は、「ポストコロニアル著作家と呼ばれる人々の多くが、英米の研究機関に所属し、『イギリス語』によって教育や出版活動を行うことで世界中に聴衆と読者を獲得する」としたら、「講壇ポストコロニアリスト」は「安全」な位置に身をおくものの偽善でしかないのではないか、という疑問を提起している(三五六‐三五七頁)。
大杉高司論文にも次のような指摘がある。抑圧されてきた他者の文化実践や言説を「主体的抵抗」とか「戦略」と名付けるのは、その位置を評価し、高める行為だが、にもかかわらず、それを名付けているのは研究者であるという「ねじくれた関係」がある。そして米国の学者たちが様々な種類のサバルタンとの連帯を競って表明するのは「『サバルタン』の神聖化」になっているという(二七四、二七五頁)。つまり、連帯の表明が、サバルタン(被従属者)への無媒介な自己同一化へと容易に横滑りしてしまうということだろう(11)。
こうしたディレンマを考えると、異なる文化の間に生きる人――異文化の研究に出かける人類学者であれ、たまたま外国に住むことになった人であれ、通訳・翻訳などに携わる人であれ――は、コウモリのような境遇に陥りがちだということになる。もっとも、そのことを「ディアスポラ」という言葉を使って美化する風潮もあるらしいが、これについては次のような疑問(稲賀繁美の引用するチョウの指摘)がある。
「だがディアスポラとは定義からして、すべての体制から排除され、安住の土地など存在しない境遇のことではなかったか。たとえそれが北米の大学アカデミズムといった人工空間であれ、ディアスポラの共和国といったものが出現した瞬間、そこの住人たちは、もはやディアスポラたる境涯を生きてはいまい」(九〇頁)。
稲賀繁美論文は、「誰がどの文化を表象・代行し、その代表たる権利をもちうるのか」という問題を提起し、「しょせん『西洋人』には『日本』は理解できない」「『男性』に『女性』が分かるはずはない」「ムスリムにとってのみ正しくイスラームは理解できる」といった発言がしばしばなされることを指摘している(七八頁)。ここで「西洋人」「男性」の側は、あるディレンマにさらされる。というのも、こういう発言を突きつけられると、現に「ムスリム」でも「女性」でもない人は――特に、「良心的」であろうとするほど――たじろいでしまうからである。だが、こうやって相手をたじろがせてしまうような発言は、党派的なレッテル貼りになりかねない(12)。それにまた、「他人の痛みを理解できないことは非難されうるが、安易に他人の痛みを理解できる、などと言い張るのはかえって傲慢だろう」という問題もある(七八頁)。では、どうしたらよいのか。
ここで使われている「表象(representation)」という言葉は特殊な専門用語で、一般人には分かりにくいが、同じrepresentationを「代表」と訳すなら、「代表制(間接)民主主義と直接民主主義の比較」といったような文脈で使われる言葉であり、ずっと分かりやすい。誰かが誰かを「代表する」という場合、「代表される」はずの人々の意思や利益がどこまで適切に「代表」されるかといえば、百パーセントの適切さなどあり得ず、大なり小なり「歪曲」の要素が含まれることは当然である(だからといって、「代表制民主主義」をやめて、もっとすぐれた政治制度をつくれるかといえば、これは別問題である)。
あるいは「代弁」と言い換えるなら、もっとどぎつくなる。「代弁者」というものは、往々にして胡散臭い存在である。弱者を代弁すると称して悪徳弁護士とか無責任なジャーナリストなどが当の本人を食い物にするなどといった話は、ごくありふれたものである(これも、そうした「悪しき代弁者」を排除して、「真の代弁者」を探し出すか、あるいは「弱者」本人が自己の意思と利益を直接主張し、実現するというようなことがどうやって実現できるだろうかと問うなら、なかなかの難問である。「エセ代弁者」を排除すれば済むというほど単純な問題ではない)。
革命運動にかかわる古典的な用語でいうと、「代行主義」という言葉がある。古くから、レーニン的「前衛」論を批判する際に、「代行主義」――プロレタリア大衆の代わりに、「前衛」を自認する少数の知識人革命家が指導権を握る――という言葉を使い、それに対置するものとして、トロツキーなりローザ・ルクセンブルグなりグラムシなりに依拠しようとするといったタイプの議論は繰り返し提出されてきた。しかし、レーニン的前衛党主義を「代行主義」と批判する人もまた、多くの場合、自分自身が知識人であって、結局のところ「もう一つの代行主義」に陥ってしまうというのが、これまでの種々の左翼思想史の示すところだった。左翼知識人が「プロレタリアート」をどのように代表・代弁・代行するかという問題と、「西洋人」の学者が「第三世界」の人々をどのように代表・代弁・代行するかという問題とは、このようにみれば並行関係があることが分かる。どちらの場合についても、既存の代弁者の胡散臭さを暴くのはやさしい。だが、ではどうすればそれを乗り越えられるのかとなると、決定打はなかなか見いだせない。
このことと文脈がぴったり重なるかどうかは定かでないが、「異文化を語る権利」をめぐる太田好信と杉島の論争は、ある種の接点があるように感じる。杉島の紹介によれば、太田は次のように語っているという。
「異文化を語る権利は、いったい誰のものなのか。〔中略〕。そもそも他者を語ることは、誰にもできないはずであるから、結局は、その社会内部の人間にも権利はないわけだ(自らの家族を代弁することすら、大きな問題をはらむことが想像される。)」(三七頁)。
このようにいう太田に対し、杉島は、「だが、われわれは頻繁に他人について語っている。それは誰にもできないどころか、誰もがおこなっているといっても過言ではない」と反論する(同上)。
この応答は、私が太田の原文を読んでいないせいもあって、文脈がとりにくく、真意をつかむのが難しい。誤解になるおそれを承知の上で感想をいうと、「誰にも権利がない」という太田の議論は、論理的には徹底性をもっている。確かに、自分の家族のように身近な存在についてさえ他人が代弁することは問題をはらむ。まして、ある民族の人について同じ民族に属する別の人とか、ある女性について他の女性とかが、どこまで代弁の資格があるかと問えば、どの場合も完全な資格を主張することはできないだろう。と同時に、ここまで徹底して考えると、要するに誰も語れないということになり、現実的には無意味なものになってしまう。杉島の反論はその点を衝いているかのようだが、では誰がどのように語ればよいのかということを具体的に明らかにしておらず、十分な説明になっていないように感じる(13)。
いろいろな例を挙げてきたが、これら一連の問題の根底にあるのは、「先進国」の知識人=見る者、「未開」の地の人々=見られる者という図式の動かしがたさである(男性=見る者、女性=見られる者、としても同様であり、「サバルタンは語ることができるか」という議論もこれと関係するだろう)。このような図式が不動である限り、「先進国」の知識人は――あるいはまた男性は――いくら「良心的」であろうとしても、所詮は、高みから見下ろす形で恩恵的な態度をとるに過ぎないのではないかとの批判にさらされる。この批判は、当たっているといえば当たっている。ただ、ではどうすればよいのかといえば、少なくとも個々人のレヴェルでは解決はあり得ない。「先進国」vs「発展途上国」とか、「男性」vs「女性」といった力関係が構造的に変革されない限り、その中における個々人は、その図式から完全に抜け出すことはあり得ないからである。
しかし、ただこういう風にだけ言い切ってしまうと、力関係を根本的に変える以外に手がないということになり、これは学問の問題というよりも政治闘争の問題になってしまう。革命が来ない限り改良は無意味だという古典左翼の議論を思い出させられる。また、「構造」を固定的に考えると、かえって個人の選択の問題が抜け落ちてしまいかねない。「構造」というものは、一挙に打ち倒したり、転覆したりすることはできず、執拗な拘束力を発揮するものだが、と同時に、常に微妙な揺らぎにさらされているものでもある。個々人が個々の行為でなしうることは、むしろそうした揺らぎへの着目ではないだろうか。
「見られるもの」の側に位置づけられてきた人たちにしたところで、実際には、相手を「見る」ことをしていないわけではない。たとえば、「未開」の地の人々が「先進国」からやってきた文化人類学者を観察して、いろいろと思いをめぐらすこともあるだろうし、女性が男性を観察し、内心あれこれと評価する――そして驚くほど鋭い評価を下す――というのは、珍しくも何ともない、ごくありふれた現象である。ただ、社会的に劣位におかれた人は、自らの観察を表現するのに適切な概念を持ち合わせていないことが多い。概念やそれらの配置自体が、社会的に優位な人々によって構成されているからである。また、社会的劣者の観察は、たとえ語られたとしても、あまり注意をもって聞き届けられることがない。そうした意味で非対称性は確かに否定しがたいが、ただ、これも絶対的な差異ということではない(14)。
ともかく、ここで視点を転じて、「被抑圧者」の側から問題を考えてみることにしよう。
対抗戦略とその限界
この小文では、これまで主として「先進国」の側に属する学者たちが、たとえ良心的であろうとしても「支配」の構造にはまりこんでしまうのではないかということにかかわる論点を取り上げてきたが、次に、目を転じて、「第三世界」の人々――あるいは、それとアナロジーして考えられる、種々の「被抑圧者」たち(たとえばフェミニズムの議論で論じられる女性)――が、どのようにしてその構造に対峙するのかという問題を考えてみたい。
北米の知識人がこの種の問題にぶつかって模索している分には、その模索のあり方について種々の議論があるにしても、まだしも深刻さが軽いかもしれない。これに対し、在日コリアンが「学者集団やマスコミ共同体から、彼らが自分たちの政治的な正しさを保証するがためのアリバイとなる原稿を依頼され」、その声が「出版媒体や学問市場の健全さを見せびらかすための消費財へと還元され」るというような状況の指摘は、ドキッとさせられるものがある(九六頁)。あるいは、「ポストコロニアル言説は、旧植民地の第三世界を出奔し、欧米のアカデミアで地位を獲得したポストコロニアル知識人『主体』が、自己自身に関するイメージをなぞるようにして世界を構成して見せたものにすぎない」というような指摘もある(二七九頁)。こうした状況についてどのように考えるべきかは難問である(第二の引用文を紹介した大杉論文は、末尾で回答らしきものを呈示しているが、この部分はよく分からない)。
ともかく、抑圧とか支配とか差別といった構造があるとき、それにどのような対抗戦略を対置するかというのは、多くの人に共通する問題意識である。一つの考え方としては、これまでおとしめられていた文化の復権という道がある。だが、これは、それ自体がもう一つの抑圧を生みかねないという問題がある。というのも、どのような文化であれ、ある人がある文化に属するという見方をした途端に、その人をその文化に縛り付けてしまうからである。
この点に関わって、松田素二論文は、「文化というコンセプトには、人間を一括りに分節し均質化する、抑圧的な力が秘められていたのである」と指摘する(一二五頁)。このことを踏まえ、松田は多文化主義の「まやかし」を次のように批判する。一つは、その前提として文化の境界が確定され固定されることである。ある民族の文化を保護したり政治的自治を与える政策をとる場合、「権利を付与する対象が、流動していたり境界があいまいだったりすることがないように、保護し救済する対象が確定される」が、そのこと自体が固定化によって新しい問題を生むのである。またもう一つは、「差異の尊重」という場合、「一段上位に立って、諸差異をコントロールしジャッジする力を行使する存在が付随している」(一二六頁)という問題もある(15)。
この論点は、「反本質主義」に対する疑問につながる(認識における「反本質主義」の問題については前述したが、ここでは倫理あるいは政治的立場に関わる「反本質主義」が問題になる)。「反本質主義」は何らかの集団をひとくくりにする発想を批判するが、その立場を貫くと、種々の被抑圧者集団も一体の存在ではないのだから、そこでの連帯を生み出すことが難しくなる。その点に注目して、「反本質主義」はポストモダニストによる非政治的な言葉遊びに過ぎないと批判し、むしろ本質主義に回帰しようとする傾向も一部にあるらしい。松田はこれを、「周縁化された人々が防御的な集合的アイデンティティを築き上げる現象」、「アイデンティティ・ポリティクスT」などと表現している(一三七‐一四〇頁)。これはおそらく小田亮のいう「戦略的本質主義」につながるだろう。
小田亮論文によれば、被抑圧者の対抗的アイデンティティの形成をどう評価するかをめぐり、ポストコロニアル理論は大きく二つに分かれる。一つは「戦略的本質主義」で、この立場によれば、周縁部の抑圧されてきた弱者が単一のアイデンティティによって抑圧者に対抗するためのアイデンティティの政治学は、従属者たちを抑圧してきたオリエンタリズムとは違い、非難すべきものではなく、むしろ抵抗のための戦略に必要な一段階として評価される。もう一つは「クレオール主義」で、これは単一のアイデンティティはたとえ対抗的なものであっても抑圧的にしか機能しないと批判し、それに代えて文化的な多様性ないし異種混淆性を擁護する立場である。小田によれば、前者の「戦略的本質主義」は、たとえ一時的なものと留保されていても、集団内の異質性や多様性の抑圧を招いてしまうという問題がある。他方、後者のクレオール主義は、現にある支配‐被支配関係を隠蔽して美化してしまう危険があり、カリブの知識人にとって批判対象だったはずのコスモポリタニズムないし普遍的市民主義に似てしまうという(三〇一‐三〇三頁)。
このような隘路の指摘において小田の議論は鋭い。だが、そこからの活路として、「クレオール主義と戦略的本質主義とのあいだの二者択一のディレンマは、近代性のゲームを拒否するのではなく、そのルールに違反しながら参加することによって、ディレンマではなくなる」(三〇七頁)というのは、どういうことをいおうとしているのか、よく分からない(16)。「ツリー」(樹状非交叉図式、ハイアラーキー的統合、単配列的分類)と「セミ・ラティス」(網状交叉図式、多配列的分類)を対比して、後者を「もっとも有効な抵抗の戦術」とする議論(三一三‐三一四頁)も、興味を引かれはするものの、その具体性、またどこまでの有効性をもつのか――「もっとも有効」とまで言い切ってよいのか――については疑問が残る。
この問題は、アイデンティティー・ポリティクスという点で、フェミニズムの議論と重なるところがある。実際、松田素二論文は一連のフェミニストの議論によりながら、「トランスフォーマティヴな戦略」の意義を説いている。そこで紹介されているフェミニストのフレーザーは、マイノリティ集団の固定化とアイデンティティの強化ではなく、「マイノリティを取り巻く文化規範自体の構造を変形させ、それに張り付けられた固定的なアイデンティティを揺さぶる戦略」を説いており、それは「既存の差異を動揺させ、将来の新たな形式の再集団化を可能にする」のだという(一四二‐一四三頁)。
確かに、既存の枠組みを前提しつつこれまで劣者だった集団を保護したり再分配を図ったりするという戦略(多文化主義やアファーマティヴ・アクションがこれに該当する)に比べると、枠組み自体を変形させていこうとする戦略は、よりラディカルなものといえるだろう。だが、既存の差異の動揺はいいとして、「将来の新たな形式の再集団化」とは、具体的にどのようなものを追求しようとするのだろうか、それが新たな抑圧に導かない保証はどこにあるのか、という疑問がどうしてもつきまとう。しかも、ここで紹介されているフレーザーは「既存の再分配システムの構造を根源的に見直すトランスフォーマティヴな戦略」として「社会主義的な生産関係の樹立」を唱えるというのだが、「選択肢としての社会主義の内実に関する突っ込んだ検討はなされていない」というのでは、落胆させられる。一体どうして、それが「構築主義のジレンマをめぐる議論を一歩進めたことは間違いない」などといえるのか、この紹介では分からない。バトラーの「『女』というカテゴリーの中味を前もって定めないような連帯の可能性」(一四四頁)についても、同様の疑問を懐く。暫定的なアイデンティティが生成されたり放棄されたりするとか、固定化され構造化される刹那に解体され、流動し始めるものだという説明はそれなりに受け入れられるが、そのように流動的なものがどうして「連帯」の基盤になるのか、不明としかいいようがない。
その他のいくつかの点について
いくつかの論文で内戦的状況のことが触れられている。これは現代のアクチュアルな問題であり、私自身の専門研究のテーマともふれあうが、それだけでなく、理論的にみても興味深い問題を提起しているように思う。というのも、これまで取り上げた議論のほとんどは、「先進国vs第三世界」という構図で論じられていた――それと関連して、「抑圧者」=「先進国」、「被抑圧者」=「第三世界」という判断はほぼ自明だった――のに対し、多くの内戦は「第三世界」の内部ないしその周辺で起きており、そこにおいて、どちらが「抑圧者」「侵略者」であり、どちらが「被抑圧者」「被侵略者」なのかは、とても自明どころではないという問題があるからである。
内戦の当事者たちは、それぞれに自己の側を「被抑圧者」「被差別者」「被害者」とする構図を描く。だが、観察者がそれを信じた途端に、反対側からの激しい批判にさらされることになる。セルビア人、クロアチア人、ムスリム人の間の衝突であれ、アルメニア人とアゼルバイジャン人の衝突であれ、ユダヤ人とパレスチナ・アラブ人の関係であれ、みな同様である。アフリカにおける内戦の研究に従事している栗本英世が、ユーゴスラヴィア内戦に関する岩田昌征の文章(『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像』)を引用している(一一五‐一一六頁)のは、私自身の専門とも関連して、特に印象深かった。同じユーゴスラヴィアの例について、小田亮もイグナティエフに依拠しつつ触れている(二九七‐三〇〇頁)。これについては多少の疑問があるが、小田自身よりもむしろイグナティエフに向けられべき疑問であり、本論から離れてしまうので、別の機会に譲ることにしたい(17)。
もう一つ、清水昭俊が人類学におけるアメリカの覇権について具体的に叙述している個所は、他の学問分野についても大なり小なり同様のことがいえるような気がして面白かった。そこでは、次のようなことが指摘されている。
「非西欧(非白人)の学生(〔アメリカへの〕留学生)は出身社会を研究対象に選ぶよう、指導される。自社会の研究は情報を得る上で有利という理由からだが、同時に、非西欧(非白人)の学生には情報のみを期待し、理論的貢献は期待しないという、制度運営者の暗黙の了解のゆえでもある。〔中略〕。西欧諸国とりわけ中心的な国では、日本など周辺的な国の人類学者に、総じて低い評価しか与えない。ここでも、情報は期待しても理論的貢献は期待しないという壁が、立ちはだかっている」(一七八‐一七九頁)。
経済学や政治学の世界でも、アメリカの大学に留学した日本の大学院生は、アメリカの理論を「普遍的」なものとして教えられると同時に、その理論を適用する事例としては日本を取り上げるよう指導されることが多い。アメリカの理論は全世界に通用する普遍的なものだという確信を前提に、しかし、その理論を精錬したり、あるいはアメリカに適用するのはアメリカ人の仕事であり、他国(たとえば日本)出身の研究者はその理論を出身国に適用する――そして、論文を英語で書く――ことで有益な情報をアメリカに提供することが期待されるというわけである。もっとも、清水はこの論文の末尾で、日本の人類学が果たしうるユニークな役割に言及し、やや楽天的な展望を示しているが(18)、これについては、そこまで期待できるか、やや疑問が残る。
それ以外の個別論点として、「ファンダメンタリズム(原理主義)」という言葉の使い方についての大塚和夫の指摘とか、黒白二元論的な二項対立図式のことを「マニ教的」と呼ぶ用語法への清水昭俊の批判(「事実は、歴史的コンテクストからしてキリスト教的である以外にあり得なかった観念を、キリスト教徒あるいはその思想的末裔が、他者の宗教(マニ教)にことよせて侮蔑的に表現するのは、公正とはいえない」〔一九五頁注5〕)、また倫理を直截に語る前に、倫理とはどのような構造をもっているかの考察としての「メタ倫理学」(中川敏論文)などもそれぞれに興味深かった。
とりとめなく、いくつかの感想を書き連ねてきた。私はこの小文の各所で、論者の提出する問題には共感するが、回答には疑問があるといった風な書き方をしてきた。ことが難問であるだけに、安易な解決がないのは自明であり、どこまでも探求を続けるほかない。たとえ納得できる回答が呈示されていなくても、考えるべき難問を多数提出しているというだけで、本書には十分な意義があるように感じる。
(1)サイード『オリエンタリズム』についての読書ノートを参照。
(2)金森修『サイエンス・ウォーズ』についての読書ノート。また、テリー・イーグルトン『ポストモダニズムの幻想』大月書店、一九九八年も参照。
(3)もっとも、近年では、かつて観察対象だった地域から欧米に留学し、学問研究の主体になるような人も増えているはずである。彼らが「欧米社会を観察対象とする人類学」をつくりだしているのかどうかについて、私はよく知らないが、少なくとも原則的にはそうしたものがあっておかしくない。ここには、「自己」と「他者」の関係の反転という非常に興味深い理論問題が関連するように思われる。
(4)たとえば上野千鶴子編『構築主義とは何か』勁草書房、二〇〇一年参照。
(5)この点については、金森修『サイエンス・ウォーズ』についての読書ノートで、ある程度考えてみた。
(6)杉島はまた、別の個所で、「本質主義と構築主義のあいだに根本的な対立はないのであり」とも書いている(二三九頁)。
(7)もっとも、このような「ガラス」の比喩による説明自体、透明なガラスとか曇りガラスとかはどういうものなのかについての共通了解が確固としてあることを前提したものだという点で、認識論を哲学的に深めようとする見地からは批判を免れないのかもしれない。大塚自身の注13(七三頁)参照。
(8)他者を理解することは不可能だし、そもそも必要ない、「理解しないままでの共生」がありうるのだ、という考えを数土直紀が提出している。数土直紀『理解できない他者と理解されない自己』勁草書房、二〇〇一年。興味深い議論であり、安易な「他者理解」論よりは深いものをもっているように感じる。ただ、そこでいう「理解しないままでの共生」とは本当に一切の理解を必要としないのか、むしろある種の暗黙の前提の理解を背後に隠しもっているのではないかという疑問も否定しがたい。同書についての読書ノート参照。
(9)柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書、一九八二年参照。
(10)塩川『現存した社会主義』勁草書房、一九九九年、四一‐四八頁で社会主義体制研究にとっての文化人類学的発想の意義について論じ、特に最近の状況でそれが危機にさらされているのではないかと書いた(四五頁)のは、本文に書いたような事情と関係している。なお、この小文をほぼ書き上げた直後に、渡辺日日「移行期社会の解釈から諸概念の再構成へ――ユーラシア社会人類学の観察」『ロシア史研究』第七〇号(二〇〇二年)に接した。人類学者たちによってポスト社会主義社会がどのように研究されているかを広汎に概観した文章であり、その全体像にコメントする用意はないが、「移行」の到達点として「資本主義・民主主義」を安易に想定することへの批判とか、「思惟の冷戦構造」が再生産される危険性の指摘、更には、(ポスト)社会主義圏の人類学的研究は「西欧的」とされてきた様々な概念の再構成を促しているとする点など、興味深い論点を多々含む。私が本文で述べたのは、本来の意味での人類学についてではなく、たとえば経済学や政治学の世界でやや安易な「西欧的」概念の旧社会主義圏への適用が流行しているのではないかということだが、本来の人類学者の間では、より掘り下げた探求がなされているようである。私が(当時はまだ現存していた)社会主義の研究における文化人類学的視点の必要性を提唱したのはいまから一四年ほど前のことだが(塩川「ペレストロイカをどうとらえるか」上『経済評論』一九八八年五月号、六‐八頁)、その提言が予想外の新条件下で満たされつつようにあるのを見て、いささか感慨無量である。
(11)本文に書いたのは、「先進国」の研究者が「第三世界」に共感する場合にはらまれるディレンマだが、それとは逆に、「第三世界」の中に、少なくとも外見上「人権抑圧的」とみなされるような現象があって、それに批判的に対したくなるような場合に、どのような態度をとればよいのか――「先進国」側にそれを批判する資格があるのか、あるいは安易な介入を抑制すべきなのか――といった問題についても、同様のディレンマがある。たとえば、一部のアフリカおよびアラブ地域における女性性器切除の慣習をめぐって、岡真理「『同じ女』であるとは何を意味するのか――フェミニズムの脱構築に向けて」および大塚和夫「女子割礼および/または女性性器切除(FGM)――一人類学者の所感」(ともに、江原由美子編『性・暴力・ネーション』勁草書房、一九九八年所収)参照。なお、塩川「集団的抑圧と個人」江原由美子編『フェミニズムとリベラリズム』勁草書房、二〇〇一年、所収は直接この問題に取り組んだわけではないが、この議論に触発され、関連するテーマについて考えた個所を含む。
(12)同じ稲賀論文は、後の方で、次のように指摘している。「人類学者による他文化への介入をおしなべて一方的に犯罪視する立場がある〔中略〕。権力を握った多数派による少数民族研究を、制度的犯罪として告発する行為に職業倫理的義務を見いだし、そうした事例の摘発・糾弾によってひたすら自らの正義を言い募る論者の勧善懲悪の姿勢そのものには、批判者自らの自己中心的な倫理観(とそれの他者への押し付け)が露呈している」(八六頁)。ここには、「摘発・糾弾」型の発言が陥りがちな問題点が指摘されている。
(13)この個所は、この小文の前の方で認識論との関係で問題にした一三頁の記述への注となっており、本文の分かりにくさと注記の分かりにくさは対応する関係にある。
(14)たとえば、「先進国」の男性知識人にしたところで、既成のアカデミズムの作法に則ることなくラディカルに新しいことを表現しようと思うなら、適切な概念がないとか、何とかして語っても、保守的な無視にあってなかなか真意を聞き届かせることができないといった事情は存在する。そうしたことを考えると、「先進国」か「従属地域」か、「男性」か「女性」かといった二分法だけで全てが割り切れるわけではないということになる。
(15)ついでながら、この指摘はソ連の民族政策についても同様に当てはまる。ソヴェト政権は単純に諸民族を抑圧したのではなく、むしろ今風にいえば「多文化主義」に近い発想で民族文化を保護したり自治地域を与えたりしたのだが、まさにそのために、民族境界確定と民族の創出が必要となり、それが固定的な枠と化した。また、そうした政策を実施するためには、諸民族の「一段上位に」立つ存在として、中央権力が恩恵付与者として振る舞うことが必要とされた。このようにみるなら、ソヴェト政権の民族政策の問題点は、多文化主義やアファーマティヴ・アクションがかかえるディレンマと通じるものがあることが分かる。
(16)かつて同じ論者の別の論文を読んだときも同じ感想を懐き、塩川「集団的抑圧と個人」(前掲)六三頁注3で触れた。
(17)この点については、その後、イグナティエフ『ヴァーチャル・ウォー』についての読書ノートの中で触れる機会があったので、あわせて参照されたい(二〇〇三年八月の補注)。
(18)特定の社会を共通のテーマとした人類学の会議を日本で開く場合、当の社会の言語――および場合によって日本語、更に欧米諸言語――で行なうという経験が新しいタイプのネットワーク――欧米主導ではなく、現地の言語を使うことで現地人との対話を可能にする――をつくる可能性が指摘されている。おそらく同様のことは、人類学だけでなく、特定の地域に関する研究であれば一般にいえるだろう。たとえば現代ロシアの政治なり経済なりをテーマにした国際会議であれば、それがどこの国で開かれようと、ロシア語が一つの重要な共通語――おそらくそれに英語、および開催国の言語がそれに付け加わる――となり、ロシア人研究者がかなり活発に参加する。こういうことは現にあちこちで行なわれている。だが、それでもって直ちに学問の世界における西欧中心主義が是正されるといえるだろうか。
*杉島敬志編『人類学的実践の再構築――ポストコロニアル転回以後』世界思想社、二〇〇一年
(二〇〇二年四‐六月)