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コラム15:決められない!

法学や政治学の世界においては、「自由」というものは善きもの、価値あるものであるということが暗黙裡に不動の前提とされていることが多い。自由と平等のどちらが優先されるべきであるかとか、I.バーリンの言う消極的自由と積極的自由のどちらがより重要であるか、といった議論はしばしばなされるが、そもそも自由は本当に善いものなのか、ということが改めて問われることはめったにない。自由が善いものである、というのは疑問の余地のない自明の前提とされているのである。しかし、本当にそうだろうか? あるいは、本当に多くの人は自由を本気で重要なものと思っているのだろうか?

 

私がこのような疑問を持ったのは、学習相談員として法学部生の相談を受けるなかで、自分の進路を決められない、という悩みを持つ学生を数多く見てきたからである。言うまでもなく、何をするのも自由であるということは、何をするかを自分で決めなければならないということである。自分で決める・選択するということは、その結果に対して責任を取らなければならない、ということである。「上官の命令でやりました。自分にはそれ以外に選択の余地はありませんでした」といった言い訳は許されないのである。失敗したときに、「アンタがやれといったからこうなったんだ。どうしてくれるのだ」と責任を他人に転嫁することができない、ということでもある。それは必ずしも楽なことではない。むしろ誰かに決めてもらった方が気が楽だ、という人も多いのかもしれない。つまりは自由を放棄する、ということだ。医療においてはインフォームド・コンセントが重要だ、と最近よく言われるが、実際には、難しい治療方法をいくつも説明されたうえで自分で選択するよりも、「先生が一番いいと思う治療をして下さい」と言う患者も多いのではないだろうか。

 

自分の進路を決められない、という学生の多くが口にするのは、「東大法学部からはどんなところに就職する人が多いんですか」、「他の人たちはどうしていますか」という質問である。「他の人がどうしているのかよりも自分が何をしたいのかを考えた方がいいのでは」と言うと、「何をしたいのかがわからない。だから他の人がどうやって決めているのか知りたい」という答えが返ってくるのである。最初の頃は変わった学生もいるものだと思っていたが、驚いたことに、そのような学生が決して少なくない、ということが徐々にわかってきた。しかも、これは決して東大法学部だけの現象ではないようだ。『自分で決められない人たち』(中公新書ラクレ)の著者・矢幡洋によれば、このような自分で物事を決められない「依存性性格」の人々は現代の「日本人の最も典型的なパーソナリティー」だという。このような依存性性格者は他人の視線に極めて敏感で、「普通・人並み指向」が強く、権威に弱いと言われている。しかし、逆に言えば、彼らは他者に対する気配りがあり、素直で、謙虚で、他者の助力を引き出すのが上手である、といった積極的な側面も持っているのである。

 

ところで、彼らの目指す「普通・人並み」とは、あくまでも彼らの準拠集団の中での「普通・人並み」である。法学部生であれば、当然、「東大法学部」が準拠集団ということになる。ところが、周りを見回せばすぐにわかるように、法学部生の中では法曹と公務員志望者が圧倒的に多く、進路選択における多様性は恐ろしく乏しいのが現状である。そのような集団を準拠集団と見なし、その内部にのみモデルを求めるとすると、生き方の選択肢は恐ろしく狭いものにならざるを得ない。モデルを求めるとしても、せめてもう少し視野を広く持ってもいいのではないだろうか。

 

(文責:稲田)

学習相談室