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コラム47:イワン・イリッチの生と死

トルストイの中編小説『イワン・イリッチの死』(米川正夫訳・岩波文庫)の主人公イワン・イリッチ(望月哲男訳・光文社古典新訳文庫ではイワン・イリイチ)は、官吏の次男として生まれ、「一家中での秀才」と言われ、利口で生き生きした気持ちのいい礼儀正しい青年に成長し、法律学校を優秀な成績で修了した後は、県知事付きの特務官となり、その後、予審判事、検事補、検事と順調に出世を重ね、45歳で亡くなったときは、中央裁判所の判事であった。人付き合いも如才なく、社会の上流階級の人々との交際を楽しみ、カード遊びにも秀でており、病気になるまでの彼は、人生かくあるべしと自ら考える通りの人生を歩んでいた。

 

岩波文庫の訳者である米川正夫は、解説の中で、イワン・イリッチのことを、「きわめて平々凡々たる俗人」「平凡な一俗人」「明らかに凡俗の一類型」と評し、彼の人生を「世間的生活の虚偽と空虚を具象化」「軽浮な凡俗生活の醜い本質」などと表現している。しかし、最初からそのような超越的な視点でこの小説を読んでしまえば、イワンの苦しみに共感することは難しくなるのではないだろうか。出世や世俗的成功などには無関心な、ごく一握りの超俗的非凡人を除けば、世間の大多数の人々が憧れうらやむような生活を手に入れたイワンは、自らそのことに満足していたのである。

 

ところが、新しく手に入れた住居の改装に熱中し、自ら壁紙の張替えをしていたところ、はしごから落ちて横腹を強打したことを契機として、次第に横腹の痛みと口中の妙な味覚に悩まされるようになる。医者によって異なる病名を示唆され、はっきりした病名がわからない。痛みと味覚異常はますますひどくなるが、それにもましてイワンを苦しめたのは、自分が邪魔者扱いされているという意識、そしてそれを隠そうとする周囲の人々の嘘と気休めであった。

 

ある深夜、イワンは人間の残酷さや神の不在を思って泣くが、自分の人生を振り返ると、「当時喜びと思われたものがすべて空しく消えてしまい、その多くは穢らわしいものに思われた」。「自分は山へ登っているのだと思い込みながら、規則正しく坂を下っていたようなものだ。世間の目から見ると、自分は山を登っていた。ところが、ちょうどそれと同じ程度に、生命が自分の足元からのがれていたのだ」という思いに捉われた。

 

死の3日前、イワンの頭にふと、「社会で最高の位置を占めている人々が善と見なしていることに反対してみようとする極めてかすかな心の動き、彼がいつもすぐに自分で追いのけていた、あるかなきかのかすかな心の動き」が起こり、それをきっかけに、「自分の生活を形づくっていたすべてのものが、なにもかも間違っていて、大掛かりな欺瞞であること」をはっきり自覚するのである。その瞬間、彼は、「もう取り返しはつかない」と悟るが、恐ろしい苦痛がさらに3日間続く。しかし、死ぬ2時間前、イワンの頭に突然、「自分の生活は間違っていたものの、まだ取り返しはつく」という思想が啓示され、最後は、「なんという喜びだろう!」という思いを抱きつつ死んでいくのであった。

 

これは一体どういうことなのであろうか。岩波文庫の表紙に書かれているように、「諦観に達」したということだろうか。また、これは「何の変哲もない」題材(同表紙)だろうか。なるほど、苦しみの果てに諦観に達したというだけならば、「何の変哲もない」題材かもしれない。しかし、諦観に達しただけで、「何という喜びだろう!」という思いに至ることはないのではないだろうか。

 

死を目前にして、人生をやり直すことはできない以上、その意味では確かに、「もう取り返しはつかない」。では、「まだ取り返しはつく」とはどういうことだろうか。

 

彼は自分の人生が間違ったものであったことに気づいた。それは、「あたかも蠅が光を慕うように、世の最高の地位を占めている人々のほうへ、引き寄せられていく」彼の傾向から生じたものであり、彼らの態度や物の見方を習得し、彼らが正しいと思う道を歩むことが正しいのだという思い込みから生じたものであり、つまりは、彼は彼自身の人生を生きていなかったということであろう。そして、彼の人生が間違ったものであるかもしれないことを示す兆候は、実は病気になる前から現れていた。妻の妊娠2,3カ月目から現れ始めた妻との不愉快な口論である。しかし、イワンは妻の不満に向き合うことを避け、仕事に熱中することによって不愉快な家庭生活から目を背けてきたのである。しかし、死を目前にしたイワンは、突然、自分が妻子を苦しめていたことに気づき、彼らをこの苦しみから救うことで、自らも苦痛から解放されるとの考えに想到するのである。

 

これは、V・E・フランクルがいう態度価値、すなわち、逃れられない運命に対しても、その事実に対してどういう態度をとるかによって実現し得る価値をイワンが実現したということを意味しているのであろう。ナチスの強制収容所からの生還者で『夜と霧』を著した精神科医であるフランクルは、人はどんなに劣悪で非人間的な制約の下でも、なお人間らしくあり続ける自由を持っており、そのような自由を実現する人間を「制約されざる人間」と呼んでいる(『制約されざる人間』)。そしてまた、苦悩が耐え難いのは、そこに意味が感じられないからであるが、こうした無意味感は苦悩や人生を自己を中心に見ているからであるが、人間は人生や苦悩から問われている存在であり、その問いかけに応答することによって「苦悩の意味」が成就されると述べている(『苦悩する人間』)。

 

このように考えると、『イワン・イリッチの死』は、人生と苦悩の無意味性を悟った主人公が死の間際で「苦悩の意味」を成就するという、稀有の小説であるように思われる。

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