「生命倫理ケース・スタディ」連載

2003年
ジュリスト4月15日号 生命倫理ケース・スタディ」連載にあたって /
               ハンチントン遺伝病の告知

ジュリスト5月1/15日号
病理解剖・司法解剖後の検体・遺体の取扱い
ジュリスト6月15日号 人工生殖の規制問題
ジュリスト7月15日号
医療事故情報の警察への報告問題
ジュリスト9月1日号
 末期医療のあり方−延命治療に関する判断枠組み
ジュリスト9月15日号 生体肝移植をめぐる問題
ジュリスト10月15日号 
臨床研究・臨床試験のあり方
ジュリスト11月15日号 患者の権利・胎児へのリスク

ジュリスト12月15日号 看護士の良心
2004年
ジュリスト2月1日号
 知的障害者の不妊手術
ジュリスト3月1日号 小児脳死移植の問題
ジュリスト4月1日号
 血液製剤と限られた資源の配分問題
ジュリスト4月15日号 救急救命士と医療行為

ジュリスト4月15日号

「生命倫理ケース・スタディ」連載にあたって


樋口範雄

T はじめに

 今日、生命倫理・生命工学に関する論点が、一般のメディアで大きく取り上げられるほど身近なものとなってきている。曰く「ヒトゲノム解読の米セレラ社、日本へ本格進出」、「凍結受精卵を年5000個処理」、「遺伝子スパイ事件のその後」、「再生医療の進展」等々。
 だが、生命倫理・生命工学分野は、従来において、法学からも医学からも遠いものと考えられ、この分野の専門家は不在かまたは存在するとしても極めて希少な存在であるという現状にある。そこで、東京大学法学部の有志教員が中心となり研究グループを立ち上げ、生命倫理・生命工学分野における専門性とは何かを追求し、新しい専門家群の養成につなげるための研究を行うことにした。医学部の関係者や他大学の研究者にも参加を呼びかけ、法律だけでは切れない難しい課題に対し共同で立ち向かおうというのである。幸い、この計画は、文部科学省学術創成5カ年研究プロジェクトとして採択され、現在、第2年度に入りつつある。本連載は、この研究プロジェクトの一環をなすものである。


U ケース・スタディの試み

 本研究グループは、まず最初の時期の活動を、学際的な議論のネットワークを拡げること、そして議論の対象となる生命倫理・生命工学に関しどのような問題が議論されているかにつき基礎的な理解を得ることにあてることにした。具体的な活動の1つが、本連載の基になる一連のディスカッションである。
 そこでは、法律家や医師やその他の専門家が集い、ある仮設例をめぐって議論する。たとえば、第1回の事例は、後に見るように、遺伝病と診断された患者がその事実を家族等には知らせないでくれと求めた場合、医師はどうすべきかという問題である。この時、医師は、どのような要素を考慮し、いかなる考え方を適用して、目前の難題に立ち向かうべきかにつき、参加者からさまざまな観点が提示される。その際に、法的な観点、法的な思考が問い直されることになる。そもそもこのような問題で法的なアプローチとはどのようなものか、それは医療専門家その他の非法律家の思考とどのように異なり、交わり、あるいは補完し合うのか。
 このような経験の積み重ねは、ひとりわが研究グループのメンバーばかりでなく、今や新しい法科大学院がスタート間近な現状において、今後の法学教育や法的思考のあり方にも深く関係し益するところがあるのではないかと考えた次第である。
 実際にディスカッションを行ってみると、それは想像以上に面白い知的体験だった。同時に、現実の中で生起する法的問題を把握し、その重要性を再認識する経験でもある。それを本誌上でそのまま再現することは難しいかもしれないが、可能な限り、専門を異にする者が行う議論のくい違いのありようと、その上で、相互理解を深めようとする試みが表現できればと考えている。
 なお、最後に付言したいのは、これらのケース・スタディでは、具体的な課題にどのような方向性で向かうべきかを、それぞれの立場から論じてもらう仕組みになっているが、それは、何らかの一義的な解答や、方向性の優劣を競うという趣旨ではないことである。提示されていく一連の課題は、いずれも難問中の難問であり、容易な解答が出せるはずもない。だが、これらが現実に生起している問題であることを認識し、それに対するアプローチや考え方も多様であることを確認することが、生命倫理や生命工学に関する検討の第一歩であることは間違いない。それは、将来的にそれぞれの問題により適切な対処法を考え、全体としても相当程度の一貫性を備えた法政策を打ち出すための第一歩であると信じている。



生命倫理ケース・スタディ Case1 
ハンチントン遺伝病の告知  

辻省次・武藤香織・樋口範雄

 45歳のS夫人は、体の動きに異常を覚え、脳のCTスキャンなどの検査の結果、ハンチントン(舞踏)病という遺伝病であることがわかった。この病気は30歳から60歳までの間に突然発現する。徐々に気力と身体能力の減退が起こり、最後の数年は患者と家族に重大な苦しみを与えて死に至る。現在はまだ治療法はない。優性遺伝による病気で、遺伝子を受け継いだ人はすべて発症し、その子どもに5割の確率で遺伝子を伝える。症状が現れる前に、ほとんどの患者は子育てを終えているので、逆にいえば、すでに遺伝子を伝えてしまっている可能性がある。ごく最近まで、ハンチントン病の子が遺伝子を受け継いでいるかを調べるすべはなかった。症状が現れるか否かを待っているほかなかったのである。S夫人のケースのように、遺伝子を持っていた祖先が比較的若く死亡していると、家系を見てもわからない場合もある。
 彼女には3人の子(それぞれ16歳,19歳,24歳で、長女は昨年結婚した)と、3人の妹(34歳、35歳、37歳)と1人の弟(40歳)がいる。甥や姪も2歳から20歳まで11人を数える。兄弟姉妹で発症した人はなく、遺伝病のリスクにも気づいていない。だが、診断技術の進歩により、発症前にハンチントン病遺伝子の存在を検査することが可能になっている。胎児について検査することもできる。
 遺伝病の専門家も彼女の家庭医も、S夫人に対し、この事実をこれら兄弟姉妹や子どもたちに伝え、彼らが50%のリスクをもつと知ったうえで人生の計画を立てられるようにすべきだと、その道義的責任(moral duty)を説いたが、S夫人は拒んだ。彼女は、自分の状況を恥じており、家族が自分を疎外することや雇用主による解雇を恐れていると言った。
 S夫人の家族は、ハンチントン病のリスクがあるということを知らない限り、自ら検査を申し出るはずもない。さらに、たとえ医師たちがリスクを知らせても、親族は検査を利用することができない。というのは、当該家系に特有の遺伝子マーカーを識別するには、遺伝病を発症した人の血液サンプルを必要とする。S夫人はこの検査に協力しないと言っているからである。
 さて、このような場合、医師たちはどうすべきか。S夫人以外の誰が遺伝病の事実とそれが家族に対しもつ意味を知るべきだろうか。公衆衛生当局としては、医師たちに対し、この遺伝病のリスクをもつ人にその事実を知らせるよう命ずるべきだろうか。
補注:この設例は、Bette-Jane Crigger, Cases in Bioethics: Selections from the Hastings Center Report 51-52 (St. Martin's Press 3d ed. 1998) に掲げられているケースである。Hastings Center Report とは、生命倫理・生命工学の研究センターとして名高いアメリカのヘイスティングズ・センターが刊行している定期雑誌で、関連の論文の他、具体的ケースとそれに関するコメントなどを掲載している。前記の書物は、そのケース・スタディの部分をまとめたものである。
 本設例は、1980年代に生じた事例を基にして作られているため、現在の医学から見て古い部分がある。最も重要な点は、ハンチントン病診断技術が進展し、S夫人の協力がなくとも、その家族や親族の血液が少量あれば、遺伝診断ができるようになったことである(ハンチントン病については、http://homepage1.nifty.com/JHDN/index.htmlをみよ)。したがって、本件の医師は、S夫人の協力がなくとも、家族や親族に遺伝疾患のおそれを伝え、遺伝診断でハンチントン病のリスクの存否を確かめる機会を提供することができる。
 その結果、医師が遺伝病の事実を伝えるか否かは、いっそう医師限りで判断できる状況が生まれた。ただし、今のところ、ハンチントン病が不治の病であることには変化がない。 元のケース・スタディにはカナダ人で病院の倫理部門長、ハンガリー人で国立の研究機関の遺伝学者、ブラジル人の大学教授で遺伝学の専門家、さらにノルウェイ人でオスロ大学遺伝学研究所長という4人のコメントが付されている。結論から言えば、医師がS夫人の家族・親族に告知することにつき、カナダとブラジルの人は守秘に傾斜したコメントを行い、ハンガリーとノルウェイの人は告知に積極的な方向性を示している。
 以下、わが国の状況に即してどのように医師にアドバイスすべきかを考慮しながら、3人の専門家がコメントする。

ジュリスト5月1/15日号

生命倫理ケース・スタディ Case2
病理解剖・司法解剖後の検体・遺体の取扱い

森茂郎・武市尚子・児玉安司
●2−1
 Kさん(42才、文筆業)は、母親(70才)の手で苦労して育てられたこともあり、母親思いである。199x年、この母親に倦怠感と皮膚の出血が生じ、これが増悪し、Z大学病院で急性骨髄性白血病と診断された。そこで担当医の指示で同病院に緊急入院し、化学療法を受けたが十分な反応を得ることができず、呼吸不全が増強して入院45日目に死亡した。
 死亡の直後、Kさんは担当医から、「これまでの治療がどうして効かなかったか、また直接の死因が何であるか、解剖によって確かめたい。医療の向上のために是非とも解剖させていただきたい」との申し出を受けた。担当医はそれまで患者さんや家族に対して献身的であったので、Kさんはこの申し出を承諾した。解剖は3時間後に終了し、担当医から、死因が、腫瘍の浸潤による骨髄不全に起因する出血と化学療法にともなう免疫不全に起因する重症の肺真菌症であったという説明を受けた。Kさんは、この説明に納得して、遺体とともに帰宅し、葬儀を行った。
 約半年後、新聞に、Z大学医学部の学園祭で、学生が、Z大学付属病院でなくなった癌患者さんのホルマリン漬けの臓器を公衆の前に展示しているという記事が掲載された。ちなみに学園祭のテーマは、「癌研究の最前線、成し遂げられたこととこれからの課題」であったが、この記事はテーマの内容にはほとんど言及せず、臓器を公衆の前に示すことに対して非難するものであった。この記事を見たKさんは、自分の母親の臓器がそのような形でさらしものにされることは耐え難いと考え、Z大学に臓器の返却を求めた。ちなみに、母親の臓器の大部分はZ大学病理学研究部の臓器置き場にホルマリン漬けの状態で保存されており、一部は顕微鏡標本(プレパラート)、およびそれを作成する前段階であるパラフィンに包埋された状態で、またのこりはそのまま凍結された状態で冷凍庫に保存されている。   
 大学はこの申し出に対してどのような対応をすべきか?

●2ー2
 Bさん(45才、文筆業)は、妻(42才)と2人の娘(16,12才)の4人くらしであった。199X年冬のある日、帰宅途中の電車の中で酔っぱらった若者と争いになり、腹部、頭部等を殴打された。Bさんはそのまま電車を降りたが、翌朝、帰宅路の人気のないところで死亡しているのが発見された。外傷があったことから事件が考えられ、警察を通じてZ大学法医学教室で司法解剖され、殴打によって発生した腹部大動脈瘤の破裂が死因と断定された。さらに詳細な検索の結果、Bさんには先天性疾患で大動脈が脆弱となる、Marfan 症候群患者であること、このためにすでに軽度の大動脈瘤が発生していたことが判明した。3日後犯人は検挙され、約1年の裁判ののち、懲役4年を言い渡され、現在服役している。
 結審の直後、弁護士を通じてBさんの妻から同教室宛て、「解剖されてとられた脳など臓器一切を返してほしい。それらを手続きを踏んで焼却したい。また、この不幸な出来事を研究対象とされるのは非常に苦痛であるので、研究に利用しないでほしい。当人が遺伝性疾患であったことを誰にも言わないでほしい。もし研究してしまったとしても、それを発表しないでほしい」との申し出があった。連れ合いの臓器が大学に保管されていることへの生理的忌避と、遺伝的素因をもつことが知られることへの防御的姿勢がこのような態度をとらせたようであった。法医学教室は、臓器を返却することはやぶさかではないが、行った研究は是非発表したいと考えている。
 この法医学教室はどのような対応をすべきか?

補注
 これらのケースの背景を若干説明する。解剖にはさまざまな種類があるが、ここで取り上げられているのは死因を明らかにするための病理解剖(ケース2−1)と犯罪捜査に関連する場合の司法解剖(ケース2−2)である。
 問題は、それらがそれぞれの目的で利用された後、さらに医学研究教育のために利用できるか否か、利用できるとしてその条件は何かという問題である。朝日新聞2003年11月13日朝刊は、日本病理学会の調査により7割の病院で検体を「目的外使用」していたことがわかったと報じ、学会では患者本人などから同意を得ておくという原則を謳った提言をまとめた(12月10日朝刊の記事も参照されたい)。また、日本法医学会では、それより前に、司法解剖・行政解剖によって得られた遺体の研究利用に関し、法医学会としての倫理的基本原則をまとめ、これらの場合、解剖自体には同意は不要であるものの、研究利用には同意を得るのが望ましいとの見解を打ち出した(日本法医学雑誌56巻2・3号319頁参照(平成14年9月))。
 他方、病理解剖をめぐって、実際に遺族が標本の返還と損害賠償を求める事件も生じている。ケース2は、これらの事情を背景にして設けられた仮設例である。
ジュリスト6月15日号

生命倫理ケース・スタディ Case3
人工生殖の規制問題

吉村泰典・米村滋人・渕史彦


 産婦人科のA医師は、Bさん夫妻とCさん夫妻の2組の不妊治療にあたっている。
 Bさんの場合は、男性の側に原因があり、非配偶者間人工授精(AID)を行うことになっているが、次のような問い合わせをA医師にしてきた。
  1)実は、Bさん夫妻は別姓問題で主義として法律上届けをしていない。だが、それ以外は実質的にもまったく夫婦として10年生活している。だから、夫婦に限るという要件を実質的に満たしており、人工授精を受けさせてほしい。
  2)ドナーについてどのような要望が出せるのかと聞いてきた。たとえば、学歴や背の高さなどは希望が出せるのだろうか。
  3)子が生まれた場合、人工生殖で生まれたことをしかるべき時期に告げるべきだろうか。さらに、ドナーの情報についても知らせるべきだろうか、あるいはそもそも知らせることができるのだろうか。

 Cさんの場合は女性の方に問題があり、卵子をC夫人の妹さんから提供してもらうという。それが認められるか否か、認められるとしてどのような点を考えるべきかという問い合わせである。その中には、若干の謝礼はかまわないかとか、生まれてきた子にこの経緯を告げるべきかなどの問題が含まれている。
 さて、A医師はどのように対応すべきだろうか。

【補注】この設例は、この数年来、厚生労働省で検討されてきた課題、「生殖補助医療につき規制すべきか、するとすればどのような規制をすべきか」を背景にしたものである。厚生科学審議会先端医療技術評価部会の下に、「生殖医療技術に関する専門委員会」が設置されたのは1998年10月のことである。この専門委員会は、2年あまりにわたる調査および討議の結果、「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療のあり方についての報告書」を2000年12月にまとめた。それを受けて、厚生科学審議会の下に生殖補助医療部会が設置されたのが2001年6月、そして、2003年4月28日、「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療の整備に関する報告書」が公表される運びとなった。その内容については、インターネット上では、現在のところ、4月10日会合の資料としての報告書案が厚生労働省のホームページに掲載されている(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/04/s0410-3a.html)。また、委員の1人である石井美智子教授による「非配偶者間生殖補助医療のあり方―厚生科学審議会生殖補助医療部会の審議状況」ジュリスト1243号19頁を参照されたい。厚生労働省では、報告書を基にした法案を来年の国会に提案する方向だと聞いている。
 この報告書の内容として、マスコミなどでは、子の出自を知る権利を認めたことなどが、特に大きく取り上げられた。だが、それ以外にも、重要な論点を多々含む。
 ここでのディスカッションは、国レベルでの検討会や審議会とは関わりなく、この種の問題をいかに考えるべきか、3人の方に意見を寄せてもらったものである。

ジュリスト7月15日号

生命倫理ケース・スタディ Case4 
医療事故情報の警察への報告問題

加藤紘之(北海道大学医学部教授)児玉安司(弁護士)佐伯仁志(東大法学部教授)

 研修医であるA医師は、担当の患者Bさんがまだ子どもで動きが大きく、MRIがうまくとれないため、鎮静目的でネンブタールを投与した。だが、誤って5倍量を投与してしまった。MRI検査中にBさんに呼吸不全が生じ、ICUでの治療となった。だが、低酸素状態が一定時間続いたため、脳に障害が残った。
 A医師が属する日本外科学会では、2002年7月に「診療行為に関連した患者の死亡・傷害の報告について」と題するガイドラインをまとめている。それによれば、
 「以下に該当する患者の死亡または重大な障害が発生したと判断した場合には、診療に従事した医師は、速やかに所轄警察署への報告を行うことが望ましい。
 ・・・・・
 1.何らかの医療過誤の存在が明らかであり、それが患者の重大な傷害の原因となったと考えられる場合。・・・
2.診療に従事した医師は、患者本人または家族に対し、患者の重大な傷害の原因について十分な説明を行い、所轄警察署への報告について理解を得るよう努めなければならない」
 しかしながら、A医師自身は警察に報告するのはためらいがある。ミスをしたことは認めており、Bさんの家族にそれを伝えて謝罪するが、犯罪を行ったとまではいえないのでないかと考えている。

【補注】この設例の背景には、近年、医療事故について刑事司法の役割が重視されているという事情がある。たとえば、つい最近も次のような報道がなされた。
 「東大病院で手術ミス 75歳死亡― 東大付属病院(東京都文京区)で胸の大動脈瘤(りゅう)の手術を受けていた東京都江東区の無職男性(75)が、誤って大動脈を傷つけられて翌日に死亡していたことが分かった。病院側はミスを認めて遺族に謝罪し、警視庁に届けた。同庁は業務上過失致死の疑いもあるとみて、司法解剖して死因を特定するとともに病院側から事情を聴いている」(朝日新聞2003年5月16日夕刊(東京本社版))。
 ここで当然のこととして読み飛ばしそうな部分である「警視庁に届けた」ことの意義を問うのが本設問である。ミスがあれば遺族に対しそれを明らかにし謝罪するのはまさに当然としても、警察に届け出ることはどのような意味を持つのだろうか。この問いに関連する事項としては、次のような事柄がある。
 @1994年、日本法医学会は、警察に報告すべき異常死の解釈として広い範囲を対象とする趣旨のガイドラインを公表した。
 A2002年、設例にあるように、日本外科学会は、死亡のみならず重大な障害の場合にも報告を行うことが望ましい旨のガイドラインをまとめた。
 要するに医療界は、警察への報告に積極的なように見える。だが、ここにはさまざまな問題がある。
 1)刑事手続上、法医学の専門家や病院が警察に報告するのと、執刀した医師が報告することには大きな違いがある。前者は刑事責任の対象とならないのに対し、後者はまさに直接の対象となりうる。
 2)アメリカでは、医療ミスにつき刑事訴追が行われることはきわめて稀だという指摘がある(ロバート・レフラー「医療ミス・安全・公的責任」アメリカ法2003年1号掲載予定参照)。医療事故防止はすべての人の願いであり、その実現のためにさまざまな方策がある中で、わが国において刑事法が担うべき役割は何か。
 3)法律上の義務と医療倫理上の義務との関係はどのようなものであるべきか。外科学会ガイドラインでは、法律的な義務や権利の問題はともかく、「医師に求められる高い倫理性」を重視すべきだと記されている。
 以下、この設例につき、3人の方にコメントをお願いした。

ジュリスト9月1日号

生命倫理ケース・スタディ Case5
末期医療のあり方−延命治療に関する判断枠組み

大内尉義・岩田太・佐伯仁志

 Aは67歳の男性であるが、2年前に肺癌(小細胞癌)の診断を受け、以後数回化学療法と放射線療法を施行したものの、現在では腫瘍が多臓器に遠隔転移を起こし、治癒の見込みはないとして腫瘍に対する治療は中止されている。Aは現在、多発性脳転移のため中枢神経機能が高度に障害されており、開眼はできるが自分で起き上がることはできない。会話は一切できず、家族が大声で呼びかけると辛うじてうめき声のような声を出すことがある程度である。自力での摂食は不可能で、現在は経鼻胃管から最低限の水分と栄養を与えられている。通常の経過をたどれば、1,2ヶ月以内に死亡することが予想されている。なおAには妻Bと長男Cがおり、そのほかに子が2人いるものの、これらの子は遠隔地に住んでおり頻繁には病院に来られないため、医師らからの説明は常にB,Cの2人になされている。
 Aは先週来肺炎を合併している。肺炎そのものは看護師が経鼻胃管からの栄養剤の投与を臥位に近い状態で行ったため、栄養剤の逆流・誤嚥が起こったためである可能性が疑われている。既に原疾患のため悪化していた呼吸状態が肺炎の合併によりさらに急速に悪化しており、通常のマスクによる酸素吸入では血中に十分な酸素が供給できない状況となっているが、気管内挿管を施行し人工呼吸管理を行えばさらに延命は可能であり、場合によると肺炎自体は治癒させられる可能性もある(しかしそれをしなければ一両日中にも死亡することがありうる状況である)。この段階で、担当の呼吸器内科医XはB,Cに対し、以上の事実を全て伝えた上で、これ以上の治療はいたずらに延命することにしかならず、安らかに死を迎えることが本人のためではないかとの意見を述べ、肺炎に対する積極的治療を行うか否かを家族で決めてほしいと要請した。妻Bは、Aがかねてより「機械に生かされるのは絶対に嫌だ」と話していたことを思い出した(しかし書面等は残ってない)が、自分は延命の可能性のあるAを見殺しにはできないと考えている。長男Cは、Aの話を聞いたことはないが、Aの意思がそのようであったのなら、通常、延命治療は行うべきでないと考えている。しかし今回は病院のミスによる肺炎であり、治療を中止しても良いのかに疑問を抱いている。このためB,Cとも医師に明確な返答ができない状態である。
 以上のこととは別に、Aはここ数日血中の電解質バランスが大きく崩れており、点滴で補正することが望ましい状況ではあるが、Aは上下肢の末梢の静脈が極めて細いため末梢からの点滴静注は困難である。点滴を行うとすると中心静脈カテーテルを挿入することが考えられるが、侵襲が大きいため医師Xは乗り気ではない。しかし、肺炎に対して積極的治療を行うのであれば、静注用抗生剤の投与のためいずれにせよ中心静脈カテーテルの挿入は必要な状況であるため、XはB,Cから明確な返答がないことにいらだちを感じている。
 なお、Aには長期臥床のため褥創が発生しており、皮膚科医Yが毎週診察し、看護師に毎日の処置の指示を行っている。
 このような状況において、Xはどのように対応すべきであろうか。治療を行うとして、人工呼吸器を使うべきであろうか。また治療を中止するとして、点滴治療もすべて断念して良いだろうか。その場合マスクからの酸素投与や栄養剤・水分の補給は続けるべきであろうか。あるいは、B,Cや他の家族にさらに意思決定を要請すべきであろうか。他方でYは以後の治療方針の決定に関して家族やXに対して何らかの行動をとるべきであろうか。また、Y自身は褥創の治療を継続すべきであろうか。

【補注】本問は末期医療の問題を扱う。この場面もまた、本人の自己決定(autonomy)、患者にとって最善の医療を行う医師の義務(beneficence)、さらに医療という限られた資源の公平な配分(justice)という3つの原則が交錯する最も難しい問題を提起する。
 自己決定について、わが国では、living willとか advance directivesというような本人による事前の指示の仕組みが発達していないこと、これらの法的効果も不明確であるという背景がある。しかも、これらの仕組みを発展させてきたアメリカでも、実態はうまく機能していないとの批判があり、事態はいっそう複雑である。
 善行とも訳されることのある、患者にとって最善の医療を配慮することは、何が最善かの判断が難しい。医師1人ひとりの裁量判断でよいのか、医師集団としての何らかの基準があるべきかも問題となる。
 最後の医療資源の配分という観点に至っては、ほとんど論じられていないと思われる。
 このような要素を含む末期医療の場面につき、3人の方に論じていただいた。なお、本問は言うまでもなく仮定の設問であり、問題作成にあたり米村滋人さんの協力を得た。

ジュリスト9月15日号

生命倫理ケース・スタディ Case6

生体肝移植をめぐる問題

菅原寧彦・東方敬信・安部圭介

 A医師のところへ、肝臓がんを患っている患者Bさんの配偶者Cさんがきて、次のようなお願いをした。A医師はCさんに対し、Bさんの肝臓がんは楽観を許さない状況にあり、生体肝移植の可能性を探るようアドバイスしていた。
 Cさんが言うには、Bさんの親族で甥(3親等の血族)に当たるD1が血液型も一致しており、健康で、最適と考え、説得しているものの、手術のリスクなどをいって応じてくれない。そこで、生体肝移植は今までにドナーの死亡例のほとんどない、安全性の高い手術であり、大多数のドナーがその後正常に社会活動に復帰している旨を、先生から言っていただけないかというのである。A医師は、そのような説得の一部を担うことはできないといって断った。
 するとしばらくたって、再度Cさんが来院し、BさんのいとこD2が、肝臓の提供に応じてくれたということを知らせにきた。その際に、遠縁でも何とかお願いするという形で必死に探した結果であり、D2には大きなご迷惑をかけるので、移植手術の準備から終了・回復に至る期間の生活保障くらいはさせてもらう話になっているとA医師に説明した。
 ところが、A医師の属する大学病院では、生体肝移植のドナーの要件として、3親等以内の親族という要件があるため、いとこでは4親等であるので難しいことがわかった。だが、Cさんは、他の大学病院では4親等でもいいといっているところもあるのに、なぜここでは3親等なのかといって納得しない。場合によっては、養子縁組を結べばいいのかと尋ねてきた。
 このようなケースでA医師はどのように対応すべきだろうか。

【補注】AからDまでややわかりにくい設問であるから、以下に図示する。

 医師A
          B       ・・・・・・・   C
    肝臓がん患者で生体肝移植希望者        Bの配偶者

 ドナー候補   D1                D2   
      Bの甥 (3親等)           Bのいとこ(4親等)

 この設例の背後には、「脳死問題と臓器移植にかかわる日本の特異な歴史」(後藤正治『生体肝移植―京大チームの挑戦』210頁(岩波新書・2002年))がある。1989年に始まった日本での生体肝移植は2400例を超え、それから10年後に開始された脳死肝移植の約20例をはるかに上回る。2002年4月に河野洋平元外務大臣が生体肝移植手術を受けて成功したことも大きく報道された。しかも今年5月までは、提供者に死亡例が一例もなかった。だが、そのことは、生体肝移植について、法的・倫理的問題がないという意味ではない。
 本設問では、ドナーたりうる要件が個々の病院でまちまちな現状を背景として、これらの要件の意義が問われている。A医師は、どう答えるべきだろうか。いつものように、今回も専門を異にする3人の方にコメントしていただいた。
 なお生体肝移植をめぐる問題は、親等制限のあり方ばかりではない。他にも、ドナーからインフォームド・コンセントをとる手続きや、医学的適応により保険適用がない場合、患者に何千万円という費用がかかる例があること、他の生体間移植、たとえば腎臓移植について倫理委員会で問題になることが少ないこととの対比など、さまざまな問題がある。もちろん根本には、わが国における移植医療のあり方という課題があり、今回の設例に限らず、今後とも議論の輪を広げてゆきたいと考えている。
ジュリスト10月15日号

生命倫理ケース・スタディ Case7
臨床研究・臨床試験のあり方

荒川義弘・佐藤恵子・早川眞一郎

7−1
F夫人は81歳のアルツハイマー病患者である。医師Dは、記憶力の保持や減退防止に効果があると思われる新薬を試してみたいと考えている。すでに数日前、臨床試験のコーディネーターが、この試験の説明をF夫人に行い、説明文書にサインしてもらった。その際には、F夫人の長年の友人がベッドサイドにいて、副作用の可能性やそれが発現した場合の措置、費用負担や報酬の点など問いただしたという。その上で、本人がサインした。
 ところが、今日、D医師がF夫人の病床を訪ね、「明日から試験に入ろうと思います」と伝えると、F夫人はまったく何の話をしているかがわからないという態度を示した。
 このような状況を背景に、臨床研究のあり方につき、次のような点でD医師は助言を得たいと願っている。
(1)このようなケースでのインフォームド・コンセントの取り方はどうすればよいのか? F夫人に代わって有効な代諾を与えることのできる人は存在するのか?
(2)本臨床試験が、製薬会社と共同で行われる場合と、D医師の自主臨床試験として行われる場合とで、インフォームド・コンセントの取り方に相違があるか? あるいは、他の点でも何らかの相違があるのか否か。
7−2
臨床試験の対象には薬剤の他に医療用具に関する治験もある。たとえば、循環器疾患の状況によって、医療用具の助けを借りる場合がある。医療用具Xにつき、次のような事例が生じたとする。
 Xにつき、治療上有効か否かを調べるための臨床試験が計画された。このための同意書には、起こるかもしれない有害事象として次のような記述がなされていた。
 「この治験用具を用いた治療の上で考えられる有害事象として、一般的な外科手術時の合併症に加え、次のような事象が起こる可能性があります。
 @感染
 感染とは病原体(細菌やウィルス)が体内に入り、増殖することによって発熱などの症状を起こすことをいいます。本治験の場合、Xを使用することで、それが皮膚に接触する部分で細菌感染が起こり、感染症を引き起こす可能性があります。
 A血栓形成
 血液には異物に接触すると固まる性質があります。これが血栓になります。Xも身体にとっては異物であるため、血栓を形成する可能性が出てきます。もちろん、Xはできるだけ血栓を形成しないよう作られているのですが、完全に血栓形成を防ぐことはできません。その血栓が全身に流れる可能性があり、脳やその他の臓器の血管を詰まらせた場合、その部位の機能に重大な障害を起こすことがあります
 すでにアメリカで行われている臨床試験では、12%の方に血栓塞栓症が発生しました。ただし死亡した例はありません。
 治験に参加された後、明らかにXを使用したことが原因であなたの健康に被害が生じた場合、その治療に要する費用やその他あなたの損失は適切に補償されます」。
 さて実際にこの臨床試験に参加した50歳の女性Aさんは、Xの使用後、1ヶ月で死亡した。多臓器不全等別の原因で死亡した可能性があるが、他方で、Xを使用したこととの関連性も完全には否定できない。
 このようなケースで、先の同意書の文言はどのような意味を持つのだろうか。

【補注】
 アメリカの生命倫理が臨床研究にまつわるスキャンダルを契機に発達したことはよく知られている。一般に、臨床研究・臨床試験のあり方は、国際的にも国内的にも重要な問題である。本問は、この問題をめぐるさまざまな課題のうち、臨床試験を行う際のインフォームド・コンセントの意義とその取り方、および試験がうまくいかなかった場合の補償という課題を抽出し、いつものよう3人の方にコメントしていただいた。
ジュリスト11月15日号

生命倫理ケース・スタディ Case8
患者の権利・胎児へのリスク

木戸浩一郎・土屋裕子・旗手俊彦

22歳の患者は、妊娠し近くの病院で妊婦健診を受けていた。妊娠30週に腹緊を自覚したため受診したところ、規則的な子宮収縮を認め、子宮口の開大が疑われたため切迫早産の診断で近くの病院へ紹介され、入院・加療を受けることとなった。
 その病院で超音波検査を受けたところ、水頭症であることが判明した。すなわち胎児の脳室が拡大し、脳実質の委縮を疑わせる超音波検査所見が認められた。過剰な脳脊髄液により頭蓋内圧が亢進して胎児の頭部が拡大し、産道を通じての正常な経腟分娩が不可能となる可能性があった。また頭蓋内圧が持続的に高いと大脳白質が破壊されて不可逆な精神発達遅滞を惹起することがある。その後の一連の超音波検査により脳脊髄液の蓄積が進行し頭部の拡大をもたらしていることが明らかとなった。さらに腰椎の脊髄髄膜瘤も伴っていることが明らかとなったがその他の異常は認められなかった。羊水のウイルス検査でも染色体核型検査でもウイルス感染症やその他の染色体異常を示す結果はなかった。胎児は妊娠34週であり羊水検査では胎児の肺は成熟していることが判明した。
 子宮内治療としての脳室羊水腔短絡手術(ventriculo-amniotic shunt)も不可能ではなかったが、この方法はまだ十分な実績をあげてはいなかった。胎児の肺が成熟しているという検査結果を考慮に入れて、胎児にとっての危険と利益とを斟酌するとすみやかに児を娩出させて、必要なら、生後に短絡術を実施するほうが、まだ実験的段階の子宮内短絡術よりもましであると考えられた。
 速やかに娩出させる場合、分娩方法について判断を下すことが必要である。児の頭部外傷を回避する目的で必要に応じて帝王切開術による急速遂娩を行えば、児の状態を評価や、必要であれば脳室腹腔短絡カテーテルの挿入を含む、治療の手配が可能になる。最近の報告では十分な治療努力が提供された水頭症胎児ではおおよそ60%が生存すると示唆されている。その生存者のうち半数は、程度は様々であるが、精神発達遅滞である。しかしながら帝王切開術で児を娩出させるやり方は感染、輸血を必要とするような出血ならびに尿路への医原性の損傷などを含めた手術に伴う様々な危険に母体を曝すことになる。
 上記のような母体への身体的危険を最小限にするかわりの方法としては帝王切開を行わず、自然に陣痛が発来するまで妊娠をそのまま継続させるというやりかたがある。もし児頭が大きすぎて骨盤を通過できない場合には、頭蓋に針を挿入して脳脊髄液を流出させて頭の大きさを小さくすることも可能である。ただし、このような穿頭術を行うと、頭部内圧の急速な低下や穿刺に伴う出血によって、死産や早期新生児死亡に至ることが殆どである。
 ではどのようなやりかたをこの女性に医師はすべきだろうか。この女性が帝王切開術をあくまで拒否した場合、裁判所の命令を請求すべきであろうか。

【補注】
本問は、Bette-Jane Crigger, Case in Bioethics : Selections from the Hastings Center Report 72-73(St.Martin's Press 3d ed.1998)に掲げられてるケースが基になっている。文末に、裁判所の命令を請求すべきかという問いがなされているのは、アメリカではそのような可能性も現実にあることを背景としたものである。
 一般に、わが国においても、インフォームド・コンセント法理の下で治療拒否権が認められている以上、たとえば本設例で問題となっている帝王切開を患者の承諾もないのに行うことはできない。しかしながら、胎児へのリスクを考えると、そう簡単に結論づけられるかは疑問になる。このような状況に直面した医師にとって、自らが医療専門家として最優先すべきは患者の権利か、胎児の利益かが問われ、そもそも医師には何ができるのかが、問題となるからである。
 そこで、以下、わが国の状況に即してどのように医師にアドバイスすべきかを考慮しながら、専門を異にする3人の方にコメントしていただいた。
ジュリスト12月15日号

生命倫理ケース・スタディ Case9
看護士の良心

蒲生忍・佐藤恵子・両角吉晃

 ヒルサイド・ナーシングホームの正看護師として働くアリス・ハワードは、末期の大腸がんの女性であるジェーン・バーンズ夫人の看護担当となっている。63歳のバーンズ夫人にはかなりの痛みがあり、疼痛の制御は困難の度を強めている。そこで、主治医のジョーンズ医師は、適用量のモルフィネを指示した。この用量のモルフィネは呼吸を弱めるため、死を早める可能性があることを家族も理解していた。
 この数ヶ月の間にバーンズ夫人とその家族の考えは、死を受け入れる方向に変わってきた。家族のうち誰かが絶えず彼女を気づかいベッドサイドに付き添っている。彼女は、3時間ごとにモルフィネの投与(injection)を受け、彼女の今の睡眠中の呼吸速度は大変遅い状態になっている。
 ほとんどの看護師は、バーンズ夫人に対しモルフィネを投与することに問題はないと考えている。しかし、ハワード看護師は反対だった。彼女は、モルフィネを投与することは、そうしない場合よりバーンズ夫人の死を早める原因となり、それは問題だと考えていた。そして、自分の良心から、モルフィネ投与の注射ができないと宣言した。他の看護師は、ハワード看護師のすべきモルフィネ投与を埋め合わせるため忙しいスケジユールをさらに割り振りせざるをえなくなり、憤慨している。ジョーンズ医師も、彼女の拒絶を潜在的には重大な不服従の行動とみなしている。
 ある晩、ハワード看護師は夜勤の職務についたが、その晩は、正看護師はたまたま彼女一人だった。その晩もバーンズ夫人は導眠剤の投与を受けながらなお眠れずに苦しんでいた。バーンズ夫人はコール・ボタンを押し、もっと薬を投与してくれと頼んだ。付き添っていた娘も、ハワード看護師に彼女の母親を助けてくれと頼んだ。ハワード看護師は迷った。彼女は、その晩、投与を行うことが認められる法的な資格を持つ唯一の人間であり、もしも彼女が断れば、ジョーンズ医師を真夜中に電話で起こして困らせることになる。
 このような場合、ハワード看護師はどうすべきだろうか。そもそも看護師は、自らの良心を理由として医師からの指示を拒絶し、あるいは患者や家族の願望を無視したりすることができるのだろうか。

【補注】本問は、Bette-Jane Crigger, Cases in Bioethics: Selections from the Hastings Center Report 7 (St. Martin's Press 3d ed. 1998) 掲載のケースに依っている。本問の表題は「看護師の良心」としているが、以下のコメントをお読みいただけばわかるように、この設例には個人の良心の問題だけに還元できない要素が多く含まれている。
 そもそも、良心という言葉は、法律家にとって、憲法76条の裁判官の良心に関する主観説・客観説の対立を想起させる。本設例ではハワード看護師と同僚の考え方が異なっていて、看護職の職業倫理としてはいかに考えるべきかという問題も提示している。2003年に改訂されたわが国の看護者の倫理綱領は何らかの回答をしてくれるものか否か。
 次に、わが国の弁護士倫理規定は、第2条で「職務の自由と独立」を謳い、第18条でも「自由かつ独立の立場を保持するよう努めなければならない」と宣言する。専門家としての独立性とは何を意味するのかが問われる。看護職、さらにより広く医療職と法律職とで、専門家としての独立性は異なる意味を有するものか否か。とりわけチーム医療の重要性が強調される点をどう考えるのか。
 さらに本設例が、末期医療の場面を扱うことも重要である。抽象的に看護師が直面するディレンマを問題とするのではなく、末期医療のあり方とそのとらえ方が争点となる。
 以下、いつものように、専門を異にする3人の方にコメントしていただいた。
ジュリスト2月1日号

生命倫理ケース・スタディ Case10
知的障害者の不妊手術

門脇孝・玉井真理子・岩田太

 1975年5月、イギリスのシェフィールド出身の11歳の知的障害児について不妊手術のための入院予約がなされた。Dと呼ばれるその少女はSotos症候群を患っていた。Sotos症候群は別名,てんかんなどの症状を示す先天的異常の一種で大脳肥大とも呼ばれている。この病気の特徴は,両手,両足そして頭部が大きく,体が不釣合いで,まだ原因不明の内分泌機能の障害を伴うところである。知能レベルは一般人同様から知能不全までさまざまであるが,たいていは知恵遅れである(ただし、Dについては一般人同様の知能レベルの範囲であり,勉学も人並みで,9歳ないし9歳半の子供の理解力があった)。
 遺伝学者たちはSotos症候群の遺伝性についてはっきりしたことはわからないとする一方で,これは1つの遺伝性素因によるものではなく,複数の素因によって生ずるものであり,劣性である場合もあるし、新たな優性の発生である可能性もあると考えている。Sotos症候群の発病例につき男女に差はない。Sotos症候群にかかっている人は,そうでない人よりも身内に発病者がいる確率が高いということも見受けられないし,また遺伝の危険性もいまだ解明されていない。ただし,いとこの間や一卵性の双子,そして父と息子の間で発病する例があるという報告もある。
  Dの父親は1971年に亡くなり,残された母親はDと他2人の娘とともに経済的に苦しい状態になった。母は掃除婦のパートに出かけ熱心に働いたが、Dは母と同じベッドを共有し、2部屋ある寝室にはトイレがないなど,貧しい生活を送っていた。
  1973年、Dは行動に問題のある児童専用の学校に送られ、その後の経過はこれが適切であったことを示している。Dの学業面や行動面の進歩が明らかだったからである。しかし,Dが10歳の思春期になるまでに,母親はDが障害児を生むのではないか,そして自分がその子の面倒を見なければならないのではないかと心配するようになった。母親は,「私は、娘が十分に責任を持って自分の家族の面倒をみるとは思えません。また、娘は自分の子を十分に世話できるようにはならないと思います」と述べた。もっとも,Dはまだ異性に対し興味を示すことはなく,母親がいつも側にいるため,Dが妊娠するということは事実上ありえなかった。
  シェフィールドの総合病院の小児科長である小児科医はDの家族に関心を持ち,Dが生む子は障害児となる危険性があり,Dの起こすてんかんによってその子に危害が及ぶおそれがあると指摘した。Dは普段かなり不自由であることから,自分自身や生まれてくる子の面倒を十分に見ることができないだろうという見解である。彼は、Dに対し不妊手術を勧めるのは医学的判断であり,さらに親の同意が得られた場合に不妊手術を行うか否かの判断は,小児科医である自分ともう一人の産婦人科医とで行うべき事柄だと主張した。そして、不妊手術に対し同意した母に,娘と手術について話し合うように求めた。
  これに対し、Dの通う学校のカウンセラーは不妊手術に強く反対し,Dが裁判所の保護を受けられるように司法手続きをとった。Dの学校の校長もこれを支持し、ある程度の医学的証拠しかない段階でDの将来についての見通すのは独断的であり,非現実的だと考えている。さらに、自由人権擁護団体や、不妊手術に反対する議員たちもカウンセラーの考えを強く支持している。

【補注】本問は、Bette-Jane Crigger, Cases in Bioethics: Selections from the Hastings Center Report 7 (St. Martin's Press 3d ed. 1998) 掲載のケースに依っている。本問の表題は「看護師の良心」としているが、以下のコメントをお読みいただけばわかるように、この設例には個人の良心の問題だけに還元できない要素が多く含まれている。
 そもそも、良心という言葉は、法律家にとって、憲法76条の裁判官の良心に関する主観説・客観説の対立を想起させる。本設例ではハワード看護師と同僚の考え方が異なっていて、看護職の職業倫理としてはいかに考えるべきかという問題も提示している。2003年に改訂されたわが国の看護者の倫理綱領は何らかの回答をしてくれるものか否か。
 次に、わが国の弁護士倫理規定は、第2条で「職務の自由と独立」を謳い、第18条でも「自由かつ独立の立場を保持するよう努めなければならない」と宣言する。専門家としての独立性とは何を意味するのかが問われる。看護職、さらにより広く医療職と法律職とで、専門家としての独立性は異なる意味を有するものか否か。とりわけチーム医療の重要性が強調される点をどう考えるのか。
 さらに本設例が、末期医療の場面を扱うことも重要である。抽象的に看護師が直面するディレンマを問題とするのではなく、末期医療のあり方とそのとらえ方が争点となる。
 以下、いつものように、専門を異にする3人の方にコメントしていただいた。
ジュリスト3月1日号

生命倫理ケース・スタディ Case11
小児脳死移植の問題

小柳仁・丸山英二・三瀬朋子

 Aちゃんは2002年2月5日に体重3240g, 身長50.0cmで生まれました。ずっと順調に成長していましたが、1才になる少し前から、ときどき風邪のような症状が見られるようになりました。近所の医院では「寒いですから、暖かくしてあげてくださいね」と言われて様子をみていました。
 2003年3月5日、あまりにも調子が悪そうでしたので、また近所の医院に連れて行くと、「紹介状を書きますので、大きな病院でレントゲンを撮ってもらってください」と言われ、県のこども病院を受診しました。こども病院では、すぐに、心電図・心エコー・レントゲンの検査が行われました。レントゲンでは心臓が拡張して大きくなっているとのことでした。すぐに入院となり、点滴が始まりました。医師から、「ご主人は何時ごろ病院に来られますか? ご両親が揃われたところでお話したいのですが」と言われ、夜になって、仕事を終えた主人と一緒に説明を聞きました。医師からは、「心筋炎だと思いますので、点滴で心臓の腫れが引いてくれば、問題なく退院できると思います。ただ、心筋症の可能性もあるので、もう少し詳しい検査をしてみましょう。でも、大丈夫だと思いますよ」といわれました。
その2日後、Aちゃんはずいぶん苦しそうな様子で、せきが出て、ゴロゴロと胸が鳴っていました。そうこうするうちに、目がぐったりとして、寝ている方が楽なのか、それとも、動くことさえ出来ないのか、本当につらそうな状態になりました。医師からは、「人の半分以下しか心臓が動いていなくて、かなり、危険な状態です……」と伝えられました。いろいろな種類の薬が点滴で入れられて、翌日からなんとか徐々に持ち直しました。
さらに2日後、心筋シンチグラフィーの検査が行われました。翌日、医師から説明があり、「心筋症の可能性があります。心筋生検をして確認してみましょう」と言われました。
2週間後、心筋生検(心臓カテーテル検査)が行われました。翌日の説明で、「心筋生検の組織検査の結果から、特発性拡張型心筋症のようです。なかなか難しい病気なのですが……、まずはβブロッカーというお薬をつかって、何とか内科的治療でがんばってみましょう」と言われました。あまりの衝撃に何も考えられませんでした。それでも、泣きながら家族や友人に我が子の様子を伝えました。
3日後、ある友人から、「インターネットで調べてみたんだけど、『拡張型心筋症』ってどうも心臓移植が必要みたいよ」と言われ、別の友人からは「補助人工心臓っていうのもあるみたいだけど……」と言われました。心臓移植とか、人工心臓なんて考えたこともなかったのですが、勇気をふりしぼって医師に聞いてみました。医師は、「そうですね。今はまだ大丈夫だと思いますが、将来的には心臓移植ができるといいんですが……。日本では子どもの心臓移植はできないものですから、海外に行くしかないのですよ。でも、ぼく自身、海外に行くためにはどうしたらいいのか、よく知らないものですから。補助人工心臓はAちゃんの場合はあまりにも身体が小さいので、無理なんですよね……」と話しました。「将来的っていうのは?」と尋ねると、「うーん、今の段階では何とも言えませんけど、5年とか10年先っていう訳には行かないでしょうね……」といわれました。

【補注】この設例は、国際移植者組織トリオ・ジャパンの若林正氏に作成していただいたものである。この文章の中で、「日本では子どもの心臓移植はできない」という部分が議論の焦点となる。以下、3つの論稿を参照されたい。
ジュリスト4月1日号

生命倫理ケース・スタディ Case12
血液製剤と限られた資源の配分問題

幸道秀樹・米村滋人・畑中綾子

 X病院に勤務する血液内科医師Aは、内科病棟に入院中の患者C、患者Dの主治医である。また、同病院に勤務する肝臓外科医師Bは、外科病棟に入院中の患者Eの主治医である。患者C,D,Eはいずれも血液型がRh(+) A型で同型である。患者Cは53歳の急性骨髄性白血病の男性患者であるが、化学療法による寛解導入に成功し、現在地固め療法(化学療法)を施行している。経過は順調であり、入院中にさらに数回の抗腫瘍薬投与を行った後は、退院し外来治療を行える見通しである。患者Dは21歳の急性リンパ性白血病の女性患者であるが、血縁者間骨髄移植を施行後再発し、さらに2回骨髄移植類似の実験的治療を受けたが効果なく、現在は骨髄中の50%以上が腫瘍細胞で占められている状態であるが、なお延命目的に化学療法を行っている。生存には週1回程度の濃厚赤血球輸血、週3回程度の血小板輸血が不可欠となっているが、輸血を継続したとしても余命は3ヶ月程度であると推定されている。患者Eは55歳のC型肝炎・肝硬変の結果発生した肝細胞癌の女性患者であり、約30年前に同病院にて帝王切開による分娩の際に行った輸血のためC型肝炎ウイルスに感染したことが原因であると推定されている。前日肝区域切除術を行ったが、この日の朝になっても術創に留置したドレーンからの出血が少量ずつだが止まらず、血圧も低下してきたことから再開腹の上止血するための緊急手術が予定された。肝硬変のため術前から血小板数が低値であったこともあり、再手術自体のためにも、止血を容易にするためにも、術中に血小板輸血を行う必要があると考えられた。
 以上の3患者につき、この日の朝、各医師から輸血部に対し相次いでA(+)型血小板製剤の緊急発注がなされた(患者C,Dにつき10単位ずつ、患者Eにつき20単位)。しかし、X病院輸血部からの問い合わせに対し、日本赤十字社の当該地区を所管するY血液センターは、同日昼の段階でもX病院に緊急輸送できるA(+)型血小板製剤は20単位(10単位製剤2パック)が存在するのみであり、献血から製剤化するまでの処理時間を考えると同日中のそれ以上のY血液センターからの製剤供給は不可能であると回答した。なお、製剤は10単位ごとに滅菌充填されており、分割はできない。製剤不足の情報は直ちに輸血部から各医師に伝えられたが、医師A, Bとも自らの担当患者の輸血実施を強く希望した。医師Aの考えでは、外科の患者Eは濃厚赤血球・新鮮凍結血漿の大量輸血を行えば翌日以降に手術を延期できるはずであり、自らが担当する2患者の方の緊急性が高い。ただし、患者Dは輸血を1日延期することは致命的となりうる一方、患者Cは翌日に輸血が行われても大きな影響はない可能性が高いが、医師Aは患者CとDのいずれかならば、救命の見込みのあるCに輸血したいと考えている。他方、医師Bは、内科病棟の患者はいずれも化学療法施行中であり、少なくとも前日までに製剤予約の手続が可能であったはずで、予約を怠った内科のために外科の患者が緊急用製剤を使用できず、手術延期のため大量輸血ないし場合によっては術後死亡のリスクを負わされるのは不当だと考えている(事実として、輸血量が増えると副作用等のリスクも比例的に高まる)。なお、以上の状況は各患者には一切知らされていない。
 以上の各患者の状態と医師の見解を聞いた輸血部担当者は、どのように対応したら良いであろうか。また医師Aは、内科病棟が10単位しか得られないこととなった場合、それをCとDのいずれに輸血するものとして輸血部に依頼したら良いであろうか。

【補注】医療倫理の重要問題の1つに、限られた資源の配分をいかに行うべきかという問題がある。典型的な例としては、いかなる優先順位で臓器移植を行うかという問題があるが、より日常的な診療の場面でも頻繁に生ずる基本的な問題である。言うまでもなく、医療もまた限られた資源(人、施設、器具、薬品そして時間)の制約の中で行われているからである。
 ここでは、血液製剤の不足という状況を例にして、3人の方にご意見をいただいた。
ジュリスト4月15日号

生命倫理ケース・スタディ Case13
救急救命士と医療行為

島崎修次・柳澤厚生・樋口範雄

 Aさんは入職20年目の救急救命士である。休日に、家族とレストランで食事を楽しんでいた。すると、店内で同じく家族で食事をしていた50歳代の男性B氏が突然の呼吸困難を訴え、苦しい様子で首を掻きむしりながら席からずり落ち、床に横たわりそのまま意識を失ってしまった。店内は一時騒然となったが、周囲の誰もが成り行きをただ見守っているだけだった。
 Aの娘C(10歳)には気管支喘息の持病があり、Aは発作時に処置できるように気管内チューブを含め救急対応バッグを常に携行していた。この日もレストランの駐車場にある自家用車に救急対応バッグが入っていた。しかし、Aは、勤務中でもなく、医師の指示がないことを理由に静観していた。
 男性Bは徐々に顔面うっ血状態となった。Aは家族に促され周囲に身分を明かし、診察を始めた。Bの家族から、Bは長年、気管支喘息でステロイドの吸入と内服をしているが、たまたま本日は内服していない旨の情報を得た。聴診すると上肺野に著明な喘鳴、頚部に狭窄音が聴取され、気管挿管の適応と考えられた。Aは娘が喘息を持つことから気管挿管について熱心に勉強しており、過去に医師の指導の下、豊富な気管挿管経験を有していた。しかし、勤務中でなく医師の指示もないという前述の理由から、バッグ呼吸にて呼吸をアシストするにとどめた。店の従業員に救急車要請を指示し、約5分後に救急隊が到着、Bは三次救急病院へ搬送された。しかし、Bは病院到着時心肺停止状態になっており、約3日間の脳死期間を経て永眠した。
 Aは娘Cから「なぜもっと早く気管挿管その他の手段を尽くしてBを助けなかったのか」と問われないかと危惧している。Aは娘Cが同様の状態に陥った場合、躊躇無く気管挿管を行う覚悟でいる。Bへの対応は適切だったのだろうか? 

【補注】救急車で運ばれた経験のある人は、その迅速な対応に感謝する。わが国において、年間2000人を超す人々が、救急隊の中心となる救急救命士の活動により、心肺停止状態から一命を取り留めている。全国で現在1万3000人を数えるという救急救命士は、救急隊の6割以上に配属されている。つい先頃、2月24日放送のNHK「プロジェクトX」でも「命のリレー 出動せよ救急救命士」と題する番組が放映され、ただ患者を搬送するだけの「運び屋」だった救急隊に、一定の医療行為の認められる救急救命士が12年前に誕生するプロセスを報じていた。
 しかし、救急救命士が直面する問題がすべて解決されたわけではない。本設問も、残る問題の一場面を反映させたものである。A氏の煩悶は、そもそも救急救命士としての業務に携わることのできる範囲が法によって制限されていることと関係しているからである。だが、本設問の提示する問題は、救急救命士の業務範囲の問題を超えて、救急の場面での法のあり方をいかに考えるべきかという点につながる。以下、3つの論稿を参照されたい。


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