集中講義:アメリカの生命倫理と法

T はじめに

「生命工学・生命倫理と法政策」プロジェクトでは、第2年目の事業の柱の1つとして、アメリカのロー・スクールにおいて「生命倫理と法」がどのような形で教えられているかを探求することにした。この分野におけるケースブックは、次の2種類がある。
 1)Garrison & Schneider, The Law of Bioethics: Individual Autonomy and Social Regulation (West Group, 2003)
 2)Shapiro, Spece, Dresser & Clayton, Bioethics and Law: Cases, Materials, and Problems (West Group, 2d ed. 2003)
そこで、これらのケースブックの編者であり、実際にそれらを利用してロー・スクールおよびメディカル・スクールの教育にあたっている学者2名を、2003年5月から7月にかけて招聘し、一種の「集中講義:アメリカの生命倫理と法」というものを行ってもらうことにした。
 前者のケースブックの編者からは、ブルックリン・ロー・スクールのマーシャ・ギャリソン教授、後者のケースブックの編者からはレベッカ・ドレッサー教授が、私たちの招聘に応じてくださり、この企画は実現した。この集中講義のすべてをここで報告することはできないが、それぞれのハイライトを掲げる。



U 講義の構成・目次

 全体は13講からなる。最初の8回はギャリソン教授、その後の5回をドレッサー教授に担当していただいた。
 第1講 イントロダクション
 第2講 自己決定権の意義とインフォームド・コンセント法理
 第3講 治療の停止
 第4講 尊厳死・安楽死
 第5講 他者のための代行判断 
 第6講 臓器移植 
 第7講 人工生殖 
 第8講 医療資源の配分 

 第9講 人を対象とする研究倫理に関するイントロダクション
第10講 弱者を対象とする研究;人を対象とする研究に関するその他の問題
第11講 人の受精卵を対象とする研究
第12講 出生前診断;発症前診断
第13講 行動に関する遺伝学;遺伝工学



V 講義のハイライト

★『生命倫理と法』第1講 イントロダクション

1 生命倫理と法という分野が生成した背景
 タスキギー事件など臨床試験にかかわるスキャンダルの続出
 医療不信・医師不信―それに対処する切り札としての自己決定権概念の隆盛
 ただし、Garrison & Schneider, The Law of Bioethics: Individual Autonomy and Social Regulation (West Group, 2003)は、自己決定権の過剰・問題点を指摘するためのテキストであること

2 アメリカの医療の制度的背景
 アメリカに国民皆保険制度はなく、4000万人のアメリカ人は無保険であるといわれる実態
 コスト抑制の動きと自己決定権の関係
 コストが高いにもかかわらず、乳幼児死亡率、GDPに医療費が占める割合、平均寿命などを見ても、必ずしも効率的に機能していない実情

3 キャッセル医師(アメリカの著名な医師)が提示する3つの事例の比較検討

@第一のケース;1954年;浮浪者に対して、本人・家族の同意なしに実験的治療を施す。
A第二のケース;1997年;Olgaのケース。乳がんの再発を示すCT画像と説明文書を患者に送る。事務的で技術的なデータ・事実を羅列したものであるため、冷たい文書という印象を与える。
B第三のケース;Kate のケース;末期の患者であるKateに対して、死期が迫っている事実を告げずに、複数の分野の医師がそれぞれ担当の身体部位の治療にあたり続けた。他方、患者自身は、悪いニュースを聞きたくないという態度を示した。この場合、患者は情報を望んでいない。

問1:以上の3つのケースにつき、自己決定権の尊重という観点から見て、どのように評価できるか検討しなさい。
問2:同じく以上3つのケースにつき、医師の立場、法律家の立場、一般国民の立場からみて、それぞれ医師の行為が倫理的といえるか否かを検討しなさい。



★ 『生命倫理と法』第2講 インフォームド・コンセント法理

1 自己決定権とインフォームド・コンセント法理
 第1回では、autonomy概念とその法的表現であるインフォームド・コンセントの歴史を扱った。特に患者にとって「望まない情報」の開示がbeneficence(患者の利益への配慮)原則と抵触する例をキャッセル医師の第2、第3のケースを通して考察した。

2 インフォームド・コンセント法の発展
 インフォームド・コンセント法は、アメリカで1960年代後半から判例法理として発展した。2つの有名な判例がある。
 @Salgo v. Leland S tanford Jr. University Bd. of Trustees ((Cal.. 1 957)
 A1972年のカンタベリー判決
である。当時、治療への同意を取ることは行なわれていたが、代替的処置やリスクの説明は一般的ではなかった。コーネリアス・ライアン(有名な著述家、教科書の今回の指定範囲)が受けた前立腺ガンの告知が示すように(代替処置、提案する手術のリスクを開示せず、セカンドオピニオンの要請や病状の切迫の程度についての質問を無視する医師)。現に1960年代のある調査によれば、医師の90%はガン告知をしないと答えた。また他の調査は、腎臓の左右取り違え手術というケースにおいてさえ、80%の医師が患者側の専門家証言を引き受けないと答えた。
 したがって、この当時、2つの問題があった。
    @患者には情報が知らされないこと。
    A医療過誤訴訟で、患者側に立つ専門家証言を得るのが難しかったこと。

3 カンタベリー判決の意義
 インフォームド・コンセント法理は、これら2つの問題への対処として意義を有する。だが、それでも勝訴するには、次の3つの立証をする必要があった。
 @医師が提案する治療の「重要な」(material)リスクの非開示←代替的処置の存在は含まれない。
 A「重要なリスク」は医師ではなく合理的患者を基準とする←この点が本判決の新しいところ。もはやここでは専門家証言はいらない。ただし、そのリスクが開示されていたら、合理的患者はこの手術を受けなかっただろうということも立証する必要がある。
 Bリスクの非開示と損害(injury)との間の因果関係←この点は医療的判断。また損害はactual and physical injury(現実の身体的損害)である必要があり、dignitary harm(精神的損害)だけなら認められない。

←カンタベリー・ルールは、Aで合理的患者基準を採用した点で患者寄りになったとはいえ、患者側に厳しい証明要件を課している。非常に厳しい要件で、ごく限られた患者しか勝訴できない。

4 カンタベリー・ルールを適用して、前回のキャッセル医師が提示した3つの事例で患者は勝訴可能か?
 第1の事例(1954年、同意なしに浮浪者に実験的治療)→損害がないから、勝てない。
 第2の事例(1997年、乳がん再発の告知、冷たい方法)→精神的損害だけでは勝てない。しかも、そもそも情報は開示している。
 第3の事例(Kate、各身体部位の治療に終始し、死期が迫っていることは告げられない)→各治療についてのリスク開示はあるから、勝てない。また、本人は、悪いニュースは告げられたくないという態度を示していた。

5 ではインフォームド・コンセント法理は「張子の虎」か?
 目指すべき目標
  ○重大なリスクは開示してもらいたい
  ○詳しく知りたい人には、詳しい説明がほしい(ライアン氏のようなケース)
  ○不要な情報は迷惑という人には、情報不要でよい
 このような目標に、インフォームド・コンセント法理は適合的か否か。

6 3つのインフォームド・コンセント法の比較
上記の目標達成にどれが一番適合的か?
 上記のカンタベリー・ルール、ジョージア州法と、オレゴン州法の比較



★『生命倫理と法』第3講 治療停止

1 終末期における治療停止
 Kansas v. Naramore (P228、以下ナラモア判決)の検討
   第1のケース;終末期の患者への痛み止め剤の投与による死亡。薬が死期を早めるとの説明はあったが、どの程度かは説明されなかった。家族は過剰投与を疑っている。→告発・起訴へ
   第2のケース;脳死であるとの診断をきいて患者の兄弟が治療停止に同意したが、実際には脳死診断に誤りがあった。脳死の後の治療は「無益」とされる。しかし、本件でも死の早期認定でなかったかとの疑い。→起訴。
   第1審で陪審は有罪。上訴審でそれを覆し、無罪とした判決。

  分析1)自己決定・家族の関与・医師の関与
  分析2)これらの事件につき刑事司法の役割
    刑事事件として争われるのは、アメリカでは非常にまれ。
  分析3)ナラモア判決から言えること
      
2 終末期以外の治療停止
 Bouvia判決(以下ブービア);本人が意思表示でき、終末期でもない場合。
      四肢麻痺。→beneficence, do no harmとautonomyの対立。   
 本判決は、autonomyを勝たせた。本カリフルニア州判決は、州最高裁判決ではないが、多くの州に支持されている。
 他の2つの事例との比較検討
  @マッケイのケース。10歳の時の事故で全身麻痺。その後20年以上、父親に大きく依存してきたがその父が不治の病に。絶望して自らの治療停止を求めて訴訟をおこす。
  Aマカフイ―のケース。同種の全身麻痺のケース、新聞報道によって「友の会」から連絡があり、身体障害者援助センタ―を紹介され、希望を回復して、自ら訴訟を取り下げた。
 ブービアは裁判に勝ったが、その権利を行使しなかった。多くの自殺未遂のように、「助けてくれ」との叫び。
 医療実務における治療停止;ブービア等の裁判を見て、アメリカでは治療停止が容易に認められると考えるのは早計。



★『生命倫理と法』第4講 尊厳死・安楽死

1 ブービアのようなケースで下記のうちどれに賛成するか?
   @イスラエル法では、一定の要件を満たせば医師に治療継続を認める(beneficenceを勝たせる)。 at p 266
   Aオレゴン尊厳死法は、「患者が鬱状態で決定していないこと」を要件としている at 432 (ただし、現実のオレゴン州法には、厳しい末期の要件があり、ブービア事件には利用できないが、仮に利用できるとして考える)
   Bカリフォルニア州裁判所の立場。ブービア判決を始めアメリカの多数の裁判所はautonomyを優先する。

2 オレゴン尊厳死法とイスラエル法の比較検討
 法律上の要件の些細な相違が、実は大きな差異につながる。”Devil is always in the detail”要件の細部への注意が必要。

3 アメリカでのPAS(Physician Assisted Suicide)合法化の動き
 2つのアプローチ、裁判と立法
 1)裁判;ワシントン州とニューヨーク州の連邦裁判所に、PASは憲法上の権利であるとの訴えが提起され、連邦最高裁で認められなかった。
 2)立法運動;上記判決を受けて、幾つかの州(ほとんどは西部)で州民投票が行なわれた。オレゴン州のみが成功し、他の州は僅差でPAS擁護派が負けた。
 3)賛否両論のまとめと比較
4 オランダ法とオレゴン州法の比較検討
 同様の視点から、オランダとオレゴンの尊厳死法を比較検討すると、2つの法がその具体的運用において大きな相違を生じうることがわかった。



★『生命倫理と法』第5講 他者のための代行判断

1 自己決定できない患者に3者あり
                     過去     現状   将来
  @未成年(法的に無能力者)   ×      ×    ○
  A生来の精神無能力者(典型的にダウン症) ×      ×    ×
 B後天的無能力者         ○      ×    ×

  B類型の人が増加している(高齢化社会)
  85歳以上の老人では40−50%とも

2 上記Bへの対応方法;現在能力のない人に自己決定を可能にする方法
 1)「事前指示書」(living will, advance directive)
  アイデアはよかったが、現実はそれに適応しない状況。
 2)「事前指示書」がない場合:裁判所で発展させた法理
  @「最善の利益」(best interest)ルールVS「代行判断法理」(substitute judgment)
  A前者が伝統的ルールだが、裁判所は「治療停止すなわち死が患者の最善の利益だ」とは判示したがらない。また、「最善の利益」ルールは曖昧すぎて、家族などの利益の押し付けになるおそれがある。そこで、「もし本人が決定するなら」という後者の基準が登場した。
 3)「代行判断法理」の運用:PVS患者の場合→代行判断法理 問題は証拠
 4)「代行判断法理」の運用:末期患者の場合→代行判断法理を超えてさらに最善の利益基準も
 5)立法による対応:家族同意法 at 513 とその限界
6)医療と法のギャップ
   家族の間に意見の不一致がなければ、より広い範囲で治療停止
   法と医療のギャップを象徴する。

3 精神障害者に関する強制入院および治療
 1)通常の医療なら、家族による患者の最善の利益の判断。ただし、精神科医療は別。
 2)脱施設化への動きと、それに伴う問題
  @公的な支援の欠如。 州立精神病院は重い財政負担であり、地域の治療センターを作らず、ただ野放しに。
  A地域共同体・住民からNIMBY(Not In My Yard)という言葉に象徴される、総論賛成・各論反対の声
  B法的に高いハードル:抗精神病薬の処方をインフォームド・コンセントなしに行えるかが争われた。結論としては、自傷他害のおそれがない場合であっても、それが最善の利益に適い、これ以外に手段はないことを、明白かつ説得力ある証拠で立証できれば、治療の強制が可能とした。
 問題は、副作用。精神医学の専門家が副作用は少ないと証言している場合でも、これだけの慎重な手続が必要。
 3)個人の自由・自己決定権の尊重という理想は、精神障害者についてその最善の利益を図ることに成功していない。むしろ放置される結果となっている。



★『生命倫理と法』第6講 臓器移植

1 自己決定権をめぐるディレンマ、ここでは最大の問題は需給のアンバランス。
 脳死体からの臓器提供はそう増えない現状。生体間移植が増加。
 1990年代の10年で、需要は350%増、それに対し、脳死体からの臓器提供の増加は35%。

2 供給を増やす方向性への賛否
   世論は圧倒的賛成 80−90%  救命という大義 実は医療費コストも削減
  とすれば、すぐにも供給増加策が実現してよさそうなのにそうなっていない。
  なぜか? 自己決定権を中核とする法的制約が大きい
3 アメリカの現行法制
  Uniform Anatomical Gift Act が50州で採択されている
   自己決定権を中核として、書面要件など厳しい
    @→意思表示欄にチェックなし
      しかし、それで終わりにはならない 他の証拠があればGO
    A意思表示が明確でない場合、家族がイエスといえる
    B本人の意思表示が明確なら、家族のノーは無視される
   これらはいずれも患者の自己決定権に基礎をおき、抵触しないという前提
  比較:日本はずっと厳しい法制を敷いている 本人も患者もイエス
    ただし、アメリカでも病院の実務では、実際はこれと同じ。Bは法制、実務は異なる。
4 アメリカにおける供給増加の努力
  い)医療上の努力 @プールを増やす 最適な臓器でなくとも(高齢者など)
           A脳死体でなくともという議論(無脳児・PVSなど)
  ろ)法制上の努力   @mandated choice 選択の強制
             Apresumed consent 同意の推定
             B市場メカニズムの利用
      ただし、これらは実現していない
5 アメリカにおける脳死問題 
   世論も法律家も医療界も、大きな問題としなかった
   ただし、脳死概念を拡げるところは大きな議論
     at 207 In re T..A.C.P (Fla. 1992)
     無脳児であることがわかった時点で中絶せず、母親が臓器移植提供のために死亡宣告を求めた事件。1審、2審、州最高裁ともそれを拒否




★『生命倫理と法』第7講 人工生殖技術をめぐる問題

1 厳しい中絶論争の影 両派とも自己決定権を後ろ盾に

2 人工生殖と法の現状
 クローン禁止を例外として、なんの規制もない現状
 中絶する憲法上の自由があるなら、より加害の程度が少ない事柄はすべて自由とするJohn A. Robertson教授の議論につき検討

3 男女産み分け問題(p822);2つの技術
 1)2つの技術
  @受精卵選択PGD;試験管受精によって、受精卵段階で男女を見分ける方法。100%希望どおり。望まない性の胚は廃棄。
  Aflow cytometry精子選択;精子を選択的に受精する。人工授精で簡易。胚の廃棄も必要ない。より安価。確実性は劣る。
 2)これらをめぐる3つの立場
  A.アメリカの現状;@A自由。市場に任せる。
  B.アメリカ不妊治療学会は@には反対、Aには賛成。(実際は学会員も含めて@Aともに実施しているが)
  C.ヨーロッパ条約では@A共に禁止(性別と関連した遺伝病の場合を除く)
 このうちどれを支持するか?
 3)男女産み分けを規制しにくい理由・他方、規制に積極的な議論
  「自己決定権」の議論はどちらにもなびく。→生殖に関する自己決定権
 4)ただし、例外的にはっきりしている事項もある。
 =受精卵移植問題(テキストp878);受精卵移植による成功率を上げようとして、いちどに複数の卵を使用する結果、双子・三つ子等が増えている。その場合、心身に障害を持って生まれる確率も高くなる。
 →子どもの福祉に反する。社会的コストもかかる。



★『生命倫理と法』第8講 医療資源の配分問題

1 個人の自己決定が、実は長期的な影響を他者や社会に与える場合が少なくない→限られた資源の配分問題

2 「死ぬ義務」?治療の限界とコストの問題
 John Hardwig教授の議論(テキストp905、Is there a Duty to Die? 27 HCR34(Mar 1997)ヘイステイングズ・センター・レポート掲載のセンセーショナルな論文)
 実例;87歳の母アリスが末期であったが、本人はあらゆる治療を尽くすことを望んだ。その希望に添ってあらゆる治療がなされ、結局1年半命を長らえさせた。しかしそのために、55歳の娘は貯金・家・キャリアのすべてを失った。母の寿命が最後の1年半延びたことと比べて、娘の払ったコストが多すぎると考えるか?

3 医療を受ける権利と、一定の状況で医療をあきらめる義務
 1)線引き問題;「治療をあきらめる義務」→どこで線引きをするかは難しい。
 2)告知問題とルール作成問題
 3)社会問題・政治問題;さらに配分問題を難しくしている要因として、
   @無保険者が多数いるアメリカで、さらに医療へのアクセス制限をいうことの意味
   Aまた政治的圧力も多い。Ex;マモグラフィー(乳房X線撮影)の例
   Bコスト・ベネフィット分析の実証データの不足。
⇒これらの事情から、明示的医療配分ルールを設けているところはほとんどない。
 4)例外としてのオレゴン州
  保険医療が一定のところまでしかカバーしないという制度。
 5)現状;⇒結果として、(オレゴン以外では)informal rationing mechanismに頼っている。

4 医療の選択 ◆コストと医師の倫理とインフォームド・コンセント
 ドクター・リビンスキーの議論(p931)
 例 80歳以上の患者には安価だがあまり長持ちしない人工股関節を使用するとの方針を病院のCEOが決めた場合、医師が、80歳以上の患者に手術の際、この事実を告げなければインフォームド・コンセント違反(倫理的に)になるのではないか?

5「無益な治療」問題 →重要な例として、Slow codes問題
  Slow codesは自己決定権の侵害か?適切な医療実務か?違法にすることも可能だがそうするべきか?また実効性があるか?書面同意をとるべきか?患者との話し合いが困難なことが理解できるが、それでも話し合うべきか?
←難しい問題が山積している。ひとつ言えることは、医師が死について話し合う訓練をほとんど受けていないことである。医療教育の中でもっと対応するべき側面の1つである。




★★『生命倫理と法』第9講 人を対象とする研究倫理:イントロダクション

1 ドレッサー教授に交代し、Shapiro, Spece, Dresser & Clayton, Bioethics and Law: Cases, Materials, and Problems (West Group, 2d ed. 2003)をテキストにして、以下のような内容の5回連続講義を行う。
 @医学研究倫理に関する基礎
 A被験者としての弱者問題(子どもと精神障害者)
  無作為抽出という方法
 B受精卵などを対象とする研究 ES細胞など
  研究における医師の非行 情報改ざんなど
 C遺伝子問題  遺伝子検査 特に出生前診断
    一般に遺伝傾向を調査する検査(ガンになりやすいか、糖尿病はなど)
 D行動科学と遺伝 特に犯罪に関連した遺伝的要素の利用
  遺伝子治療
 
2 アメリカにおける医学研究倫理の歴史

1)世界の代表的な医療倫理原則とその背景―大きなスキャンダルからの出発
 い)ドイツ ニュールンベルグ・コード(第二次大戦中のナチによる人体実験)
 ろ)日本 医学研究に関する戦争犯罪ありといわれる。
 は)アメリカ 軍部は、アメリカ軍本体でも人体実験 兵士は戦闘も被験者になるのも同じ戦いの一部と観念された。
 軍以外でも1945−47年のプルトニウム注入実験がある(テキスト at 198)
 これはアメリカを代表する大学病院で行われた。 
    この当時、インフォームド・コンセントはまだ知られていなかった。
2)アメリカにおける変化――ベルモント・レポートへ
 アメリカ国内ではニュールンベルグ・コードは大きな影響なし
 しかし1960年代の以下の2つの事件をきっかけに状況が一変。
   @サリドマイド事件
   Aタスキギ事件の経緯とその影響
★議会はNational Research Actを立法。1974年。その下で、 National Commission for the protection of human subjects of biomedical research を設置し、同委員会は膨大な数のレポートを提出。その集大成がベルモント・レポート

3)ベルモント・レポートの倫理原則の内容:3大原則の意味
@ Respect for persons個人の尊厳
A Beneficence善行=Do no harm
B Justice(配分的)正義
◆研究と医療の区別
1)目的 2)知識の程度 による区別

3 プルトニウム注入実験の事例(テキスト198〜199)を上記原則に照らして検討
 @事例;戦時中、爆弾を作っている兵士への影響を研究するために、末期患者に微量のプルトニウムを注入し、体内にどの程度残るかの研究が行なわれた。短期的リスクはないとされるが、長期的(10年から20年)リスクとしてはガン発生など深刻なものもある。そこで末期の患者を対象にして試験を行った。
 A検討;もし被験者ならいかなる情報を知りたいか?
 B研究目的に意義はあるか?
 C研究実施方法に問題はあるか?
 D「配分的正義」の検討 被験者は公平に選び出されているか?

4 IRB(研究倫理審査委員会)の存在意義



★★『生命倫理と法』第10講 弱者を対象とする研究;その他の問題

1 基本とする思想
 人を対象とする医学研究では、人を他の人々の利益のため利用することになる。
 1)西欧諸国での2つの思想的アプローチ
  (1)功利主義=「最大多数の最大幸福」→大きな利益を生み出すことが正しいこと。ゆえに、1人を犠牲にして多数が助かる場合、1人を犠牲にすることが正当化される。
  (2)カントに由来する権利アプローチ=「1人の命は地球より重い」→人には他者から危害を加えられない権利がある。ゆえに、被験者になることを断る権利等とつながる。
 ベルモント・レポートは、どちらかといえばまず上記(2)の立場に親和性をもつ。しかし、上記(1)功利主義を完全に否定する立場でもない。

2 IRBの役割
 1)IRB=Institutional Review Board「研究倫理審査委員会」
 事前規制という意味で、行政法的アプローチの一種。事が起きて、賠償責任を問うような事後的アプローチではない。
 2)IRBの構成員;だれがなるべきだろうか?
    アメリカの現状

3 ベルモント・レポートの適用;模擬IRBでの考えるポイント
 1)「弱者」が被験者になる場合
   @「弱者」(vulnerable people)とは? 
     い)子ども←∵自己決定権を十分行使できないから。
     ろ)精神障害者←∵同上。
     は)囚人←∵自己決定権能力には問題ないが、不当な誘因ありうる
     に)末期患者←∵同じく能力には問題がないが、末期ゆえに深く絶望
   A子どもの場合へのベルモント3原則の適用
   B精神障害者の場合への3原則の適用

4 無作為臨床試験の問題 at 257
 1)無作為臨床試験(RCT)=新薬の治験の際、被験者をランダムに2グループに分け、どちらか一方にのみ新薬を与え、もう一方のグループと比較する。医師と患者双方がどの患者がどちらに属しているかを最後まで知らされないというやり方を「二重盲験法」と呼ぶ。医師患者双方のバイアスが結果を左右しないことを保証するために、「科学的」治験の条件とされる。
 研究結果の科学性の保障には役立つが、「善行」原則から問題がないだろうか?

5 治験における「だまし」(deception)の問題 at 262
 研究の中には、被験者にすべての情報を与えてしまっては、研究自体が成立しないものもある。特に心理学、行動学の研究に多い。

6 模擬IRB;クラスを3つのグループに分け、IRBとして事案を検討
◆第1事例
 アルツハイマー新薬の事案;本新薬は、アルツハイマー患者の記憶能力や認識能力の向上に役立つ可能性があるが、血圧の上昇や深刻な腎臓疾患を引き起こすリスクがある。被験者には300ドル支払われる。アルツハイマーの初期と中期の患者に有効とされている。
◆第2事例
 違法な薬物使用につき患者がどの程度嘘をつくかの事案;被験者に10ドル支払って、「性行為による感染症のための検査だといって、尿検査とインタビューを受けさせる。しかし実際には、違法な薬物使用について医師にどの程度嘘をつくかの研究。
◆第3事例
 乳幼児突然死症候群の事案;長時間飛行機に乗った直後に突然死した乳幼児のケースを分析するために、健康な乳幼児を一晩飛行機上と類似した環境に起き、呼吸が減少するかをモニターする。一分間以上80%以下まで減少すれば実験を停止する。

6 まとめ;ベルモント・レポートは、個人にはおかしてはならない権利があるとの「権利アプローチ」に重きを置く。「個人の尊重」、「善行」、「配分的正義」の3大原則を適用する際、第1に「弱者」に対しては特別な配慮が必要となる。第2に、無作為抽出法は「科学的」治験の条件だが、患者への「善行」原則との緊張関係が指摘される。第3に、情報を完全に開示すれば成立しないような研究もあり、その際には自己決定を部分的に犠牲にして得られる利益や倫理性の検討が重要である。以上のような困難な判断を行なうのがIRBであり、模擬IRBを実際に行なってみた。



★★『生命倫理と法』第11講 人の受精卵を対象とする研究;科学者の非行

1 ES細胞とクローニング
 1)ES細胞研究とは?
 2)クローニング;クローニング技術とは?

2 倫理的問題と政策的対応
 1)アメリカの状況;
  ブッシュ大統領の決定;2001年8月9日より前に取り出されたES細胞を使った研究へならば、連邦の助成を認める。これ以上ヒト胚を破壊(殺す)しないことが趣旨。
 ⇒結果;民間部門の援助によりES細胞を取り出し、その後の研究は連邦資金で行うという便宜的手段がとられる。
 生命倫理に関する大統領委員会(ドレッサー教授も一員)の2002年報告書
 クローンを産み出すことには全員一致で反対。研究・治療のためのクローンにつき結論が割れた。

 2)ヒト胚の倫理的法的地位
   ヒトであるか、ものであるか、はたまたその中間的存在か。
   中間的存在とする先例がある。法的根拠となる複数の判決
  「特別な尊重」の意義
 3)その他の倫理問題;
  い)卵子提供者へのリスクの問題
  ろ)「危険な坂道」(slippery slope)という議論
  は)研究結果への過大な期待

3 科学者の非行
 1)非行とは何か?←故意か、過失か?
 2)訴えにつき、いかなる手続きで事実究明・評価を行なうか?
 3)非行が認められた際には、いかなる処置をとるか?←懲戒?刑罰?

 ◆事例検討(配布プリント);クマー氏はインドで教育を受けた後にハーバード大学で博士号習得後の教育を受けていた。クマー氏が筆頭執筆者となった論文のDNA細胞列(cell line)のデータに偽りがあるとして、他の研究者が訴えた。クマー氏は同データの改ざんを認めた。実際には少数の細胞列からデータを抽出したにもかかわらず、あたかも多数の細胞列からであるかのようにデータを偽造した。しかしクマー氏は、データ偽造を行なっていることは知っていたが、「研究をよりかっこよく見せようとしただけであり、このような偽造が許されない行為であるとは知らなかった」と主張。インドでは指導教官がこの種の事柄に責任を持っており、これが一人で書いた初めての論文であり、ルールを知らなかったと主張。
 グループに分かれて検討




★『生命倫理と法』第12講 出生前診断;発症前診断

1 出生前遺伝子診断
 1)遺伝子のしくみと遺伝子診断
  ←「遺伝子治療」はまだ実際に可能な段階ではなく、診断を受けても現段階での利益はさほど大きくない。
 遺伝病の形態2種;
 (1)monogenetic condition=1個の遺伝子による病気。まれ。
 (2)polygenetic condition=複数の遺伝子による。
 (3)さらに環境因子も影響するとされる。
 2)出生前遺伝子診断における倫理問題
  @劣性遺伝のケースで遺伝病の素因をカップルの双方が持っていると分かった場合;カップルが採り得る方法
  (あ)子どもを持たない
  (い)養子を得る
  (う)ドナーの生殖細胞を利用する
  (え)体外受精によって、受精卵移植前の胚の段階で遺伝子診断をする(PDG)
  (お)妊娠後に出生前診断を受ける
  A上記え)お)において生じる2つの倫理的問題;
   (1)pro-lifeからの議論
   (2)「優生思想」(eugenic)的であるとの障害者団体等からの批判
  Bwrongful birthの事例検討(750pイリノイの判決);母親が血友病の遺伝的素因があることを医師が適切に診断せず、生まれてきた子どもが血友病であったケース。両親が医師を訴えた。訴えを認めた。
  Cwrongful birth訴訟の現況
   現在多数の州では認められている。少数の裁判所と州議会(ミズーリ含む)はこの訴えを認めていない。
  Dwrongful lifeの事例検討(テキスト772pカリフォルニア最高裁判決1982年)

2 発症前の遺伝子診断と家族への警告義務
 特定の遺伝病が発覚した場合、家族・親族にも警告する義務があるか?
こちらの問題は、出生と無関係であり、誰にでも生じうる点でより普遍的課題となる
◆事例検討
トムは遺伝性の結腸癌と診断された。この病気に、自分のほかにも兄弟・いとこもかかっている可能性があり、彼らへも情報を提供するよう医師から勧められたが、それを拒絶した。結婚を目前にひかえた姉妹への配慮などからであった。しかし2年後にいとこであるスーは、この結腸癌にかかっており、かつ病気が進行しており癌転移もあると診断された。2年前にトムが知らせてくれなかったことにつき、スーはトムを訴えた。トムには、警告を与える法的義務があったか?なお、結腸癌は定期的検査によって早期発見をすれば、早期治療により深刻な事態を避けられる場合が多い。



★★『生命倫理と法』第13講 行動に関する遺伝学;遺伝工学

1 遺伝子行動学
 遺伝子行動学と刑法
 @遺伝子は全ての体の機能に影響を与える。←脳の機能にも。→「良い」「悪い」行動の原因になるか?
 オランダの家族についての研究。犯罪者が続出している家族。一定の遺伝子が見いだされる。同様の遺伝子変異がネズミに起こると攻撃的になるという実験あり。仮に、これらの研究が正しいとして、このようなケースでの犯罪者を罰することは正当か?
 A遺伝子が要因となっている場合、弁護側は、2つの種類の抗弁を出すことが考えられる。
 (1)意思に基づく行為がなく、犯罪構成要件を満たさないという抗弁。
 (2)精神障害の抗弁(insanity defense);犯罪の全ての構成要件を満たしてもこの抗弁が可能。←しかし「抗拒し難い衝動」(irresistible impulse)が要件。
 B実際さまざまな試みがある(これらの判例につきテキスト884p)が、ほとんど成功していない。

2 遺伝子と教育・雇用
 @仮に「特定の遺伝子A,B,Cを持っていれば80%の確率で優秀な法律家になる」とする。「その他の人が優秀な法律家になる確率は5%である」とする。この場合、この遺伝子テストをロースクールの入試とするのは適当か?フェアか?
 A遺伝子と教育・雇用その他に関わる問題5点
  (1)仮に能力別クラス分けの代わりに遺伝子検査を採用したらどうか?
  (2)プライバシー・情報保護の問題
  (3)教育の場合、対象は未成年者。拒否権は両親がもつのか。
  (4)家族法の分野では離婚の際子どもの監護権をめぐって、遺伝子情報が鍵となった事例あり。
  (5)出生前診断や胚段階での遺伝子診断
      いかなる特性ならそれを理由に中絶・肺の破壊が正当化されるか?

3 遺伝子治療・遺伝工学
「遺伝子治療」という用語はあってもまだそれが可能な段階ではない。研究段階に過ぎない。これは「治療のためのクローニング」が実は「研究のためのクローニング」であるのと同様である。
 1)遺伝子治療の種類
 (1)体細胞のDNA操作(gene transfer research);
 (2)胚段階(着床前)のDNA操作;

4 「赤ちゃんのデザイン」(designed baby)と倫理問題 仮説事案検討
 仮説例(配布プリント);2100年。技術が進み、胎児に対する以下の遺伝子操作が可能になった。どの目的での技術利用は許されるだろうか?なお、それぞれの成功率は60%、胎児が死亡するリスクは10%、中程度の身体的精神的障害を負うリスクが10%。
   い)ハンチントン病予防
   ろ)肥満の予防
   は)IQを25ポイント上昇させる
3つの立場のグループに分かれてデイスカッション

まとめ;遺伝子が人の行動・能力などを決定しているかにつきさまざまな研究がなされているが、うわさだけが先行し確実な研究結果は出ていない段階である。仮にある遺伝子の影響が証明されたとしても、さらに問題は残る。刑法上の責任が免除されるか?またある遺伝子が学力に影響するとして、選抜等をその検査に頼ることにも問題がある。人を形作るのは遺伝子だけでなく、環境や本人の「自由意思」である部分も大きい。それゆえに遺伝子決定論は危険である。
 遺伝子操作による治療はまだ主に動物実験段階である。しかし倫理的問題として、いかなる「赤ちゃんのデザイン」なら正当化されうるか?仮説例を検討した。両親が子どもを「道具視」しないこと、「危険な坂道」の問題などがポイントとなる。


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