東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

コラム32:「セールスマンの死」と長男の再生

学習相談室

コラム32:「セールスマンの死」と長男の再生

アーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』の陰の主役、というより本当の主人公は、セールスマンのウィリー・ローマンではなく、彼の長男ビフである。

 

人生の目的は社会的な成功者になることであると信じる野心的俗物であり、家族の前では有能なセールスマンで、陽気で楽天的な父親像を演じているが、実はそれらの大半が自己欺瞞的な誇大妄想であることが、劇の進行とともにわかってくる。この父親から大金を稼ぐ成功者になることを義務づけられた長男ビフは、その強い呪縛ゆえに、窃盗癖を身につけてしまい、ハイスクール中退後は各地を転々としながら、34歳になる現在も定職に就かず、自分の生き方が見つからずに悩んでいる。しかし、実家に戻ってきたビフは父親との対決を通じて、父親と自分自身の自己欺瞞に気づき、自分本来の気持ちをも取り戻していくのである。ところがウィリーはどうしても現実に直面し、自己欺瞞に満ちた妄想の世界から抜け出すことができず、最後は自動車自殺をしてしまう。しかしビフはそうした父親の姿を客観視できるようになり、最後は父親の呪縛を抜け出して自立の第一歩を踏み出そうとするところで戯曲は終わっている。

 

この戯曲が私たちに示唆するところは非常に多い。第一に、父親、より一般的には親の価値観や人生観がいかに子どものそれを束縛してしまうことがあるか、ということである。第二にそれは、ほとんどの場合、実態は親のエゴにすぎないものを親の愛情という名目の下に押し付けられるために、親自身が自分のエゴに気づかないだけでなく、子どもは親の価値観を内面化してしまい、たとえそれが自分本来の気持ちや指向性とは異なるものであっても、あえて後者を抑圧しようとして苦しむことがありうる、ということである。第三に、親の価値観と子どもの内面性との緊張が極度に高まったとき、子どもは親の価値観と対決することによってはじめて、自らの内面を客観視できるようになり、そうすることで本来の自己を取り戻すことができる場合がある、ということを、この作品は示しているように思われる、

 

親が自分に愛情と期待をかけてくれていると思えば思うほど、子どもはその期待に反する行動をとることが難しくなる。できる限り親の期待に応えたいと重い、そうすることがまた自分自身の希望でもあると思い込んでいる。そのときにはすでに、親の希望と自分の希望とが渾然一体となっており、それとは異なる自分の本心などというものがどこにあるのかすらわからなくなってしまっていることが多い。しかも、場合によっては、親の期待はもはや自分の家族だけにとどまらず、親戚一同の期待にまで膨らんでしまっていることもあり、さらにそれは、周りの友人たちの目指すコースでもあったりすると、そこから外れることはますます容易ならざる事態となる。しかし、何かがおかしい。どうも自分が本当にやりたいこととは違うような違和感がある。そのような苦しみを訴える学生を数多く見てきました。

 

大学3年にもなると、いよいよ自分の進路を決めなければならない時期に差し掛かります。そのとき、何か息苦しさや圧迫感を感じるようであれば、もう一度自分の内面の声に耳を澄ましてみることをお勧めします。

 

(文責:稲田)