東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

コラム3:『森を見て木を見ず』

学習相談室

コラム3:『森を見て木を見ず』

法学部の授業は内容が高度で難しく量も多くて大変だと言われます。そのようなハードな学習のスタイルを維持していくためには、法学部での学習とは直接関係のなさそうなこと、例えば自分自身の性格や友人関係等、勉強以外のあれこれに迷い悩んでいる余裕はない、と言った声も聞かれます。

 

確かに、そうした問題に頭を悩ませていると、講義はアッという間に進んでしまい、ほんの少しの足踏みで、後から遅れを取り戻すのが大変、ということも否定はできません。でも、そうした勉強以外の事についていろいろと考えたり迷ったりすることは、法学部での学習にとって単なる障害でしかないのでしょうか。そうではなくて「勉強以外のあれこれ」と「法学部の学習」は必ずしも相互に排他的ではない面もあるのではないでしょうか。むしろ、勉強以外で自分自身や周りの人間関係についていろいろと試行錯誤を繰り返しながら思索を深めていくことは、法学部での学習にうまく結びつけることができるなら、学習をより実りあるものにするための契機ともなりうるのではないかと思います。

 

法学部の学習では国家や社会のあり方が問題とされます。いきおい、抽象的あるいは観念的な思考が重要となってきます。その反面、ややもすると具体的あるいは日常的現実的な観点が抜け落ちてしまいがちになるように思われます。しかし、そのような観点も法学部での学習においては重要なのではないでしょうか。国家や社会のあり方を問う際には、学習の対象である国家、社会に対して、学習する自分自身がどのように向き合うのか、そうした問題意識も必要なのではないでしょうか。勉強とは直接関係なくても自分自身に対する真摯な問いかけは、目を転じて国家や社会に対する関心へと結びつけるなら、法学部での学習にとっても有意味なものとなりうるかもしれません。周りの人間関係に悩むことは、国家や社会も結局1人1人の人間から成り立っていることを実感として理解できる契機となる可能性を秘めていると思います。

 

「木を見て森を見ず」という言葉があります。法学部での学習にとって特に留意すべき点を指摘するものだと思います。しかし、「森しか見えない」のも困りものです。「森」だと思って見ていたものが、実は「画に描いた森」だったりするかもしれません。木を見て森を見、また、森を見て木を見ることが大切なのではないでしょうか。その意味でも、自分自身や自分の周りの勉強以外のことについてあれこれ考え迷うことは、法学部での学習にとってもプラスの可能性を秘めていると思うのです。

 

(文章:横田)