東京大学大学院法学政治学研究科・法学部 グローバル・リーダーシップ寄付講座(読売新聞社)



連続公開セミナー 第2回

「国際犯罪と戦う −国際社会における法の支配の強化―」

  • 日時: 2009年7月7日(火曜日)
    場所: 東京大学本郷キャンパス 法文1号館1F21番教室

    講師: 尾崎久仁子 (政策研究大学院大学教授、生物多様性条約第10回締約国会議担当大使
            前・国連薬物犯罪事務所条約局長)
    演題: 「国際刑事法の構造と適用―国際犯罪対策の現場から」

    講師: 野口元郎 (カンボジア特別法廷最高裁判所国際判事、外務省国際法局国際法課付検事
            国連アジア極東犯罪防止研修所教官
            東京大学公共政策大学院・大学院法学政治学研究科非常勤講師)
    演題:「国際刑事裁判の現状と課題」

    コメンテーター: 千田恵介(東京大学教授、法科大学院専任実務家教員)
    司会: 中谷和弘(東京大学法学政治学研究科・法学部教授)
            

    【前置き】

    (司会:中谷和弘)東京大学法学政治学研究科・法学部教授

     グローバル・リーダーシップ寄附講座(読売新聞社)連続公開セミナーの第2回を開催させて頂きます。ジェノサイド、人道に対する罪、国際組織の犯罪、テロ、海賊などの国際犯罪への対処は現在の国際社会が抱える極めて至急な課題であります。本日は「国際犯罪と戦う−国際社会における法の支配の強化−」というタイトルでお2人の方から国際刑事法に関してご講演を頂き、皆さんと共に国際刑事法の諸問題を考えて行きたいと思います。お1人は政策研究大学院大学の尾崎久仁子教授でいらっしゃいます。尾崎教授は元々外交官でいらっしゃいますが、ウィーンにあります国際薬物犯罪事務所(UNODC:United Nations Office on Drugs and Crime)の条約局長を務められました。現在は、来年秋に名古屋で開催されます生物多様性条約第10回締約国会議担当大使を務められておられますが、本日は、「国際刑事法の構造と適用−国際犯罪対策の現場から」に対して講演を頂きます。
     もう1人は、カンボジア特別法廷最高裁判所の野口元郎国際判事であります。野口判事は元々検事でいらっしゃいます。今学期には私と共同で大学院の「国際法の理論と実践」という授業を担当して頂いています。本日は「国際刑事裁判の現状と課題」に対してご講演を頂きます。
     本日の段取りと致しましては、お2人から1人当たり40分程度ご講演を頂いた後、本学の千田恵介教授から10分程度のコメントを頂きます。千田教授は元々検事でいらっしゃり、現在は法科大学院専任実務家教員として法曹実務教育に携わっておられますが、尾崎教授と同じく国際薬物犯罪事務所の、千田先生の方はバンコクで仕事をやっておられるなど、国際刑事法に詳しくていらっしゃいます。その後、フロアから質問やコメントを受けたいと思います。それでは、早速、尾崎先生、宜しくお願いします。

      【講演】

    (講演:尾崎久仁子)政策研究大学院大学教授生物、多様性条約第10回締約国会議担当大使
                        前・国連薬物犯罪事務所条約局長

     ただいま、ご紹介に預かりました尾崎でございます。宜しくお願い致します。今日は「国際刑事法の構造と適用−国際犯罪対策の現場から」という題でお話させて頂きます。

    <レジュメ―尾崎久仁子>
    「国際刑事法の構造と適用ー国際犯罪対策の現場から」
    1. 国際刑事法とは何か − 個人の刑事処罰について規定する国際法
    2. 国際刑事法の質的量的拡大
    ・ 国際社会全体の(共通の)利益の概念の発展
    ・ 国家と個人の関係の変化
    ・ 組織された国際社会としての国際機関や多数国間条約の枠組みの発展
    ・ グローバリゼーションの影響
    ・ 紛争、崩壊国家
    3. 国際刑事法の2つの系譜と国際刑事法の転換
    1)国際社会全体に対する罪(ジェノサイド、人道に対する罪など)・・国際刑事裁判所/普遍的管轄
      権
    2)国際的な犯罪(グローバリゼーションによって国際化した重要犯罪であって、多数の国に深刻な
      影響を与え、国際社会全体が協力しなければ効果的に処理する事が出来ないもの)・・多数国
      間条約に基づいて内国裁判所が対応
    4. 国際的な犯罪に関する多数国間条約の構造
    ・ 犯罪の定義と犯罪化
    ・ 管轄権
    ・ 共助引渡を含む国際協力
    ・ 予防的措置、捜査手法、支援
    ・ 締約国会合、履行確保措置
    5. 主要な多数国間条約
    ・ テロ
    ・ 拷問、児童の性的搾取
    ・ 薬物犯罪、組織犯罪、腐敗、サイバー犯罪
    最近の動き
    6. 各国の刑事司法の強化と実質的協力
    ・ 紛争後の平和再建における法の支配の強化
    ・ 途上国の刑事司法制度の強化
    ・ 国際的人権保障との関係
    ・ 国際協力ネットワークの構築
    7. 国際刑事法分野における国連の取り組みと国連薬物犯罪事務所の仕事
    ・ 国際基準の制定とモニタリング
        条約/基準の策定、解釈運用に係る資料、ツールの作成、専門家会議の運営、締約国会合
       の運営、実施モニタリング
    ・ 技術支援
        締結支援、法整備支援、判検事の訓練、関連国際機関、メジャードナーとの協力、調整


     レジュメをお配りしてあると思います。このレジュメをご覧頂きますと「国際刑事法とは何か」というところから始まって、「3.」「4.」くらいまでは国際法の基礎めいたことが書いてあります。この部分は、非常に大きな,かつ,理論的にも込み入った話で、中谷先生を始め、国際法の先生方はこれについて、語り始めたら1年くらいは止まらないくらいの問題でもあるのですが、本日は,できるだけ,現実の世界で何か起こっているかということと、国連の実務についてお話したいと思っておりますので,「1.」「2.」「3.」の辺りはさらっと流して行きたいと思っております。ただ、「1.」「2.」「3.」というのは実務をやっていく意味でも非常に大事です。現場が崩壊国家であれ、あるいはどこかの途上国の地方の裁判所を建て直す作業であれ、「1.」「2.」「3.」にあるような基礎的知識をしっかりと頭の中に持っている。知識として持っているだけではなくて、自分の考え方をきちんと持っているということが絶対的に必要です。これは私も国連の現場で働いていて、そう思いましたし、多分こちらにおられる千田先生にしても、野口先生にしても、そのような感想であろうかと思います。別に中谷先生にお世辞を言うわけではありませんが、国際法の勉強、ないし国際刑事法の勉強、大学でやる勉強というのは役に立ちますので一所懸命勉強してください。

     では,「1.」「2.」「3.」から入ります。まず、はじめに,国際刑事法というのは,この教室の中で、つまり私がこれから40分話す中で何を意味しているのかということを決めておかないといけません。国際刑事法の内容については色々な議論があって、東京大学の国際法の先生でも、奥脇先生とか、色々な方が論文を書いておられます。あるいは刑法の先生方でも、刑法の場所的適用や共助引渡しといった問題についていろいろ書かれていますが、ここではざっくりと「個人の刑事処罰について規定する国際法を全部言う」という前提で話させて頂きたいと思います。
     こうした個人の刑事処罰についての国際法なのですが、実体法と手続法の両方があり、実体法でいうと犯罪の構成要件を条約で定めると言ったことですし、管轄権(jurisdiction)について定める場合もあります。それから、手続的な話であれば、裁判手続ですとか、引渡し,あるいは捜査について、捜査手続についても国際法でいろいろ定める場合もあります。
     こうしたものについて定める国際法というのは、昔はとても少なかったのです。私が皆さんと同じ学生だった頃は、条約集には国際犯罪という項目があるものとないものがあり、あるものにしても条約は2〜3しか載っていませんでした。大体載っているのは、ニュルンベルク裁判所の条例とか、ジェノサイド条約、あとテロ条約の初期のものがパラパラと載っている程度でした。現実に適用されている条約というのは、あまりたくさん載っていなかったのです。また,国際法の講義で出てくる国際犯罪は,海賊とか、海洋汚染程度でした。他方で,刑事法の専門家の間では,犯罪というのは非常にローカルなものであって、およそ国際とか、国際法とかいうものから一番離れているのだという認識が非常に強かった時代だと思います。それがここ20年、30年間に質的にも量的にも国際刑事法は非常な勢いで拡大しました。現在の条約集を見て頂くと,たくさんの国際刑事法関係の条約が出ています。国際刑事裁判所関係もありますし、それからテロ条約も随分数が増えました。あと、この有斐閣の条約集では、組織犯罪条約とか、腐敗防止条約とか、そのようなものまで載せて頂いているという状況です。さらに犯罪条約、国際刑事協力という銘を打たれていなくても、例えば、人権の項目のもとで拷問禁止条約のような非常に刑事的な色彩が強い条約もきちんと入っています。では,どうして,ここ数十年の間に、そのような状況になったのかというと、これはいろいろな背景があると思います。それが「2.」に書いたところです。

     まず、第1に重要なのが,国際社会全体の利益、あるいは国際社会共通の利益とか、いろいろな言い方をしますが、そのような概念が発展しました。即ち、国際社会全体として何か守らなければいけない公益があるのだという考え方が広まったということです。これは国際刑事法の分野だけではなくて、例えば、国家責任法などの分野でもその概念が出てきました。
     第2に、「国家と個人の関係の変化」と書きましたが、今まで国家という固い殻があって、また国家主権という絶対に打ち破れないものがあって、その相互の関係を律するものが国際法であるという非常にドグマチック的な考え方がありましたが,これが崩れてきたのです。言い換えれば、国際法が個人について規定するということに対する抵抗が薄れてきたのです。というか、国際法が個人について規定しなければ、もうやっていけない時代に入ってきたのです。これまた、刑事法だけではなくて、典型的に言えば人権法などもそうですし、環境法にもそのようなところがあります。
     それから、3番目に、そのような動きを受けて、実際に何かをしようとする時に、国際社会と漠然と言っていてもしようがないので、何らかのマシナリー(Machinery:機関)が必要です。これができてきました。国際社会が動く時の具体的な道具としての国際機関が増えてきたということです。あるいは多数国間条約を作る仕組みやそれを運営していく仕組みというものが急速に発展してきたということが言えると思います。 グローバライゼーションの影響も重要です。国境を越えた犯罪が増えてきたのです。典型的な例がインターネット犯罪です。物理的な国境というのが問題にならなくなってきた犯罪が多くなってきたということです。
     それから、紛争の影響とか、崩壊国家の影響が挙げられます。犯罪というのは極めてローカルなものだと思われていたということは、即ち、犯罪というのはそれぞれの国が責任を持って対応するべきものだと思われていたということです。ただ、それぞれの国が責任を持って対応できなくなってきてしまった,あるいは、できない状況が多数生まれてきたということだと思います。
     思いつくままに挙げたのがこの5つなのですが、もちろん、他にもあると思います。こういった背景で国際刑事法というものが質的にも量的にも拡大しました。条約の数が増えてきたのですから量的に拡大したのは分かりますが,質的にも拡大したというのは、例えば、海賊に関する昔の公海条約の規定などはとても簡単な規定で、ただ単に「誰が捕まえてもいいよ」と、そう書いてあるだけなのです。しかし、最近の国際刑事法の条約はとても詳しく書いてあります。例えば、犯罪の構成要件などについてもとても詳しく書いてありますし、管轄権についても、国際協力義務についてもたくさん書いてあります。ですから、そのような質的な進化というものもあったわけです。

     それでは国際刑事法条約はみな同じパターンかというとそうではなくて、大体2つに大きく分けることができるというのが,レジュメの「3.」です。1つは皆さんよくご存知のジェノサイドとか、人道に対する罪のようなものです。それは所謂、国際社会全体に対する罪、最も深刻な犯罪と言われているものです。これについては、野口先生がかなり詳しくお話をされるのだろうと思いますので詳細は省きますが、主として国際的な裁判所が対応すべきものだとされてきたもので、現に国際刑事裁判所というのができています。それから、この国際刑事裁判所だけではなくて、ユーゴとか、ルワンダとかの特定の事態について国際的な裁判所があります。国内裁判所も当然扱ってもいいのですが、国内裁判所が扱う場合は,普遍的管轄権が問題になるような類の犯罪です。これは,所謂「ベルギーの逮捕状事件」の例に見るように,あまりにも深刻であまりにも人類の良心に響くような犯罪なので、そのようなことをやった人はどこの国が捕まえてもいいという国内法を作ることができるという考え方があるわけです。
     それから、もう1つは,そこまでは深刻ではないのですが、やはり国際刑事法の対象にならざるを得ないような犯罪があります。これが2つ目のグローバライゼーションによって国際化した重要な犯罪であって、多数の国に深刻な影響を与える犯罪です。国際社会が協力しないと効果的に防遏することができないような犯罪を指します。具体的には、テロとか、薬物犯罪、それからサイバークライムが典型的なものだと言われています。ただ、拷問がどっちに入るかというのはちょっと問題です。最近、よく報道されるインターネット上の児童ポルノもこのような犯罪の1つだと言われています。こうした犯罪については、国際刑事裁判所をわざわざ作るということはしません。昔からそれぞれの国の国内裁判所がやってきたことですので、国内裁判所で対応するのです。ただ、条約によって基本的なグローバルスタンダードを作っておいて、かつ国際社会が協力しないといけないわけですから、その協力のための枠組みを作っておくということをやるわけです。このレジュメの通り、多数国間条約に基づいて国内裁判所が対応していくという類の条約です。
     このように言ってしまうと,綺麗に2つのグループに分かれているかのように聞こえるのですが、実はさほど明確に分かれているわけではありません。というのは、この2つのグループの犯罪というのは、理論的にもあるいは実体的にも密接につながり合っていて、あまり簡単に区別はできなのです。先程、私が拷問はどっちに入るのかと言いましたが、これは両方に入っても不思議ではないわけですし、また,国際刑事裁判所規程を作る時に、テロとか、薬物犯罪を入れろという議論がありました。それから、さらに言えば、国際刑事裁判所はジェノサイドのような深刻な犯罪を裁くわけですが、国際刑事裁判所が裁くのはジェノサイドを指示した一番の大物、即ち、指揮官にあたる人たちです。でも、実際に殺して回った下っ端にも罪があるわけですから、そのような人たちはどうするのかという話もあります。それは国内裁判所で対応するのか、ではどのような法をどのように適用するのかという問題です。さらに、ジェノサイドを目論んだり、人道に対する罪を大々的かつ組織的にやる団体というのは、たいがい,他の犯罪もやっています。しかも、営利目的の犯罪もいっぱいやっています。例えば、アフリカの某国の武装グループというのは、対立する民族を殺して歩くだけではなくて、ダイアモンドを密輸したり、マネー・ローンダリング(money laundering)をやったり、賄賂を取ったり、贈ったり、いろんなことをしているわけです。その1人を捕まえて起訴しようとした時に、そんなに簡単にこれはそちらの裁判所で、それはあちらの裁判所でというように分けていくのは、実際は難しいのです。なので、この2つは,一応目安として分けているのだということです。ただし、これはあとで言いますが、この2つがそれほど明確に分けられるのではないということが実はあとでお話をする新しい国際刑事法における新しい潮流というのと非常に深く関わってきます。

     野口先生と業務分担がありまして、私の方は、2つ目の,国際的な犯罪に力を入れてお話させて頂きたいと思っております。国際的な犯罪に関する多数国間条約というのは大体どのようになっているのかというのを見てみると、これは条約集をご覧になれば一目瞭然なのですが、非常に似通った構造をしています。対象がテロであれ、組織犯罪であれ、腐敗であれ、薬物犯罪であれ、まずは犯罪を詳しく定義しています。例えば、汚職というのはどのような犯罪なのか、薬物犯罪とはどのような犯罪なのかというのを詳しく定義していて、尚且つ、それをそれぞれの国の国内法上の犯罪にしなさいという義務付けをやっています。
     それから2番目に管轄権を設定しています。これは条約の古典的な役割です。管轄権の割り振りというのは国際法の基本的な役目の1つです。例えば、薬物犯罪の場合は,薬物犯罪がこの国の領域で起こった時は、この国の裁判所が管轄権を持つことになる,あるいは犯人がどこそこで見つかった場合はどこの裁判所が管轄権を持つことになるなど、そうした管轄権について定めています。
     それから、これまた非常に重要な,国際協力について定めています。国際的な犯罪というのは、国際化した重要犯罪ですから、これは当然何らかの国際的なエレメントがあるわけです。多くの場合は,まず、証拠の収集というのを国際的にやらないといけません。ということで、捜査共助に関する規定が必ず含まれています。それから犯罪人の引渡しについての規定もあります。どこかの国で犯人が見つかった時にそれを裁判管轄権のある国にどうやって引き渡すのか、もし何らかの事情で引き渡さないのであれば自分のところできちんと裁判をやるのだといった規定というのが必ず含まれています。この3つが大体基本セットになっているのです。すなわち,まず、何が犯罪かを決めて、それを「各国で処罰しなさいよ」と決めておいて、具体的にどの場合にどの国が処罰するのかを決めて、仮にその犯人がその処罰すべき国にいない場合は引き渡す、それから処罰する国に証拠がない場合は、その証拠収集を手伝ってあげるというのが3点セットです。これだけ揃っていれば、一応どの国に犯人がいても必ず処罰はされるという前提です。つまり、犯罪者に安全な逃げ場(safe haven)を許さない。どこにも逃げられないようにするというのが前提です。
     ところが、現実には,これだけだとなかなかうまく行かないことが多いです。というのは、全ての国できっちり条約上の義務を果たすというのはなかなか難しいし、犯罪というのは起きてしまってからじたばたするよりも、未然に防げられればそれが一番良いのです。なので、後者についていえば,最近の犯罪条約は予防的な措置についても細々と決めています。予防的措置というのは、例えば、組織犯罪条約だったら、日本にもよくある企業舎弟のように、会社や法人が暴力団に悪用されないようにするための措置について条約で決めておいて、こうしたことも考えておいたらと勧告したり、腐敗防止条約だったら、公務員の採用プロセスについて、「縁故採用は止めたほうが良いよ」とか、「公務員には賄賂を取らなくでも食っていけるようにちゃんと給料をやるのだよ」とか、そのようなことまで書いてあるわけです。
     それから、とても重要なのは支援です。先程も言いましたが、条約に書いてあることをそのまま実行できる国は3分の1くらいしかないのです。ただ、残りの3分の2が実は一番大事なのです。しかし,例えば,今、私がやっている環境条約だと,残りの3分の2はやらなくでもいいと書いてあるわけです。今問題になっている温暖化条約でも途上国には義務がないのです。そうした条約体系もあり得るのです。まずやれる人だけやってくださいという、そうした決め方もできます。しかし、犯罪条約の場合はそれをやったらおしまいです。なぜなら、皆、そこに逃げてしまうからです。温暖化は逃げられないのでいいのですが、犯罪条約では絶対にやりません。「あなたの国は途上国だから犯人が逃げても捕まえなくてもいいよ」ということは絶対に言わないのです。その代わりに、「犯人を捕まえたり、裁判にかけたりすることが困難な国には,それができるように支援しましょう」という規程が条約の中に入っていて,今、それが結構大事になっています。
     あとは,締約国会合について定めることもあります。締約国会合がある場合には,この締約国会合において,支援のやり方をどうするかとか、条約をちゃんと守ってない国はどうするのか,場合によっては条約改正が必要かどうかということを決めることが多いのです。これは犯罪条約だけではなくて環境でも貿易でも同じなのですが、最近の多数国間条約というのは,たいてい,条約と締約国会合がセットになっています。締約国会合で,実施のモニタリングとか、また実際の運用の話などをしていくわけです。最初に,国際刑事法の質的・量的拡大の背景としては一種の組織された国際社会としての国際機関とか、枠組みの発展があると言いましたが、多数国間条約というのは、条約ができればおしまいではありません。条約をどうやって運用していくのか、そのための事務局である国際機関と締約国が運営していくための締約国会合の存在が大事になってくるということです。

     このような犯罪関係多数国間条約には、大きく分けて、3種類あります。つまり、「国際社会全体に対する罪」と「国際的な犯罪」の2つがあって、「国際的な犯罪」の中でさらに3つくらいの系列があるということです。1つは,永い歴史を持つテロ関係諸条約です。テロ条約は先程も言った犯罪の定義とか、管轄権とか、共助引渡しといった、3つの要素を含んでいます。特に,引き渡さない場合は、必ず自分のところで処罰しなければならないという非常に強い規定を持っています。ただ,締約国会合や支援といった点では,規定上は若干弱いので,国連,特に最近では安保理などが別途補っています。
     2番目は、少し特殊な系列で,人権系の犯罪条約です。拷問防止条約とか、児童の搾取に関する議定書、これは児童の権利条約に付随しているものです。それと組織犯罪条約に付随している人身売買議定書などいくつかあります。弱者保護的な人権条約の中には,刑事的な措置によって人権を守ろうという考え方に基づいた条約があります。  それから3番目が普通の犯罪に関する条約です。たちの悪い普通犯罪である薬物犯罪とか、組織犯罪とか、腐敗、サイバークライムといったもので,3点セットに,予防,支援,締約国会合つきというのがほとんどです。
     この中で,最近の動きをいくつか挙げますと,ひとつは,テロとか、薬物犯罪とか、組織犯罪もそうなのですが、資金に着目するというのがここ10年くらいのトレンドです。結局、ほとんどの犯罪はお金が目的です。テロは政治目的だと言われるのですが、政治をするためにはお金が要ります。とにかく短期的にはお金を手に入れることが主たる目的というのが多くなり、個々の犯罪の目的もお金になります。あるいは犯罪を大規模にやるためにお金が必要なので、犯罪から得られた資金や犯罪のための準備資金の流れに着目し,マネーロンダリング規制やその処罰を通じて犯罪を予防したり,あるいはより効果的な処罰を行うわけです。
     もうひとつの動きとしては,腐敗とか、薬物もそうですが、開発援助との関係の強化があります。例えば、経済発展を首尾よく遂げた国も遂げてない途上国も両方あるのですが、遂げてないところを見てみると、ただじゃぶじゃぶと援助を注ぎ込むだけでは駄目で、何かあるのではないかと皆が思い始めて、そこで「法の支配」という考え方が出てきました。その法の支配と援助を同時並行にやって行かないときちんとした持続的な発展は叶わないという考え方が出てきたことにより、国際刑事法を開発面で活用しようという動きが出てきています。
     それから3番目に、これはもっと大事な話になります。最初の方で述べた2つの系譜、ジェノサイド系の犯罪と国際的な犯罪の違いがあるのですが、重なっているところもあってそこが大事だという話をしました。それと一番関係のある話なのですが、今までの動きというのは、要するに犯罪というローカルなものが国際化していくという動きだったわけです。そして、条約を作るにしても、国際的な裁判所を作るにしても国際化にむけて皆が努力しました。ところが、それを10年くらい、長いものでは20年くらいやってきて、やはり「犯罪は結局ローカル」という話に、最近はなってきていると思います。確かに条約を作るのも大事で、国際裁判所を作るのも大事なのですが、それだけでは駄目なのです。最終的には何が一番大事かというと、それぞれの国の、それぞれの地域の裁判所、検察庁、弁護士、それから警察、場合によっては刑務所も含めて、しっかりしてないと駄目だというのが最近の動きだと思います。しかし、それは,多数国間条約とか、国際的な裁判所とかが無駄だったということではなくて、こうしたものを通じて国際的な啓発が進み、国際的な犯罪に対する国際社会の共通の害悪としての意識が広まった結果であると思います。言い換えれば、あくまでも最低限のグローバルスタンダードとして、この多数国間条約や国際刑事裁判所のようなものは非常に大事だということです。ただ、それだけでは駄目だと、最終的にはどうやってそれぞれの国内裁判所を強くしていくか、そのために国際刑事裁判所が積み上げる判例であるとか、仕組みであるとか、あるいは多数国間条約が作ったスタンダードというものを活用していくという方向に、今はむしろ動いているのではないかと思います。

     では、具体的にそれがどのような形で、国連の場で表れてくるかというのが,レジュメの「6.」です。国連でも昔、犯罪のような物好きなことを扱っているのは、ウィーンにある20人くらいの小さな組織がちまちまとやっていただけなのですが、今、国連の中で犯罪を扱っているところはたくさんあります。ただ、最近では,「ルール・オブ・ロー」、即ち、「法の支配」と呼ばれる大きな枠組みの中の一部としての犯罪対策という形を取っています。様々な取組みの中で大きいのは、レジュメの「6.」の一番上に書いた「紛争後の平和再建における法の支配の強化」です。今、大きなPKOミッションには必ず法の支配に関する組織が含まれています。NYの国連本部でも,PKO局という凄く大きな局があるのですが、その中に「法の支配部」というものができました。そこはできたばかりで、いまのところ,実際の任務は刑務所を作ったり、警察官の訓練をやったりする程度で、あまり大した事はないという話もあります。しかし、いずれにしても、そうしたものができていて、PKOで兵隊を派遣するだけではなくて、文民警察官を派遣したり、あるいは法整備支援のための要員を派遣するなどが重要な仕事になっています。紛争後に平和再建をするためには、まず、治安の回復、治安の回復のためには、効果的で効率的な刑事司法の再建というのが大事なのだというのをやっと国連本体が分かり始めているという状況です。それから、今言っている「紛争後の平和再建における法の支配の強化」というのはまさしく先程言った2つの系譜が混ざり合うところでもあります。大体、紛争中というのは人道に対する罪とか、戦争犯罪とか、ジェノサイドが起こっているわけですから、そういったものの後始末とケアと同時に,多くの場合は武装グループと密接な関係を有する組織犯罪に対する対応が必要になります。平和回復と法の支配の確立と治安の確立、その3つを同時並行にやっていくという考え方です。
     それから、紛争だけではなく途上国一般の刑事司法制度の強化というものにも国連は力を入れるようになりました。これは国連が力を入れているというより、援助機関が非常に力を入れるようになったと言えます。先程、国際刑事法の実務の中で開発援助系の話が増えていると言いましたが、腐敗というのが典型的な例になります。法の支配と開発が切っても切れない関係だということもやっと分かってきたのです。やっと分かってきたと言っても、我々はすでに分かっていたのですが、例えば、UNDP(国際連合開発計画)とか、世界銀行とか、そうしたところが気づいてくれたのは、割と最近でした。そこが一所懸命に刑事司法制度の強化に力を入れるようになったのです。これは2国間の援助でも同様です。
     あとはやはり「国際的人権保障との関係」です。国際刑事法の話というのは絶対に国際的人権保障と切り離しては進めません。人権保障なくして国際刑事法の推進というのはありえないので、これは国連でもそこのところはとても気を使います。国際刑事法をやっている人たちが人権に気を使うことだけではなくて、最近は人権オフィスでも人権について何らかの作業をやる時に刑事法的な側面ということを極めて大事にするようになりました。
     さらに,「国際協力ネットワークの構築」というものがあります。これは,先進国も含めて共助引渡しなどのネットワークの確立に国連も力を入れるようになったことです。先程、お金の面から犯罪を抑えるのが最近のトレンドだと言いましたが、そうした資金の差し押さえとか、没収追徴に関するネットワークというのも作ろうとしています。
     こうした動きがいろいろあるのですが、その基礎となるものは、まさしく多数国間の犯罪条約です。さらに紛争後の平和再建について言えば、今後積み重ねられていくであろう国際刑事裁判所の判例などというものもその基礎になっていくのです。特に,先程言った「国際協力ネットワークの構築」の基礎になっているのは、組織犯罪防止条約であります。これは,はじめから,刑事に関する協力のネットワークを作ることを目的とした条約で、すでに150カ国くらいが入っています。それを基にネットワーク作りが締約国会合によって進んでいます。

     一番最後は,私が勤務しておりました「国連薬物犯罪事務所」(UNODC:United Nations Office on Drugs and Crime)のことです。これは日本語で言うと「国連薬物犯罪事務所」になっていて、薬物犯罪しかやっていないように聞こえるのですが、そうではなくて正しくは「国連薬物・犯罪事務所」でありまして、薬物をやっている人たちと犯罪をやっている人たちがたまたま一緒になった事務所です。薬物犯罪だけではなくて、先程から言っている組織犯罪条約とか、腐敗防止条約も主管しています。あと、テロ条約は途上国の支援が少し弱いと言いましたが、その弱いところを補ってテロに関する途上国の支援、例えば、法整備支援などに関してもこの「国連薬物・犯罪事務所」はやっています。千田先生はまさしくバンコクでテロに関する法整備支援を担当しておられたわけです。
     この事務所の仕事は,ホームページを見ていただければ分かる話ですが、国連がやっているこうした分野の典型例ですので、ごく簡単に申し上げますと、国際基準の制定とモニタリングであります。国際基準の制定とは,先程言った2つの条約、組織犯罪条約と腐敗防止条約や刑事分野での各種の基準規則を作るための国際会議を主催し,さらには、それの解釈・運用に関する指針とか、ツール、ガイドラインみたいなものを作っていくということです。それから締約国会合や専門家会合を運営していくといった仕事を「国連薬物・犯罪事務所」はやります。専門家会合の運営というのは、これは別に2つの条約に関するものだけではなくて、いろいろな新しい事象に関する会合もあります。例えば、今朝の新聞に他人のクレジットカード番号の悪用に関する記事が出ていましたが、このクレジットカード番号は一定の規則性をもって作られているので、それを何万個も作っていくソフトがあるらしくて、それを使って詐欺をやったという話でした。我々のところではこれをIDクライムと言っていて、そうした最先端の犯罪についてどのように対応していくかを検討する専門家会議を運営しています。
     それから国連の仕事ですので、当然技術支援もあります。条約の締結支援、それから途上国に対して条約に基づいて法律を作る支援、訓練などをやっています。「国連薬物・犯罪事務所」の仕事というのは、先程「6.」に出てきた国連が最近国連全体として始めた国際刑事法分野のいろいろな仕事の1つの典型的な例であるわけです。
     これは一見、日本から遠い仕事と思われるかも知れないのですが、決してそうしたことはありません。ここの部屋の中に何人くらいの法学部の方がおられて、何人くらい国際機関に関心を持たれている方がおられるか分かりませんが、私も3年間この仕事をやりましたが、非常に面白い仕事です。尚且つ、それぞれの立場でそれぞれの貢献ができる仕事です。質疑の時間がかなりとってあると思いますので、私はこの仕事を離れましたが、引き続きいろんな意味で関係は保っていますので、最後に宣伝になりますが、国際刑事法の分野で、国連で働きたいと思われる方がもしおられましたら、ぜひ個人的にでもご連絡を頂ければ幸いです。もう時間ですので、ここで野口先生に代わりたいと思います。

    (拍手)

    (司会:中谷)

    どうもありがとうございました。
    それでは続きまして、野口先生、お願い致します。

    (講演:野口元郎)カンボジア特別法廷最高裁判所国際判事、外務省国際法局国際法課付検事
                      国連アジア極東犯罪防止研修所教官


     それでは私の方からは、「国際刑事裁判の現状と課題」という題でお話したいと思います。今、尾崎先生からご説明がありました国際刑事法の2つの系譜の中の1番目の方、「国際社会全体に対する罪」、所謂コア・クライム(Core Crimes)と言われているものですが、これに関して国際刑事裁判という形で扱うようになってきているということです。

    <レジュメ―野口元郎>
    「国際刑事裁判の現状と課題」
    1. 国際刑事裁判の発展
    ・ ニュルンベルクと東京
    ・ 冷戦期
    ・ 1990年代の動き――ICTY/ICTR/ICC
    ・ Hybrid, Mixed or Internationalized Tribunals――シエラレオネ、東チモール、カンボジア、コソボ、ボスニアなど
    ・ Transitional justiceの1メカニズムとして――Iraqi Tribunalの例
    2. ICCの意義と射程
    ・ 史上初の常設の国際刑事裁判所
    ・ 重大な国際犯罪に関しての個人の刑事責任を追及
    ・ 不処罰の文化の撲滅――”must not go unpunished”(前文パラ4)、”put an end to impunity”(前文パラ5)
    ・ 補完性の原則(前文、17)
    3. ICCの射程外にあるもの
    ・ 時間的管轄――2002年7月以前
    ・ 事物管轄―― the most serious crimes of concern to the international community as a whole,“Core Crimes”(5(1)), 重大性(sufficient gravity,17 (1)(d)), レバノン特別法廷の設置
    ・ 場所的管轄――非加盟国にかかる事態(安保理付託案件を除く)
    4. ICCの当面の最重要課題
    ・ 実績――2003年に活動を開始してからまだ一審判決なし
    ・ 時間とコスト――年間予算約100million euro
    ・ 身柄拘束の実効性――加盟国の義務及び国際協力
    ・ 普遍性問題――現在109加盟国
    ・ 被害者参加の在り方
    5. Hybrid Tribunal: カンボジア特別法廷の例
    ・ 刑事裁判は「負の遺産」の精算ができるのか
    ・ 限られた時間的管轄、事物管轄、人的管轄
    ・ 被疑者及び関係者の死亡・高齢化
    ・ 国際社会の関心の度合い、資金難
    ・ 正義の実現
    ・ 被害者参加と損害賠償 victims participation and reparation
    ・ 国民和解 national reconciliation
    ・ 真実の発見と教育への貢献
    ・ Legacy――モデル法廷として将来のカンボジア司法に貢献
    ・ 国際刑事司法への貢献
    6. 国際刑事裁判にとっての中長期的課題
    ・ 依然として強固な主権国家の枠組み
    ・ 主権国家の自助努力と国際協力が基本(補完性の原則、last resort)
    ・ 国際政治によって設立される司法機関
    ・ due process の遵守とコストパーフォーマンス(時間と費用)
    ・ 被害者及び国民との距離
    ・ 正義と和平
    ・ 国際社会における法の支配の強化への貢献
    ・ 正義は誰のためのものか


     時間が非常に限られておりますので、お手元にお配りしておりますレジュメに「1.」から 「6.」くらいまでありますが、40分でこれをやるのは一見して不可能という感じであります。この内「1.」「2.」「3.」くらいは私が個人的に関与したというような類のことではなくて、いろんな本に書いてあるものをざっとまとめただけですので、この辺りは簡単に触れるに留めまして、「4.」以後私が仕事で実務に関与している部分についてできるだけ現場の実状みたいなことも含めてお話できればと思っております。今日、お話しすることは今学期中谷先生と合同でやっている国際法の演習の中で1学期かけて取り上げていることと重なっていますので、ゼミ生の方にはすでに聞いたという話もあるかも知れませんが、そこはご容赦ください。

     まず、レジュメの「1.国際刑事裁判の発展」という項目ですが、所謂国際刑事裁判というのは、歴史上初めて行われたのが第2次世界大戦後のニュルンベルク裁判と東京裁判であります。これについては「勝者の裁き」であるとか、「事後法」の問題だとか、いろんな批判もなされています。日本は東京裁判の当事国であったという特殊な立場から膨大な量の研究もなされていますので、ここでは詳細には立ち入りませんが、いろんな意味でニュルンベルク裁判と東京裁判というのが現在の国際刑事裁判の源流になっているということは間違いないところであります。その後、1950年代の半ばくらいまでは国連のILC(International Law Commission:国際法委員会)を中心としてニュルンベルク裁判と東京裁判の遺産を受け継いで法典化しようとする試み、さらには国際刑事裁判所を作ろうという試みもなされていたのです。しかし、長期に亘る冷戦の期間中、国際社会はその構築に関して合意をすることができず、国際刑事裁判は約半世紀に亘って中断した、即ちそれ以上の実務的発展を見なかったという時期がありました。そして、それが再開したのは1990年代になってからでありますが、1993年に旧ユーゴスラビアの事態に関するICTY(International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia:旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷)の設立、それから1994年にルワンダの事態に関するICTR(International Criminal Tribunal for Rwanda)の設立、これらをAd hoc Tribunals(特別裁判所)とも言っていますが、国連安保理の下部機関として設立された特別刑事法廷が93年、94年に相次いでできました。それを受けて半世紀間中断されていた国連ILCなどによる国際刑事法の法典化の動きが加速しました。1996年に半世紀ぶりに草案が出され、結局それを受けて1998年にICC、即ち国際刑事裁判所(International Criminal Court)が設立されたわけです。その他、90年代の後半から2000年代の前半にかけまして、所謂「混合法廷」と言われるもの、Hybrid Tribunalsとか、Mixed Tribunalsとか、あるいはInternationalized Tribunalsというものがシエラレオネ、東ティモール、カンボジア、コソボ、ボスニアなどに相次いで設立されました。それから所謂「移行期における司法」(Transitional justice)と言われるコンテクストの中でイラクのサダム・フセイン裁判なども記憶に新しいところですが、これは国際法廷、または混合法廷というよりも純粋に国内法廷に近いものだったと思われます。

     次に「ICCの意義と射程」という「2.」のところに入りますが、ICCは今申し上げた国際刑事裁判の半世紀に亘る発展の中でどのように位置付けられるのかと言いますと、最も画期的なところは史上初の常設の国際刑事裁判所であるということです。常設というのは、設置期間が定められていない、基本的に永久に存在すると想定されていて、且つ地理的管轄や時間的管轄、事物的管轄など他のTribunalのような限定がないという意味です。そして、重大な国際犯罪、コア・クライムというものに関して個人の刑事責任を追及するというところが重要な点であります。個人の刑事責任を国際刑事裁判所で追及するということがこの特殊な点でありまして、これを常設の裁判所でやるという試みがこのICCで初めて行われることになったわけです。その背景には90年代の初頭からICTY、ICTRが直面してきたような非常に重大な、人間の尊厳に関わるような大規模な犯罪が当事国による適切な処罰を経ずに放置されてきたことへの反省、もしくは警鐘がありました。「不処罰の文化」(culture of impunity)の撲滅という言葉がよく使われているのですが、ICC規程の前文(Preamble)でも言及されています。ただ、このICCというのは、よく誤解されるのですが、一般のdomestic court、即ち国内刑事司法の上にある、そして優越権を持つ裁判所ではありません。このICCの管轄の発動メカニズムというのは、国内裁判所がいろんな事情で機能しない時に、最後の手段として発動されると言ったsupplementaryなものであるという位置付けがなされています。これを補完性の原則(principle of complementarity)と呼んでいます。

     「3.」のところに移りますと、逆にICCが常設の国際刑事裁判所として設立されたのですが、射程外にあるものがあるのかという点から見る必要があります。まず、時間的管轄という点ではICC条約が発効した2002年7月以前の犯罪については、ICCは管轄を持たないという制限があります。それから事物管轄として、ICCは人類全体の重大関心事である、最も重大な犯罪のみを扱うということになっていて、事物管轄が非常に制限されています。具体的にはジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪、それからまだ合意に至っていないのですが、侵略の罪、この4つしか現時点では事物管轄を持っておりません。従って、どんなに一般的に見て重大な犯罪であっても、これに属しないものはICCの扱うところにならないという意味で、ICCができることは限られているということが逆に言えると思います。そして、最も重大な犯罪(the most serious crimes)という要件の他に、ICCが現実に管轄権を発動するための要件として重大性、sufficient gravityと言ったものもあります。最近、レバノン特別法廷というものが、ハリーリ元首相暗殺事件に関連して設立されましたが、これなどはICCが扱わない犯罪、つまりこの場合で言えば、レバノンの国内法における殺人罪といったものが基本になっていますので、ICC設立後に行われた犯罪ではありますが、ICCが扱うものとはならなかったというような事情があります。さらに、場所的管轄という意味では、ICCが扱えるのは基本的に加盟国にかかる事態に限ります。即ち、犯罪地が加盟国であるか、被疑者の国籍が加盟国であるかというような事態がICCの管轄になります。安保理付託案件はこの制限から除かれるという事情もありますが、ICCが条約体である性質上、全世界のあらゆる事態に対して、当然に管轄権を持っているわけではないという場所的な管轄の問題もあります。

     以上のような「ICCの意義と射程」を踏まえまして、現時点で最重要課題と思われるものは何か。これは私が外務省でICCの加盟を担当した前後の状況から最近の活動状況などを観察して考えることを挙げたものですが、まず1つにはICCが設立されてもう11年、そして活動開始から6年が経ちましたが、まだ一審判決が出るに至っていません。そして、今年の2月にようやく、1件目の一審裁判が開始されたところであります。まだ、実績がないと言っていい状況であります。これは後の普遍性の問題にも関係しているのですが、ICCという条約体に加盟するのを躊躇する国がたくさんあるのですが、そのかなりの部分がICCがどのように機能するか、見てみないと分からないという理由で躊躇している、様子見といったところがあります。そうした国を加盟させるには、ICCが今後彼らから見ても納得のできる実績、特に中立性といった問題で、実績を積み重ねていくことが大事であると思います。
     「4.」の2番目の問題としては、時間とコストがかかるということです。これはICCに限らず、InternationalまたはHybrid Tribunalsに共通した問題と言えますが、ICCの場合で言えば、本年度の予算が約100ミリオンユーロ、日本円に直すと130億円くらいの桁であります。職員が現在700人ぐらいです。しかし、扱っている事件はまだ数件、逮捕されている被疑者がまだ数人という状況ですので、通常の国内裁判の経費やそれに従事する人数と比べて如何に国際刑事裁判というのが、金のかかるものかということです。これはICTY、ICTRが設立されてもう15〜6年経ちますが、なかなか活動が終結されない、それに伴って非常にお金がかかるという問題と共通しています。国際刑事裁判一般が非常に時間とコストがかかるものであるという認識の下で、如何に国際社会の要請に応えて実績を出していくかというところがこれからの課題の1つであると思います。そして、時間とコストがかかる最大の理由として、身柄拘束に時間がかかっているということがあります。つまり、逮捕状は出しているのに、なかなか逮捕されてこない、もしくは特定の国に匿われているといったようなことになります。これはICTYでもミロシェヴィッチを逮捕するのに数年を要し、今でも重要逃亡者(Main Fugitives)としてICTYで2人、ICTRで13人がまだ逃亡中であります。その理由の1つに、国際刑事裁判所というのは独自の警察力を持たないということが挙げられます。それから被疑者が別の国にいるということによって、なかなか身柄確保が容易ではないこともありまして、それによってどんどん時間だけが過ぎてしまうという問題があります。これは加盟国のICC規程に書かれている協力義務の実効性の問題でもあります。
     それから「4.」の4番目には普遍性の問題(Universality Issue)と書いてありますが、現在の世界の約200カ国のうちICCに加盟しているのは109カ国で、日本は105番目に加盟しました。先月末にチリが加盟して、今109カ国になっていますから、ちょうど半分強になっています。数だけを見ると半分というのは多いのではないかという気もしますが、中身を見ると国連の安保理の常任理事国5カ国のうち、英仏の2カ国しか加盟していないのです。よく知られている通り、アメリカも加盟していないし、中国とロシアも加盟していないのです。それから世界の人口大国と言われる国々、即ち人口が1億人以上の国が殆ど加盟していない状況であります。加盟しているのは、ブラジルとナイジェリアと日本だけだと思います。それから、アジアの国は殆ど加盟していない状況です。アジア太平洋地域から加盟しているのは主に非常に小さな国でありまして、アセアンの国などは殆ど、加盟していない状況です。地域的に見るとアジアの加盟が非常に少ないというアンバランスがあります。この普遍性の問題というのは、単に数の問題だけではなくて質の問題にも関わります。先程、尾崎大使のお話にも出てきましだが、犯罪を撲滅するためには網をかけなければいけないのです。犯罪者が世界中のどこにも逃げられないように世界で協力して法の網をかけなければいけないということです。そこにループホールがあってはならないということになりますが、大国を含む世界の半分近い国がICCに入っていないということがICCの様々な面で実効性を危うくしているという現実があります。まさに、そのICCの現実が、被疑者の身柄の確保自体が困難であるというようなことにも表れているし、裁判が始まっても証人を呼んでこられないというようなことも起こってくると思います。その意味で数の問題だけではなくて、ICCが今後実効性のある国際刑事裁判所として期待された成果を出していくためには、どうしても世界の主要国を含め、より多くの国のサポートを得られることが必須だという状況です。

     それから被害者参加のあり方と書いてありますが、これはHybrid Tribunal、例えば、カンボジアなど犯罪が行われた国に設立された法廷と違って、ICCの場合は犯罪地から遠く離れたところで手続きが行われるので、それとの関係で被害者の参加がどのような形で行われるのか、「正義の実現」ということが当該被害国、または被害者に対してどのようなインパクトを持ち得るのかといった問題です。これについてはICTR、ICTYの例で多数の研究もなされていますので、興味のある方はそのような文献もあたられたらいいと思います。
     次に混合法廷の例として、私が今従事していますカンボジア特別法廷の例を使って、現状と課題をいくつか取り上げてみたいと思います。まず、Hybrid Tribunalに限らず、刑事裁判という手続きでこのコア・クライムが引き起こした非常に大きな地域社会に対するダメージ、即ち人命の喪失を含む非常に大きなロスというものを清算できるのかという基本的な問いがあります。「負の遺産の清算」という言葉がよく使われていますが、これはなかなか難しい問題でありまして、先程の尾崎大使のお話にもありましたが、犯罪というものは起こってしまったら取り返しがつかないというのが現実であります。すでに起きてしまった犯罪の結果、これを完全に元に戻すというのはいかなる方法をもってしてもできないというのが現実だろうと思います。その中で刑事裁判がどのような役割を果たせるのか、多少でも何かに貢献できるのかということです。カンボジアの場合は30年前に国家規模で行われた非常に大規模な犯罪によって、当時の人口の5分の1から6分の1にあたる170万人という人命が失われていたというコンテクストであります。そうしたものに対して、30年経った今、刑事裁判というのは何ができるのかということが非常にシビアに問われているのですが、時間的管轄、事物管轄、人的管轄など、いろんな意味で非常に管轄は限られています。そして、被疑者や関係者の多くがすでに死亡している、または高齢化しているという事情もあります。さらに、国際社会の関心の度合いも時が経つにつれて薄れていく、または優先度が低まるといったこともあります。それがまた資金難となって表れるというリンケージがあります。そうした状況の中で、今30年経って、この裁判をカンボジアでやることになり、それに対して国連が入って正義の実現を一緒になってサポートして何とか実現しようと努力をしているわけですが、その中で被害者が参加することが非常に大きな意味を持っています。講学的なことを言いますと、このinternationalまたはHybrid Tribunalsの中で、刑事裁判手続きの中に被害者が参加する仕組みを持っているのは、ICCとカンボジア特別法廷の2つだけです。ICCの方は被害者が裁判所の適当と認める方法とタイミングで参加することができます。そして、被害者信託基金(Victims Trust Fund)を通じて損害賠償をすることができるといった仕組みになっています。それに対してカンボジアの方は、所謂Civil Law法制度下におけるCivil party(民事当事者)という形で被害者が検察、弁護側と同等の当事者として刑事手続きに参加し、証拠の閲覧権、申請権、証人尋問権、控訴権、その他当事者が持つ多くの権利を享受するというそのステイタスとしてはより本格的な形態を定めていますが、数が膨大なことや資金がないということから金銭損害賠償は認めないという損害賠償制度を導入しています。この被害者が参加することによって、どの程度、30年放置された彼らの傷が癒されるのか、そして「National Reconciliation」とよく言われますが、国民和解という側面に貢献できるのかというのが今問題になっているところであります。そして、我々が現場で最も気を使って、いろいろと制度を工夫しているところです。もちろん、刑事裁判ですので、基本的にやることは証拠に基づいて起訴された被告人の有罪無罪を判定することだけです。それだけがいかなる刑事裁判にとってもコアの業務でありまして、その他のことは刑事裁判が正しく行われた場合に付随的なサイドエフェクトとして出てくるものだと思います。その刑事裁判が持つ本質的な機能の中に「真実の発見」ということがあるわけですが、カンボジアの例で言いますと、このポル・ポト時代の残虐な事柄というのは、この30数年、全く闇に包まれ、教育の現場から完全に排除されて、言わば時代全体がタブーとして若い世代から隠されてきたという事情にあります。これが今この裁判がプノンペンで行われて、法廷の様子が毎日テレビで放映され、関連する番組がラジオで流れ、証人の速記録がウェブサイトに載るというようなことを通じて「真実の発見」の過程が市民の目にも明らかになりつつあります。そして、ようやく昨年、義務教育の課程でクメール・ルージュ時代の残虐な事柄を教育の中で伝えるという試みの最初のトライアルがなされました。まず、先生が使うテキストブックにクメール・ルージュ時代のことを書いて、どのようにこの時代を教えるかというテキストブックを作りました。これを初めて教育省が認可したというようなことが始まっています。
     それからレジュメに「Legacy」と書いてありますのは、このクメール・ルージュ裁判が国内法廷としてカンボジアの刑事司法制度の中で基本的には行われていますが、同時に国連がサポートして我々国際判事や国際検察官、国際捜査判事、書記官など国連からスタッフが入って、国際標準と言われるDue process of Law、被疑者・被告人の人権などを含む国際標準を遵守しながら非常に時間と手間をかけて裁判を進めています。これはカンボジアのような内戦から復興して間もない国では、通常の刑事裁判ではなかなか厳格に守られていないところでありまして、この特別法廷がモデル法廷として将来のカンボジアの司法に貢献する役割も期待されています。それから広い意味では先程申し上げた被害者参加制度の構築や運用なども含めて、国際刑事司法全体が未だにやったことのない新たな試みをたくさんやっていますので、これが善かれ悪しかれ国際刑事司法の発展にも貢献する部分があるのではないかということも議論されています。

     最後に国際刑事裁判にとっての中長期的課題といったことについて、いくつか申し上げたいと思います。1つには、今日申し上げましたように国際刑事裁判という場で個人の刑事責任を追及するという試みが第2次大戦後に開始され、約半世紀の中断を経て、ここ15年あまりまた盛んになってきたわけですが、依然として世界の国というのは、強固な主権国家の枠組みの上で動いていまして、そもそもこのICCを始めとするいろいろなTribunalsも全て主権国家の合意によって作られたもの、もしくは国連が設立したものであります。そして冒頭に申し上げたようにICCの仕組みも補完性の原則に表れる通り、主権国家の刑事司法制度の上に立つものではない、最悪の場合に補完するものに過ぎないという位置付けでありまして、結局のところ国際刑事裁判というものは主権国家の合意の上に成り立ち、また、その協力の上に成り立つものであると思います。そして、まさに結論の部分で先程尾崎大使が言われたことと全く同じになるのですが、結局国際刑事裁判がまともに機能するために最も必要なものは何かというと、それは各国の刑事司法がまともに機能することだと思います。1つには各国の刑事司法がまともに機能しなければ、国際刑事裁判の制度はとても持ち応えられないのです。最も重大ものだけをやるとしても限度がありますので、所詮国際刑事裁判というのは、各国の刑事司法がまともに機能するということを大前提として、それでもそこから漏れてくるものだけを扱うという仕組みになります。即ち、国際刑事裁判ができたから国内司法はもういいのだというのは全く逆の話であります。
     そして2番目の意味合いとしては、国際刑事裁判制度そのものが現実の実行においては凡そ全ての面で加盟国を始めとする各主権国家の国際協力がなければ成り立たない仕組みになっています。被疑者の検挙、被疑者の逮捕、証拠の収集、証人の召喚、刑の執行に至るまでICCを始め、Hybrid Tribunalも独自に国際機関そのものでできるものは殆どないのです。全てが各国の国際協力に依存しているというのが現状です。
     そして3つ目のポイントとして、「国際政治によって設立される司法機関という側面」と書いてありますが、これはある種矛盾したことかも知れないのですが、ICCを始め、国際刑事法廷は純粋な司法機関として設立されるので、その政治的関与の是非が非常に論じられるわけであります。そもそもこれらの機関は国際社会、International Politicsが設立します。例えば、安保理が設立したAd hoc Tribunalsの場合もそうです。また、条約体であるICC、国際機関の関心の度合いによって散発的に設立されるHybrid Tribunals、例えばカンボジアやシエラレオネ、東ティモール、コソボもそうです。設立の段階では国際政治、または国際社会の関心の度合いというものが、非常に大きな役割を果たしていくということが重要なポイントであります。そして、その後も継続的なサポートの有無、資金が続くのかというようなことも含めて、やはり国際政治の影響を受けざるを得ないという現実があります。その中で司法機関としてのTribunalがどの程度司法の独立(Judicial Independence)を保っていけるのかということは、なかなか時間が経ってみないと分からないところがあると思います。
     それから4番目には先程少し申しました通り、国際標準に従ったDue Processを遵守しなければならないということは、逆に言うとコストパフォーマンスは非常に悪くなりますので、時間と費用が膨大にかかるといった性質を備えています。
    それから被害者および国民との距離なのですが、純粋な国際刑事裁判になればなるほど被害者との距離は遠くなります。逆にカンボジアみたいにその国に裁判所を作れば被害者との距離は一番近くなるのですが、国際標準を守ることは難しくなるという矛盾した要請の中で、どのようにバランスをとっていくのかが問題になると思います。 それから正義と和平というのは、今のダルフールの事案にもありますように、国際刑事法廷、特にICCが現在進行している紛争に管轄権を発動しようとすると、それが和平の妨げになるというような議論もなされています。今、アフリカの諸国から一部、反発が出ている現状です。そうした正義と和平との関係を一体、どのように捉えていけばいいのか、より具体的にICCのコンテクストで言えば、安保理が介入するということをどのように考えていくのかという問題が残っています。
    最後にまとめになりますが、この国際刑事裁判というのは広く言えば国際社会における法の支配の強化の一面であります。コア・クライムという最も重大、悪質な人類共通の懸念である犯罪に対して、最後の砦として個人の刑事責任を追及する、簡単に言えば処罰するという枠組みを提供することによって法の支配という概念を強固なものにするという試みであります。しかし、ここでの正義というのは誰のものなのかを考えざるを得ません。国際裁判所が被害者と離れたところで判決を下すことで、被害者または当該国ではその様子をあまり知り得なかったり、ICTYの例のようにどちらの側からも非難されたりするということもないわけではないのです。逆に被害者と近ければ近いほどいろんな政治的考慮が働いて、中立的な裁判が難しくなるという事情もあります。そうした状況の中で、正義が誰のためのものなのかといったことが非常に重い課題としてあります。私の現在の認識は、JusticeはLocalなものだということであります。それを国際標準に従って実行するために、時に国際的なサポートが必要になります。そのプロセス全体を国際的枠組の中で行う必要があると思いますが、ジャスティスは本質的にローカルなものであるという気がしますので、その溝をどうやって埋めていくかという問題があると思います。
    時間が来ましたので、これで終わりにします。どうもありがとうございました。

    (拍手)

    【コメント】

    (コメント:千田恵介)東京大学教授、法科大学院専任実務家教員

     私がそもそも今日、なぜコメンテーターを仰せ付かったかと言いますと、お2人と仕事上の関係があるということで、尾崎大使とは「国連薬物・犯罪事務所」で2年程ご一緒させて頂きました。野口判事とは法務省で運営している国連機関であります国連アジア極東犯罪防止研修所(「UNAFEI=ユナフェイ」又は「アジ研」)というところで2~3年、一緒にお仕事をさせて頂いたという、そのようなご縁で今日はこのような役を仰せ付かりました。今までそれぞれ恐らく数十回は国際会議とか、シンポジウムとか、セミナーでご一緒していると思うのですが、日本語で一緒にお仕事するのは初めてではないかと思います。お2人とも日本語がお上手だなと思いながら聞いておりました。
     それはさておき、尾崎大使もおっしゃっていましたが、国際刑事関係の法律、法制度は本当にこの数十年で著しい発展を遂げたということが言えると思います。私は1990年から1992年まで、最初は若手の国連職員としてウィーンに派遣されたことがありますが、当時は本当にちまちまとやっていました。それでも麻薬関係は100人くらいでやっていたのですが、犯罪を担当している人は15人くらいしかいなくて、その中には事務職員も含まれていますので、その程度でちまちまやっていたという状況でした。
     当時は国際刑事関係の条約と言うとテロ条約が何本か、それとあとは1988年に採択されました麻薬新条約(麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約:United Nations Convention Against Illicit Traffic in Narcotic Drugs and Psychotropic Substances)、その前にも麻薬に関する条約は2つありましたが、その程度であとはあまり条約がなかったという状況でした。尚且つ、関係している機関もインターポール(国際刑事警察機構:Interpol)は除きますが、国連の方ではテロ関係は国連総会の第6委員会でいろいろ作りました。他の犯罪関係・薬物関係は国連経済社会理事会(United Nations Economic and Social Council)と国連総会の第3委員会の方で担当しているということで非常に小さい状態だったのです。しかしその後、どんどん大きくなりまして、取り扱う機関も国連の中で国連総会だけではなくて、他の部局も扱わなければいけない状況になりました。その中で一番大きいのは、安全保障理事会だと思うのですが、これが9・11同時多発テロ事件後に安全保障理事会がいくつかの決議を出すことで、まさに刑事法に関する決議を安全保障理事会が出した形になりました。安全保障理事会と言えば、戦争と平和の問題を扱う機関であったのですが、刑事法に関する決議を出したのは非常に画期的なことであったと思います。その他にG8の中でも国際犯罪を扱うようになりました。それからOECD(経済協力開発機構:Organization for Economic Co-operation and Development)まではいいのですが、Rule Of Law(法の支配)の関係で、腐敗との関係では、尾崎大使もおっしゃっていたのですが、IMFとか世界銀行というところも扱うようになりました。また、純然たる国際機関ではないのですが、欧州連合(EU)も非常に発達した域内の刑事法システムを作り上げてきたということで、非常に発展してきたと思います。その意味では、今後国際刑事法の分野ではいろんな仕事があり得るのだと思っています。
     どのような仕事があり得るかと言えば、まずは「Policy Making」です。これは国連の例を挙げますと、ウィーンで毎年開催される委員会に「犯罪防止刑事司法委員会」というのがあるのですが、その場で大体国連での刑事司法に関する政策を議論しまして、その結果が国連総会に上がって、それが政策になっていくというようなことが行われています。それから条約作成があります。法整備、即ち国際法整備というもので、条約作成の交渉という仕事です。それから条約ができた後にそれを執行する仕事があります。例えば、野口判事みたいに実際に裁判をやる仕事です。もしくはICCでは検察官の役もいますから国際的なICCの検察官として捜査をして起訴をするということもあります。このように本当の執行という仕事もあれば、あとは条約などで技術支援を定めた場合にそうした仕事をする例もあります。あとは調査をするという仕事もあると思います。それから国内法整備があります。いろんな条約の下で,法制度を新たに作ったり,新たな捜査体制を作ったりすることが条約で義務付けられるので、それを国内法で整備していくということです。これには2つの種類があります。まず自分の国で法律を作って整備していくということと、もう1つは他の国で、概ね途上国でなかなか自分の国で立法するだけのリソースがないようなところに法整備の支援をしていく仕事です。それと他の技術支援です。法整備以外の技術支援と言えば、例えば実際の捜査です。法律はできたのですが、どのようにして捜査をすればいいのか分からない時、あとは外国にある証拠をどのようにして持ってくればいいのか分からない時に、いろいろとコツとかノウハウを教えていくということであります。私はバンコクにいた時には、この辺りを一番得意にしていまして、検事とか警察官に対して法律にはこのように書いてあるのだが、実際に証拠を持ってくるのにはこうして持ってくれば一番いいのだということなどいろいろとコツを教えました。そして、その辺が向こうの方に一番受けていました。あとは箱物です。例えば、裁判所の建物がないので建ててやるなどといったことです。
     どのような職に就けば、こうした仕事ができるかというと、1つには皆さんの場合、日本国の役人になることです。例えば、それこそ外国交渉ですから外務省に入ることでできるでしょう。また、犯罪関係ですから警察官になってもできると思います。あとは他の省庁も関係します。例えば、核を使ったテロリズム、原子力発電所などの各機関に対するテロリズムはどうするのかという想定では核を管理する文部科学省も関係があります。あとはハイジャック、シージャック、このようなことに関しては国土交通省も関係しています。そうした意味では他の省庁も関係しているということだと思います。もちろん、国連職員もあります。国連職員になって国際機関で働くということです。また、OECDなどの他の国際機関の職員になることもあります。あとはNGOです。これは特に支援の場面ですが、その中でも特に技術支援の場合はNGOも非常に大きな役割を果たすと思います。最後に、検事も相当いろいろとやることがあります。私も元々検事で野口判事も元々検事でありました。例えば、条約交渉の時に日本政府の代表団になっていくこともありますし、実際にICCとかHybrid Courtに入って仕事をすることもあります。検事もいろいろなことをやります。ということで、検事になって国際刑事をやってみたいなと思う方は私に質問をして頂ければと思います。ということでこの辺で終わらせたいと思います。

    (拍手)

    (司会:中谷)

     どうもありがとうございました。そうしたら残りの時間をフロアからのコメントや質問をやりたいと思います。手を挙げて頂きまして、お名前とご所属をおっしゃってから、コメントとどちらの先生に聞きたいのかをおっしゃってください。ではお願いします。

    【質疑応答】

    1.(質問)T大学 公共政策大学院 Yさん

     お話を伺ったのですが、どちらにお伺いすれば良いのか判断が付かないので、お2人にお伺いしたいと思います。
    先程、途上国の支援に関して法の支配の強化と従来型支援は両方必要なのだとおっしゃっていたと思うのですが、これは両立が難しい状況というのがあると思います。例えば、先程、ちらっとおっしゃっていましたが、スーダンのバシール大統領のように正統政府が実は悪いことをやっているかも知れないという疑いがあって、仮に正統政府の行政能力を支援して統治基盤を磐石にしようとすると法の支配に逆行する結果に繋がるかも知れない、ということがあると思います。それについて、どう思われますか?

    (尾崎久仁子)

     今、ご指摘になったディレンマは頻繁に起こります。現地が深刻な状態であればある程,中央政府を支援してすんなりと行くことは稀です。ですから、ケース・バイ・ケースで気を使いながらやっています。国連自体が支援するときに気を使うだけではなくて、国連がやっている支援というのは他のいろいろなドナーの支援に比べると微々たるものなので,いろいろなドナーと協議しながらやっていきます。
     いい例がソマリア沖の海賊対策です。実際に起こっている事象を見るといろいろな条約が適用できるのです。テロ条約の一部とされているSUA条約(海洋航行不法行為防止条約:Convention for the Suppression of Unlawful Act against Vessels at Sea)も海上における暴力行為ですから、適用できます。それから組織犯罪条約も適用できるし、海洋条約も適用できます。しかし,これらをどのように適用して支援していくのかは別問題です。第1の問題点は、ソマリアには政府がないということです。特にSUA条約はテロ条約とされているので、テロ条約の実施について政府のない国に支援するというのは国連はできません。だから、ソマリアに対する支援というのは、違う形で行うのです。例えば、ソマリア本体に対する支援はNGOを通じて行うとか、それからSUA条約ではない他の条約を適用して行う、あるいは直接、刑事司法に関係ないごく民生的な支援を行うという方法をとります。他方では周辺国、エチオピア、ケニアは立派な政府がある国ですので、そうしたところでは条約に基づいてきちんとやります。また、政治的に2国間の支援がしにくい場合は国連が出ていったり、その逆のケースもあります。国連がやろうとする時に安保理のどこかの国が嫌がるようなことがある場合は、そうしたことを気にしない国がそっと支援したりします。ですから、支援の種類、誰がやるか、どのような形でやるか、それからどのような条約に基づく支援にするかというのを、その都度考えます。政府があっても,警察が特定の派にがっちり握られているような場合に、ダイレクトに警察を強化する支援などやりにくい場合もあります。警察を強くしたら本当に怖くなりますから、その時はそうではないところ、例えば刑務所に支援します。ただ、警察が刑務所を握っているところでは駄目です。そこがまさしく一番気を使うところです。

    (野口元郎)

     今おっしゃったようないろんな支援主体が役割分担をしながら、最も適切なモダリティであることが一番基本だろうと思います。あともう1つ、全く別の側面ですが、私がアジア開発銀行(ADB:Asian Development Bank)でこうした法整備支援などのプロジェクトをやった経験からしますと、ある程度目標が達成されて、そこで初めて次のお金を出すというIMF式のプログラムローンがあります。これをTranche Disbursementと言いますが、全体のプロジェクトをfirst tranche、second tranche、third trancheに分けて最初の50ミリオンはfirst trancheで出しますが、このfirst trancheはIMF式に言えば、コンディショナリティー、ADB式に言えば、目標が達成されて初めて第2のtrancheに進む、つまり、次の25ミリオンを出すといったようなやり方であります。これをやれば、ある程度は金を出したが効果はなく、また別の用途に使われてしまったというようなことを防げるのであります。限度はありますが、そのように支援をするにあたってお金の出し方に気を付けていくという使い方は非常に国際機関の中でもバンク系統でごく基本的にやっているところです。

    2.(質問)S大学法学部3年 Oさん

       貴重なお話、ありがとうございます。質問を尾崎先生と野口先生、どちらにすればよいのか、ちょっと悩んでしまったので、お二方に答えて頂きたいと思っております。  質問が2点ほどあります。両方ともICTYとICTRに対する質問なのですが、今日のお話はICCが中心だったと思いますが、ICTYとICTRは管轄権が補完性の原則ではなくて国際裁判所の方が優越権を持つという特徴で、ICCの方とは異なっていると思うのですが、そこで法の支配と和解という側面から考えたいと思います。ICTYとICTRは国内にあって国際裁判所がどんどん裁いていって、裁判が残り2~3年くらい残っていると思うのですが、裁いていく姿勢はずっと変わっていなくて、それは多分国際社会においてそのようなものが不処罰文化を撲滅していけないというスタンダードをどうにか広めようとしてやっていると思います。それと同時にやはり日本においても天皇が裁かなかったことがあるように、国家元帥という人は裁いてはいけないところが少々あったりすると思うのですが、その流れとは逆行しているかなと思います。実際になかなか司法当局が見られなくてICTY、ICTRは司法と組んでいないところがあると思うのです。そこでどのようにバランスをとって国際社会が不処罰の文化の撲滅に向けて取り組めばいいのか、国際社会の視点からと先生方の視点からとちょっとお伺いしたいのです。
     2点目が2010年にICTYとICTRが閉廷して、その後にどのように取り組んでいくかという話があると思いますが、そこで今まで国際裁判所が管轄していた事件を国内に管轄権を渡していかなくてはいけないという議論があると思います。そこで管轄権を実際に渡しましょうと何度も言っているのですが、実際に管轄権を渡す事件とは本当に1件あるかないかくらいなので、ルワンダについては全くない状態だと思います。やはりそれを見ると法の支配を支援していくというのは、なかなかローカルで進めていくのが本当に難しいことなのかなと思います。10年以上もやってきたのにできない状況があると思うのですが、ここでやはり国際社会が自発的にやった成功は古いなと自虐的に思ってしまうのですが、ローカルな司法を支援していくのにどのようなものが必要か、お考えをお伺いしたいと思っております。

    (野口元郎)

     2つのご質問は関連していると思います。1つ目のどこまで処罰するかという問題はICTYとICTRのコンテクストで言いますと、この両法廷の終了計画(Completion Strategy)と裏腹の問題なのです。Completion Strategyとは2004〜5年から言われていることなのですが、ICTYとICTRは時間がかかり過ぎているし、お金もかかるし、そろそろ店仕舞いしてくれということで残りの捜査を2005年くらいに打ち切っています。つまり、今現在新たな事件の捜査は一切にやっていない状況です。先程申し上げたように、残りの逃亡被疑者のうち、どうしてもこれだけは重要であると、この人たちだけは国際刑事裁判所で裁かなければいけない、つまりローカルの法廷に裁判を委ねる訳にはいかないという最重要被疑者だけをピックアップして、残りの期間をそれに集中しているのが今の現状です。今現在、まだ逃げている人というのが先程言った人数になるわけで、先程申し上げたICCの場合の補完性の原則と似た話ですが、国際刑事裁判所というのも能力が限られていますので、これは本当に重要なものに絞らざるを得ないのです。その中でどこまでを国際刑事裁判所がやり、どこから先をナショナル・コートにトランスファーするかというのは理屈の問題だけではなかなか解決されないのです。残された時間、金、スタッフなどがどのくらい残っているのか、ICTYとICTRはどんどん裁判官も辞めています。こうした中でどれだけ処理能力があるかというのが問題なのです。
     2番目のご質問のナショナル・コート側のキャパシティーというのは、おっしゃる通りなかなか一朝一夕に改善されないということは事実だろうと思います。ただ、トランスファーが否定されている事例を見ますと、必ずしもそのキャパシティーの問題だけではなくて、やはり中立性の問題、証人保護の問題もあるのです。例えば、現在の政府に全ての捜査情報が渡った場合、一部の証人に身の危険が及ぶ可能性があるという問題もトランスファーが阻まれる要因になり得るわけです。ですから、具体的にトランスファーが拒絶されたケースについて理由を見てみないとなかなかどういったコンテクストだったのかよく分からないのです。
    私は昨年の12月にICTR、タンザニアのArushaに行きました。そこでルワンダの検事総長と昼食の席がたまたま隣だったのですが、彼はICTRが自分の国の刑事司法に与えたポジティブな面というのをあまり高く評価している様子はなく、いろいろな不平不満を述べていたので、いろいろ難しい問題はあるのだと思いました。特にICTYとICTRの場合はナショナル・コートに対して優越的な管轄権を持っていますので、言わば上下関係にあるという側面があってなかなか難しいところがあると思います。

    3.(質問)T大学公共政策大学院 Mさん 

     私は野口先生に質問があるのですが、先生のご講演の中ではしばしば「正義」という言葉が語られていたと思います。その正義については、議論方式などの形式のみならず、それとも慣用的一般の正義も含むのでしょうか。そして、慣用的な一般の正義を含む場合、野口先生はローカル観念を重視するとおっしゃったのですが、それは果たして人類共通の普遍的な性質を持つことが可能なのでしょうか、そして、もし普遍的な性質を持つ場合は、それは何を根拠にしているのでしょうか。

    (野口元郎)

     非常に哲学的な質問で、私の手に負いかねるような気もします。「正義」という言葉で私が通常意味しているところは非常に単純なものです。その犯罪が処罰されることによってもたらされる満足感と言いますか、非常にシンプルな感情を私は指しているわけであります。以前にNHKで言ったのですが、逆に正義がないというのはどのような状態かというように考えてみると分かりやすいと思います。例えば、自分の親が殺されて、娘が強姦されたりしても、何も報いが起きないと、そうしたことをやった連中が大手を振ってのし歩いているという状況、そうしたものに対して正しい処罰がなされることを私は通常「正義」と言っています。先程の国民和解とか、被害者の参加というようなコンテクストの中で、その正義という言葉がどこまでそのようなものを正当化できるのかということは非常に難しい問題があります。カンボジアのクメール・ルージュ裁判でもそうしたことをめぐって喧々諤々の議論があり、また必要に応じて手続きをさらに変えているところですが、これはそれ自体が博士論文の研究テーマになるような大きな問題だろうと思います。私自身はあまり深く考えた事はないのですが、悪い奴は懲らしめられるといった程度のもので、素朴な感情が満たされること、そのような意味合いで通常使っています。

    4.(質問)T大学 Kさん

       尾崎先生に質問させて頂きたいのですが、私は修士論文のテーマとして国際犯罪の中でも人身取引を扱おうと思っているのですが、学術的な分野においても、または国連においても保護と防止と訴追など、ホリスティック的なアプローチが人身取引防止に非常に必要だということが述べられています。実際に国連で採択された人身売買防止議定書にもそうした内容が盛り込まれていると思うのですが、実際の人身取引に対する取り決めの中では、もちろんホリスティックなアプローチというのが全て必要だと思うのですが、どこが一番効果的な対策になるのかと言えば、保護と防止、訴追の中でどのようなアプローチが一番効果的だとお考えでしょうか。

    (尾崎久仁子)

    先程、犯罪は起きる前に処理した方がいいのだと申し上げたのですが、人身取引についてもやはり予防が一番重要だと思います。ただ、一番難しいのもやはり予防で、これは本当に社会構造とか、経済構造全体が関わってきます。ですから,予防の中のどこに絞り込んでいくのかというのが実際に条約の運用・運営をやっていく立場からは非常に気を使います。むろん,保護と訴追にも予防的な観点はあります。そこが漏れると実際いくら予防しても意味がないので、逆に保護とか、訴追の方も予防的な観点からは大事だと思います。少し元に戻しますと、予防でどこが大事かということになると,今、多分国連が力を入れているのは教育です。特に被害者及びその周辺、例えば親に売られるケースが多いので、その辺の教育に力を入れていると思います。

    5.(質問)T大学法学部 Mさん

       貴重なお話しありがとうございました。どちらの先生が一番詳しいのかよく分からないので、お答え頂くのは先生方に決めて頂きたいと思っております。 途上国の刑事司法制度の評価の重要性というのは以前から指摘されてきたと思うのですが、実際、法の内容を作っていったり、法の手続きの方を構築していったりする際に、各国の持つ独自の文化とか、歴史的な背景というのがあると思うのですが、そうしたものをどうやって調整して法制度を構築していくのかという問題があると思います。そのような問題をどうやって解決していくのか教えてください。

    (尾崎久仁子)

     実際にそうした苦労を一番この中でされたのは、千田先生だと思うのですが、おっしゃったように文化とか、伝統というのは非常に大事です。それを最初に無視すると、支援なんか要らないと言われてしまいます。他方で、およそ刑事司法というからには、絶対に譲れない部分というのが他の分野に比べると多いと思います。例えば、金融体制をどうするのか、農政改革をどうするのかなどといった分野に比べると刑事司法というのは最低限これだけ絶対やらなければいけないという部分があります。どんなに文化だと言われても拷問はやってはいけないし、どんなに伝統だと言われても特定の階層の人間だけを裁判で有利に扱うことはやってはいけないのです。また、どんなに宗教的な問題があろうと、やはり強姦は強姦なのです。だから、守らなければいけないところは死んでも守りつつ、そうでない文化や伝統はもちろんしかるべく尊重します。それでもうまくいかないところをなんとか誤魔化すテクニックについては、第一線でそのようなところに携わっておられた千田先生から一言を。

    (千田恵介)

     今の話に出たように、絶対に譲れない線というものがあります。特に日本国として法整備を支援する時でも、国連として支援する時でも、同じだと思うのですが、国連の場合はより人権的には縛りが厳しいところがあります。例えば日本国の場合は、まだ死刑がありまして、もちろんそれは最高裁判所で憲法に合致すると言われていますからやりますが、国連的には死刑は違法だとは言っていないのですが、死刑に対しては非常にネガチブな政策が多いです。加盟国ががんがん死刑をやりたいと言って支援を要請しても国連としては断然支援を拒むのであります。もちろん、日本国としてもそうしたことには支援しません。また、拷問に関するものについても支援はしないのです。これは国際人権法の関係で認められたものは絶対に死守するということです。そこは非常に簡単で、それをやりたいと言われても断って帰ってもらうか、帰らないと言われたらこちらは一切援助しないということになります。
     実際さらに難しいのは、英米法系か、大陸法系かという問題であります。大陸法の中でもフランス法系か、ドイツ法系かと分かれます。また、英米法の中でもイギリス法とアメリカ法で微妙なところがあり、そのようなところが一番難しいです。あと、インドシナ諸国、例えばラオス、ベトナム、カンボジアなどはまだ法律の中に社会主義的な雰囲気がかなり残っていますので、そうしたところもかなり微妙であります。そのようなことに関しては実際にどのようにやるかというと、最初は大体「この条約はこのようになっているので、このように作らなければいけないですよ」、「刑事訴訟法ではこのように直さなければいけないでしょうね」というようなやり取りをします。実際に大体の感じを掴んでもらった後に一条、一条を一緒に起草していくのです。その時にいろいろとディスカッションをすると、我々からすると国連の条約がこうなっているから当然これでいいのではないかと言われた時には、これはこれこれしかじかの法律があって、うちにはこれこれしかじかの法律があるから、こうでないと困るのですというようなインタラクティブなディスカッションをしていくのです。そして、その時にそれはそちらの法律が絶対おかしいから変えなくてはいけないというようなアドバイスをします。あるいは、1つの例えなのですが、刑事裁判なのに被告人側に無罪を立証する責任があるような方が「こっちの法律にこう書いてあるのですよ」と言われたら、それはこちらの法律を変えないといけないことになります。しかし、そうではない場合は、「はい、分かりました。それだったらこのような言葉遣いにしたら、このような構文にしたら、国連の条約も満たすし、貴方の法律とも矛盾しないのですよ」というような感じでやっていきます。特に国連の場合、いろんな国出身の法律専門家がいますので、英米法の国だったらやはり英米から来たエキスパートに一緒に行ってもらうというようにしてやっています。

    (拍手)

    (司会:中谷)

     どうもありがとうございました。そろそろ時間でございますので、本日の連続セミナーを終了させて頂きます。尾崎先生、野口先生そして千田先生にはご多忙のところおこしくださいまして貴重なお話を誠にありがとうございました。また、皆様もご参加くださり、どうもありがとうございました。

    (拍手、講演会終了)