学術創成研究プロジェクト
平成13年度新プログラム方式による研究
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研究会記録

ボーダレス化時代における法システムの再構築

■研究会記録

―社会(個人、家族、社会保障、労働)
保育サービス供給システムとサービスの実態

報告者:岩手県立大学教授 福田素生   
外国人労働者の現状と政策課題について    

報告者:厚生労働省外国人対策課課長 末廣啓子
フランスの「人と家族の法」:2001年の断面           

 ――同性・異性カップルの共同生活に関するパクス法を中心に――
東京大学大学院法学政治学研究科教授 大村敦志
フランス家族法邦語研究文献一覧  大村敦志
その1 家族法(狭義)関係   東京大学大学院法学政治学研究科博士課程 西希代子
その2 夫婦財産法・相続法関係 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程 小島 彩
   ◆ ペルーの人権擁護団体             

東京大学大学院法学政治学研究科・教授 大串和雄
児童虐待問題から見た親権法制―イギリス1989年児童法典を参考に

報告者:東北大学法学部・助教授 久保野恵美子        
論文集『個を支えるもの』刊行予定

2001年11月10日

報告者:岩手県立大学教授 福田素生
          

保育サービス供給システムとサービスの実態

1 保育サービス供給システム

(1)保育サービスの目的
・保護者の就労などと子育てとの両立と乳幼児の健全育成

(2)保育サービス供給システム
・保育、介護等対人社会サービス(personal social service)の供給は、市場によるもの、政府による (無料の)供 給を両極に多様。他に、家族、地域などインフォーマル部門によるものやボランティアによるものもある。

・保育サービスを必要とする者が、もれなく良質なサービスを効率的に受けられるよう@供給主体、 A財政、B質などの規制の面で公的部門が関与。―評価の基準は、アクセス、質、効率性、利用者本位

・半世紀続いた措置(委託)制度と1997年の改革(資料1、2)

・利用者の保育所選択を尊重する規定が盛り込まれたものの公権力対利用者という関係において、公権力が 独占的にサービスの供給を決定するという方式は不変。

・cf(私立)幼稚園は、マーケットにおける利用者の選択。低所得者に対する価格補助のみで価格は原則として  自由化。

・歴史的には、サービスの提供と(第1次的な)費用負担を行政に義務づけていることから、GHQの指導と憲法25条の生存権思想の下で形成された保育に対する公的責任を具現化した制度ととらえるのが社会福祉(法)学者の中では一般的。私見では、生活のために働かざるを得ない多数の母親の存在を前に憲法89条の下でも民間事業を活用せざるをえない政府が作り出したものであり、野口教授が「1940年体制」と呼んだ戦前の国家統制的な制度との連続性も認められる。国際的にも異例の制度。

2 保育サービス供給の実態

(1)保育所数、利用児童所など(資料3)
・22,200ヶ所(公営6割、私営4割。全社会福祉施設の3分の1を占め、他の福祉施設と比べて公営の比率が高い。)
・利用児童約180万人。(定員で全福祉施設の約7割、従事者数で4割強)

・保育所運営コストはマクロで2兆円強と試算される。GDP比で0.4%程度。

(2)保育サービス供給の実態―自治体規模、公民営別の保育所運営コストなど(資料4.5.6)。
・利用者本位の供給になっていない。

・非効率なサービスの生産(特に公的部門)―cf要介護5の特養の介護報酬でも約30万円/月

・高コスト構造自体が行政が供給の独占的な決定権を持つ制度のもとでサービスの拡充の
 阻害要因になっているのでは。―アクセスと効率性双方に問題?

3 保育サービス供給システムに登場するプレイヤーの利害関係(資料7)

・多様な利害関係者による複雑な利害関係―措置委託制度が半世紀継続し、抜本的な改革が
 なされてこなかった一因か。

4 先進諸国の保育政策―児童手当、育児休業などの家族政策を含めて

・英米―家族の問題は私的なことという意識が強く、伝統的に一般的な家族の問題に政府は極力介入しない傾向。アメリカに児童手当はない。政府の関与は困窮家族や特別な保護を要する児童への援護という形。一般的な保育サービスは、営利部門を含め、民間部門によって私的に供給されることが期待されており、公的な保育サービスは貧困家庭などを対象にした限定的なもの。育児休業制度も寛大なものではなく、母親はフルタイムからパート就労への移行が多い。
 
・仏―例外的に明示的な出生促進の立場。公的な保育サービスの水準もかなり高く、メニューも多様なので、フルタイムでの就労継続も可能。児童手当のプレズンスが大きく、N分のN乗方式をとる所得税制を含め、多子世帯を優遇。

・独―男女の役割について、男が中心的稼得者、女は家事、育児を中心的に担当するという伝統的な家族をモデルとする保守的な意識や3歳未満の乳幼児の育児は母親によることが望ましいという考え方が根強い。乳幼児に対する公的な保育サービスの対象は限定されており、フルタイムの就労の継続は困難で、実際にパート就労が多い。児童手当の創設は遅かったが、その後普遍的な制度として拡充され、給付水準は高い。

・北欧―ジェンダーにとらわれることなく、男女が仕事、家事、育児を分担する家族モデルを公的部門が積極的に支援。父親も取得可能な寛大な育児休業制度とその後の高水準の公的保育サービスにより、就労と子育ての両立が可能。児童手当も高水準。ノルウェー、フィンランドなどでは、公的な保育サービスの費用と同等の自宅保育手当てを受けて在宅での保育を選択することも可能。

・これに対し、わが国の場合、主として救貧的なものとしてスタートした保育制度が、複雑な利害関係の中で抜本的な見直しを行うことなく、その時々の財政や政治の状況に翻弄され、少子化関連とされてからも家族政策の基本的なスタンスを十分整理しないまま、エンゼルプランなどにより、問題をかかえたままなし崩しで拡充されているという印象。費用対効果が極めて悪い。育児休業や児童手当と関連づけて議論されることも少ない。児童手当は極めて限定的であり、性格もあいまい。育児休業も導入が遅れ、定着しているとはいいがたい状況。

5 今後の方向性

(1)保育サービス供給の問題点
@多様なニーズに対する利用者本位の柔軟な供給がなされていない。
A都市部を中心とした(公営)保育所の高コスト体質
B分配面の不公平(20年前の高山の指摘)−a「保育に欠ける」という要件を満たしていない
 利用者の濫用、b幼稚園、無認可保育施設、自宅保育者との不公平、c所得補足による不公平

(2)今後の方向性
@弾力的な保育サービスが効率的に供給されるような保育サービス供給システムへの改革
・障害者に対するサービスまでが利用者が事業者を直接選択できるいわゆる支援費支給方式(資料8)に移行する中で、選択的なサービスとしての性格が強い保育サービスの供給を行政が独占的に決定するという半世紀前のシステムを維持しなければならない理由は見当たらない。

・ただし、保護者の長時間労働のために子供が(劣悪な環境で)長時間保育を強いられるといった結果にならないよう十分な利用者保護制度や雇用慣行の見直しが不可欠。

・その際、人的資源に対する社会的投資として子育ての社会的支援を総合的に強化する中で自宅保育者との公平などにも留意しながら改革を進めるべき。

A公営保育所の民営化、民間委託の推進
・特に大都市部においては、公営保育所は効率性の面からみてLe Grand(1991)のいう「政府の失敗」に該当するといわざるをえないような状況。

・対人社会サービスに関する公的関与のあり方については、財政支援と規制の面では公的部門の役割を残しながら供給主体(サービスの生産者)として役割を削減するというのが先進国共通の傾向。

・現行システムを前提にしても、民営化により相当の効率化や弾力的なサービス供給が可能になる。

・保育士などの職員の処遇が最大のネックになりそうだが、児童虐待などより大きな公的関与を必要とする部門への専門教育の上での再配置など公的部門における人的資源の適切な配分の観点から総合的な検討が必要。

B家族政策に対する福祉国家の基本的スタンスの策定と合意形成
・家族の在り方と国家の関係をどう考えるか、家族政策の基本的スタンスの確立が、十分にコーディネイトされた有効な総合的公共政策の前提。


                                 

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2002年2月2日

報告者:厚生労働省外国人雇用対策課課長 末廣啓子
                    

外国人労働者の現状と政策課題について

1.外国人労働者受入れの基本方針と受入れをめぐる最近の議論について

(1)外国人労働者の受入れに関する政府の基本方針
外国人の労働者の受入れについて、日本国政府の基本方針は、1967年以降基本的には変わっていない。1967年から1988年までは、「雇用対策基本計画」決定の閣議において、「いわゆる単純労働者は、我が国の労働市場への影響等を考慮し、受け入れない。」との口頭了解がなされた。(ただし、入管法により、日本人では代替できない技術・技能を活かして就職しようとする者等については外国人の受入れを認めていた。)
 
1988年以降は、「雇用対策基本計画」において、@専門的、技術的分野の外国人労働者の受入れをより積極的に推進すること、Aいわゆる単純労働者の受入れについては、国民のコンセンサスを踏まえつつ、十分慎重に対応することが不可欠であるとの2つの方針を明記した。

1989年には、改正入管法が成立(1990年施行)し、在留資格を現行の形に大幅に整備し、その中で日系三世を「定住者」という在留資格の中に明確に位置付けた。さらに、不法就労対策の強化として不法就労助長罪を新設した。この間1988年には、旧労働省は「外国人労働者問題研究会報告書」を発表し、受入れ範囲の考え方、雇用許可制度構想を提言している。
 
1993年には、技能実習制度が創設された。これは、「研修」について途上国への技術移転をより効果的に行うという観点から、一定の条件の下で、雇用契約に基づく職場での技能実習をプログラムに含めることを認めるもので、現在のところ59職種が認められている。

(2)外国人労働者の受入れをめぐる最近の議論
 @1980年代後半〜90年代前半までの議論
急速な円高の進行やバブル経済等を背景として、我が国に入国する外国人労働者及び外国人の不法就労が増加し、単純労働者受入れの是非について議論がなされ、産業界からは受入れに対する強い要請があった。これが、前項の政府の諸対応へとつながっていった面がある。

 A最近の議論
外国人労働者受入れをめぐる最近の議論については、@の議論との相違は何かということを考えて議論の今日的意味について検討することが重要と考える。
 
最近の傾向としては、経済・社会のグローバル化の進展が著しいということ、その中で高度人材(highly skilled worker)の必要性が各国で増大していること、少子高齢化への対応についての国民の意識が高まっていること、入管法改正以来、様々な形態(日系人、日本人の配偶者、研修生、留・就学生、不法残留等)での外国人の流入が増加しそれに伴う問題が蓄積していることなどが挙げられる。こうした中で、受入れの在り方を議論すべき時期にきたとの意見も出てきている。

外国人労働者の問題は、より大きな文脈の中でとらえていく必要があると思われる。今や、この問題は多くの国に共通の課題となり、たとえばタイやマレーシアなど一昔前は「送り出し国」であったところも、「受入れ国」かつ「送り出し国」になっている。また、難民問題も含めて、国境を越えたいろいろな労働移動が各国の課題となっている。このように国際的な労働移動が活発化・複雑化している中で日本としてどのような対応をとっていくのか、さらには、日本の経済・産業の在り方、就労意識・ライフスタイル・就業形態の多様化(フリーターの増加など)や企業の人事労務管理の在り方への対応など、今後の日本の課題との関連において外国人労働者の受け入れをどう考えていくのかという視点が必要であろう。

 B個別の論点
個別の論点としてよく議論されるのは、以下の四点である。つまり、中長期的な人口減少・労働力不足への対応としての受入れ(これに対しては、まず、日本人のさらなる活用を図るような諸政策等の実施により労働力人口の減少を最小限に抑えることが重要)、いわゆる3K職種等における人手不足への対応としての受入れ(まず、労働力不足とされた産業・職種のありかたをきちんと見直す必要がある。外国人を受け入れることによって本来なされるべき労働条件の改善や生産性の向上など産業の高度化が阻害されるおそれもあることに留意すべき)、介護分野への受入れ(雇用発展分野ゆえに専門的かつ良い条件の職場となるよう努力すべきで、現在日本人の育成と需給調整を最優先に取り組んでいるところ)、IT分野への受入れ(積極的に推進)である。

 C諸外国の状況
欧米先進各国の政策の方向は、高度人材(留学生含む)の受入れ促進とそれ以外の労働者の受入れ抑制というものであり、各国においては受入れ制度や運用の見直しを図っている状況である。受け入れに当たって国内の労働市場に悪影響を及ぼさないように労働許可制度によって個別に判断を行うなどの方法や数量制限の下に受入れを行うなどの方法がとられている。アメリカも、就労目的の移民や非移民については数量割当や労働許可を行っている。ドイツにおいても、労働許可制度において限定的に受入れを行っており、イギリス、フランスでも同様に、かなりの制限が行われている。(幾つかの受け入れ促進職種については労働許可を必要としないなどの要件緩和をしている国もある。)日本の制限のみが厳しいという誤解もあるが、日本では他国と異なり数量制限も労働許可制度も全くなくオープンな制度となっている。

2.外国人労働者の現状と現行の雇用対策について

(1)外国人労働者の現状
我が国で就労する外国人は合法・不法をあわせて約71万人+αと推計(平成12年)され、雇用される労働者全体(5,356万人)の1.3%に相当する。このうち、合法的就労者は約48万人(専門的、技術的分野の外国人労働者は約15万人、日系人等は約23万人)、不法残留者は約23万人である。専門的、技術的分野の外国人労働者は一貫して増加傾向にあり、日系人労働者は、改正入管法施行後に急増し、その後、景気の動向を反映しつつも概ね増加傾向にある。日系人の労働者は、製造業を中心に、業務請負業者に雇用されているものが多く、また、調整可能な期間工としての形態が多いが、昨今の厳しい雇用失業情勢により、離職者が急増している。日系人の定住化の進展に伴い、日本語能力、子弟の教育、社会保険、集住化による近隣住民との摩擦等、就労に留まらない新たな問題が発生しており、これへの対応は、これまで外国人労働者を本格的に受け入れた経験の少ない日本にとっては外国人との共生の試金石ともいえる。

その他、中国等からの研修生、留・就学生のアルバイト、日本人の配偶者などの増加に伴う問題も出てきている。

(2)現行の雇用対策の概要
現行の雇用対策としては、以下のようなものを行っている。一つには、外国人労働者の雇用状況の把握のため、外国人状況報告制度(年1回、事業主が任意に外国人労働者の雇用状況を報告する制度)を設け、また、外国人求職者に対して、ハローワークにおける通訳を介した職業相談・紹介を行ったり、専門の機関における専門的、技術的分野の外国人労働者・留学生に対する施策、日系人に対する就労化適正化などの諸事業を実施している。また、外国人労働者を雇用する事業主等に対する「外国人労働者の雇用・労働条件に関する指針」に基づく指導援助など、事業主への啓発指導、雇用管理援助等の推進も行っている。さらには、適正な就労促進のため、外国人労働者送出国における現地セミナーの実施や、不法就労を防止するための関係行政機関との連携の強化などを行っている。

3.政策課題

(1)外国人労働者政策の果たすべき役割
一つは、今後、多様化・国際化する社会の中で、日本社会を活力のある、魅力的な社会にしていくのに役立つような外国人労働者政策を行っていくことであり、各国の優秀な人材が集まるような国にしていくためにどうするかということである。
 
また、外国人労働者問題への対応は、来るべき日本社会のいろいろな側面での多様化に対する適切な対応の第1歩ともいえる。さらに、アジア地域の発展への協力と共生など国際社会の一員としての貢献という点も考えていかなければならない。

(2)政策課題
受け入れに関する政策課題としては、一つは、オープンな制度にもかかわらず受け入れが進んでいない高度人材をどのように確保するか、そのための日本社会・企業の国際化をどう進めるかということである。二つ目には、少子高齢化の進展による人口の減少に対してであるが、高齢者や女性など日本国内の労働者の能力をさらに活用するための方策をどうするか、そしてその上で長期的視点から外国人労働者対策の必要性の有無を検討することが必要であろう。この場合、まず、日本社会を活力あるものにしていくには、どのような産業のありかたが望ましくて、またどの程度、どの分野で、どのような人材が必要かという点を検討することが必要である。三つ目は、日本の周辺国の大きな送出圧力と経済格差の存在が続くことが見込まれる中での既に発生している(今後も発生が予想される)外国人問題の解決と今後のコントロールである。

(3)外国人受入れについて検討する場合の検討事項
外国人労働者受け入れについて検討する場合には、日本の将来ビジョンを作成し、国民のコンセンサスを形成しなくてはならない。 どのような社会にするのか、日本人とは何か、産業構造・産業政策の在り方などについて検討が必要である。

また、制度を考えるにあたっては、外国人労働者の受入れ範囲、促進・コントロールの手法について検討し、家族統合、社会統合の在り方や、状況の変化に柔軟な受入れ制度の構築、制度の運用と実効性の確保についても考慮が必要である。さらには、行政体制の在り方(行政機関の連携、NPOと行政機関との連携の重要性)についても考慮する必要があると思われる。


                                         

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2002年3月25日

報告者:東京大学大学院法学政治学研究科・教授 大村敦志

     
            

フランスの「人と家族の法」:2001年の断面

                                 ――同性・異性カップルの共同生活に関するパクス法を中心に――
            
はじめに

報告の趣旨 
本研究会は、東大法学部で行っている科学研究費による大規模な共同研究のために作られたサブ・グループの一つ(岩村・大串・久保野・大村)が開催しているものである。共同研究の総合テーマは「ボーダーレス化時代における法システムの再構築」というものだが、私たちのサブ・グループには「社会問題群」あるいは「個人(あるいは人権)・家族・労働=社会保障」という性格付けがされている。

こうした文脈の中で研究会を開催し、今年度はすでに2回、岩村教授のご尽力により厚生労働省の関係の方をゲストに招いて、保育所の問題と外国人労働者の問題につき報告をしていただいた。研究会では今後は主として、メンバーの報告を行うことになろう。

前述のコア・メンバー4名の中でまず私が報告をするのは、昨年11月にこの共同研究の一環として海外出張をしたため、その結果を報告をするという趣旨である。出張期間は2001年11月22日〜12月1日、行き先はパリだったが、目的はフランスにおける家族法改正の最近の動向をフォローするということであった。
 
もっとも、「家族法改正の動向」というのはおおまかな表現であり、より正確には表題に掲げたように、「人と家族の法」(これは「物と債権債務の法」と対比して用いられる表現)と言った方がよい。「家族」自体に、個人(あるいは人権)と切り結ぶ問題が多々含まれているが、「人」までを含めて考えると、個人(あるいは人権)との関係はより密接なものとなる。他方、「人と家族の法」が「社会保障」と深い関係にあることは言うまでもない。

報告の構成 このように、対象を少し広めにとって観察すると、いくつかの興味深い現象が視野に入ってくる。しかし、それらをすべて報告するだけの時間はないし、そもそも私の方の準備も整っていない。
 
そこで、今日は、いろいろな意味で研究会のメンバーの方々に関心を持っていただけそうな話題を一つだけ選んで、主としてそれにつき若干のことをお話しようと思う。副題に掲げた「同性・異性カップルの共同生活」に関する最近の立法がそれである。具体的には、1999年11月15日に公布されたパクス法とよばれるこの法律の概略を紹介した上で(U)、この立法につきいくつかの観点から感想を述べる(V)。
 
ただ、本論に入る前に少しだけ、私が関心を持ってウォッチしているいくつかの現象の内容・位置づけ、あるいは、それらを検討することの意義・視点などについても触れておきたい(T)。

T 概観

1 検討の対象――様々な「完結なき続編」 
ご存じの方もいるかと思うが、私が比較研究の素材としているのは主としてフランス法(民法)であり、1987年夏〜89年夏の最初の在外研究以来、調査や学会などのために何度かフランスに出かけている。今回の出張以前、直近のところでは、1999年夏〜2000年夏の1年間、2度目の在外研究ということでパリに滞在していた。
 
この2度目の在外研究、さらに、最初の在外研究の折に見聞きした「人と家族の法」の状況との対比で言うと、今回の出張で観察することができた諸現象は、標語的には、「完結編(suite et fin)」ではなく「完結なき続編(suite mais pas fin)」とでも呼ぶべきものであった。端的に言って、状況は極めて流動的であり、この先がどうなるのかはよくわからない。
 
具体的には、4つの現象(あるいは問題)を紹介したい。

第一は、ペリュシュ判決と呼ばれる判決(2000年11月17日破毀院大法廷判決)のその後である(@)。ペリュシュ判決については、日本でもすでに紹介されているが(中田、ルヴヌール=森田など)、一言で言えばこれは、医療過誤によって障害児が生まれた場合の損害賠償に関する事件であり、障害児が生まれたことを「損害」と評価すべきか否かが争われて、世論の大きな関心の対象となった。その後、2001年7月と11月にこれに続く判決が現れているというのが現状である。
 
第二は、生命倫理法(1994年)のその後についてである(A)。この法律は、いわゆる人工生殖(生殖医療技術)を規制し、これにより生まれた子の親子関係を規律するものだが、80年代を通じて社会問題となり紆余曲折の末に法律ができたものである(その立法過程につき、大村、島など)。立法時に5年後の見直しが予定されていたため(1975年の人工妊娠中絶法=いわゆるヴェイユ法と同じ)、法改正に向けていくつかの大部な報告書が出され、議会審議も始まっている。
 
第三は、パクス法であるが(B)、1999年末に成立した同法は、その後、実施に移されるとともに、学説の議論の対象となっている(立法の最初期につき、大村)。

第四は、狭い意味での家族法改革のその後である(C)。第2次大戦後のフランス家族法改革は4つの時期に分けてとらえることができる。第1期は大戦直後の民法典改正委員会の作業であるが、これは草案にとどまった。第2期がいわゆるカルボニエ(草案の単独起草者、当時、パリ大学教授、民法・法社会学)改革であり、1964〜75年の12年間に5つ(+1つ、カルボニエ不関与の養子法)の法律が成立し、民法典の家族の部分はほぼその内容を一新した(これについては、大村)。第3期は1980年代中盤〜90年代前半であり、司法省主導の小改革がいくつか行われた(「改革の改革」)。そして、最近になり、第4期の改革が試みられている。具体的には、二つの重要な報告書が政府に提出される一方で(98年のテリー報告書、99年のドゥケヴェ=デフォセ報告書)、議員提出の改正法案(氏名・出自・離婚・親権など)が次々と上程されるという状況になっている(この立法過程の「混乱」は日本の状況と対比すると興味深い。なお、後述のパクス法の立法過程もこれに関連する)。また、昨年末には長年の懸案であった相続法改正が実現している(2001年12月3日法。配偶者相続分の増大や非嫡出子相続分の平等化)。
以上を整理すると、次のような関連図を描くことができる。

(人) (家族)

     (責任) → @       C

(ヨーロッパ)

     A     B ←(契約)

1) @Aは「人の法」、ABは「家族の法」に属する
2) ABは社会構成原理にかかわるものとして連続する
  (cf. Christine Boutin)
3) @Bは「債権債務の法」(@は責任、Bは契約)と交錯する
4) BCはヨーロッパ人権法と密接に関連する

2 検討の視点――外国法から何を学ぶか
以上に掲げた@〜Cの問題は、程度の差はあれ、ヨーロッパ諸国では共通に問題となっている。Aについてはよく知られているが、ほかの問題についても、たとえばドイツでは、@につき大きな動きがあるし(紹介論文あり)、Bについては最近になってやはり法律ができた(生活パートナー法)。また、日本でも、AやCは立法上の課題であるし(Aは厚労省と法務省で法案準備中、Cも1996年の要綱の国会上程が検討されている)、@も問題が出始めており、Bも意外に早い時期に問題となりうる。現代社会に共通する問題を解決するための指針・ヒントを求めて、フランスにおけるそれぞれの問題の状況を観察することに一定の意味があることは、容易に理解される。
 
しかし、フランス法(より広く外国法)の参照には、それ以上の意義がある。新しい法規範・法制度がいかにして産み出されていくのか、われわれの社会と何が同じで何が異なるのか、一言で言えば、法を創り出す様々な力('' forces creatrices du droit '', l'expression de Georges Ripert)のメカニズムを見出すきっかけがそこにはある。このような観点からは、一定のタイム・スパンをとって検討すること(大村3論文)や幅広く問題を見渡すこと(川井健、ドイツ家族法)が有用である。しかし、やや短いタイム・スパンで個別の問題をとりあげるとしても、このような観点が無用になるわけではない。以下では、パクス法に限ってであり、しかも、資料も評価も表層にとどまるが、このような観点も考慮しつつ、話をしてみたい。

U パクス立法の紹介

1 パクス法の成立
(1) 立法の経緯 すでに触れたように、パクス法は、同性・異性のカップルの共同生活を規律する法律である。この法律は、1999年11月に成立したが、立法までには10年余(あるいはそれ以上)の前史があった。そこでまず、この法律の成立に至る立法の経緯を簡単に振り返ることから始めよう。「パクス法」という法律の名称についても、その中で触れることにしよう。
 
略年表を見ると(レジュメ2頁)、一番上に1989年7月11日の破毀院判決が掲げられている。この日、破毀院社会部(破毀院は民事1〜3部、刑事部、社会部の5部からなる)は2件の判決を下した。いずれも社会保障制度の適用にかかわるものであるが(一つ目の事件はエールフランス社の職員家族に対する同社航空機利用の便宜にかかわるものであり、規則の定める便宜を享受できる「自由結合関係にある配偶者」に同性愛のパートナーが含まれるかが争われたもの、二つ目の事件は疾病・出産保険の適用に関する1978年1月2日法にいう「夫婦同様の生活」に同性愛者の共同生活が含まれるかが争われたもの)、破毀院はいずれのケースについても、異性のカップルに限られ、同性のカップルには及ばないという立場を示した。
 
そこで、90年代に入ると、同性カップルにも異性カップルと同様の法的保護を与えるべきだという主張がなされることになる。このような意味で、1989年判決を問題の出発点とすることができる(ただし、それ以前の1982年8月に、当時の刑法331条2項――18歳未満の同性間性行為を禁止するもの、異性間では15歳以上ならば適法だった――の撤廃がなされたのを、より遠い起点とみなすこともできる。さらに、同性愛者の権利擁護運動を68年5月と結びつける見解もある)。
 
具体的には、90年6月には「民事パートナー契約」の創設が元老院に、92年には「民事結合契約(contrat d'union civil=CUC)」の創設が国民議会に、それぞれ提案された。これら二つの議員提出法案は採択には至らなかったが、これを受けて1993年には社会保障法典の一部改正が実現し、破毀院判決は立法によって(少なくともその一部は)否定されるに至った(以上、大村論文参照・文献表36)。

その後、96年には、シラク内閣の閣議において立法の必要性が確認され、当時のトゥーボン司法大臣は、ジャン・オゼ教授(ボルドー第4大学)に報告書の作成を依頼した。さらに、社会党のオブリー、ギグー、トロットマンらは、「社会結合契約(contrat de l'union sociale=CUS)」支持を表明、翌97年夏の総選挙での社会党の勝利を機に、立法への機運が高まった。そして、98年9月23日、国民議会の司法委員会(タスカ委員長)においてパクス法は可決される。この頃からパクス法の立法は、本当の意味で大きな社会問題となる(略年表のテリーのコメント参照)。
 
ここで「パクス法」の名称について一言しておく。97年の段階で提案されていた諸案には、前述の通り、CUC/CUSといった名称(ほかにCUCSもあった)が付されており、98年春にオゼ委員会が提案したのは「共同利益契約(pacte d'interet commun=PIC)」であった。これに対して、この立法を推進する運動団体が「パクス」という名称を提案した。「パクス」とは「民事連帯契約(pacte civil de solidarite=PACS)」の略称であるが、そこには、CUC/CUSが持っていたネガティヴな語感を払拭し、肯定的なイメージを創り出そうという戦略があった(PACSはpaxに通ずる。また、solidariteのプラス・イメージを利用する。なお、CUC/CUSは怪しい「ひやかし・からかい」の対象とされたという。その趣旨は不明だがcul/cuisseなどに音が近いからか)。

さて、このパクス法案は、社会党の有力閣僚たち(オブリは雇用連帯大臣、ギグーは司法大臣で、社会党政府の2枚看板だった)に加えて、ジョスパン首相も支持していたが(文献表23のAgasancikiはジョスパン夫人)、容易には成立しなかった。10月9日の国民議会本会議で、政府は法案を可決することができなかったのである。その理由は、社会党議員の欠席にある(本会議場の様子は、文献表31のAbelesに詳しく描かれている)。たとえパリの知識人たちがパクスに好意的であったとしても、地方にはまた別の世界がある。実際のところ、1998年3月、「共和主義に基づく婚姻を支持するフランス市長連合」は1850名の参加者を集めてパクス反対を表明したが、この団体は超党派の団体であった。社会党に属する市長たちの中にもパクス反対派が多く、国会議員たちも地元の意向を無視するわけにはいかなかった。
 
パクス法案は危機に瀕したわけであるが、秋から冬に向けて、賛否両派のキャンペーンが繰り広げられ、世論は大きく割れる(再びテリーの表現によれば、「燃え上がる秋、騒然たる冬」が到来する)。これについては後述することにして、今は法案の行方をたどる。98年12月9日、修正された法案が国民議会に上程されて可決、しかし、元老院では99年3月、5月の2度にわたって否決。最終的には、夏休み明けの99年10月13日に、国民議会が改めてこれを採択し、議会では決着がつけられた(両院協議会で合意が得られず、単独議決となった)。
だが、これに対しては、同日および翌日に、反対派の議員(国民議会では213名、元老院では115名)によって、憲法院に違憲審査の申し立てがなされた。結局、11月9日に合憲判断が下され、11月15日、シラク大統領の審署がなされた。こうして、激しい攻防に幕が引かれた。
 
(2) 法律の内容 できあがった法律の内容をごく簡単にみておこう(条文参照)。配布資料の和訳には民法典に追加挿入された部分が、しかも一部省略の形で掲げられている。そこにも注記されているように、パクス法は全15ヶ条の法律であり、民法典の改正に当てられたのは、そのうちの第1条〜第3条だけである。第4条以下の規定は何のためのものかと言えば(配布資料の仏文の方を参照)、第4条〜第6条は一般租税法典を、第7条および第9条〜第11条は社会保障法典を、第8条は労働法典を、第12条・第13条は国内滞在資格や公務員在職資格に関する法令を、そして、第14条・第15条は賃貸借法を、それぞれ改正するものであった。
 
まず、民法典改正の部分である。新法では、パクスに関する規定として、第515−1条から第515−7条までの7ヶ条が、そして、内縁に関する規定として、第515−8条が、民法典に挿入された(第1編の末尾に第12章が新設された。他に、506−1条もあるが、省略)。これらの規定によって、パクスが定義され(共同生活のために、2人の異性または同性が締結する契約。515−1条)、障害事由(近親婚・重婚に対応するもの。515−2条)と届出の方式(小審裁判所書記局へ共同または単独での届出。515−3条)が定められている。また、効果に関する規定(対内的には相互扶助と持分均等の推定、対外的には連帯債務。515−4条、515−5条)と解消に関する規定(共同で届出、財産の分割方法。515−7条、515−6条)も置かれている。なお、内縁に関する規定は、単に内縁を定義するだけのものである(異性または同性。安定性・継続性。515−8条)

次に、その他の法典・法律を改正する部分である。分量としてこの部分が多いわけだが、技術的な規定も多く、その全体を紹介することはできない。ここでは配付資料の「付録」をみておくにとどめる。そこに書かれているように、パクスには一定のメリットがある。すなわち、一定年数以上パクスを継続しているカップルについては、所得税・譲渡税につき便宜が与えられる。また、カップルの一方が死亡した場合に、他方が借家を承継することができる。さらに、社会保障の面でもパートナーに権利が与えられる。
 
最後に、この立法によって与えられてはいない権利について確認しておく。これも「付録」に書かれている通りだが、パクスは、氏・親子関係・相続などには全く関係なく、カップルの間の関係を規律するものである。しかも、貞操義務・同居義務を伴うものではない。

2 パクス法の反響
(1) 社会の反応  すでに触れたように、1997年から99年にかけてパクスはフランス社会の大問題となった。人々はこの問題に大きな関心を寄せ、賛否両陣営は大規模なデモンストレーションを展開し、激しく対立した。フランスでは今日でも、政治的な意思表明の手段として重要な意味を持っており、しばしば大規模なデモが組織される(「民主主義は路上にある」とも言われる)。それでも、パクスをめぐるデモは眼につくものであった。一方で、1998年6月20日の「ゲイ・パレード」にはパリに15万人の人々が集まった(J・ラングやC・タスカも参加)。他方、1999年1月31日には、「ジェネラシオン・アンチ・パクス」を掲げる反対派(「マダム・アンチ・パクス」と呼ばれたカトリーヌ・ブタンなど)が、10万人を動員してデモを組織した。ある作家は、国論を二分するこの状況を評するのに、「現代のドレフュス事件」という表現を用いた。

これもすでに述べたように、この問題に対するスタンスは保革の軸では単純に割り切れない。社会党も地方レベルでは反対派を抱えている一方で、反対派の中心人物ブタン(彼女は議会で5時間半に及ぶマラソン演説で反対の論陣を張った)は中道右派のUDF所属、他方、保守派RPRにもロズリヌ・バシュロのような熱烈推進派がいるという混乱状況だった。しかし、97年の発足したジョスパン政権のスタンスははっきりしていた。政府は「パクス」を「35時間」「パリテ(男女同数)」と並ぶ重要なテーマとしていたのである。たとえば、社会党政権に環境大臣として入閣したドミニク・ヴォワネ(エコロジスト)は、「政府の優先課題は排除と失業に対して闘いを挑むことである。CUSは闘いの一つの要素であり、何十万のもの人々の排除に抗するものである」と述べた。また、J・ラングは「フランス法に新しい法を導入ために我々は旅立った。それはフランスの民主主義の更新に繋がるだろう」と述べ、ジョスパン首相自身もフランス社会の現代化のためにパクスは必要であるとしていた。
 
では、こうして導入されたパクスは、実際にどのぐらい用いられているだろうか。この点にも簡単に触れておく。略年表には、2000年1月1日現在での契約数を掲げておいたが(1ヶ月半で約6000組)、2000年末までで集計すると、3万件弱のパクスが締結されたという。2000年度の婚姻数は約30万件であったので、その1割にあたるが、思ったよりも少ないとも言われている。なお、このうち同性カップルによるものがどの程度あるのかは、明らかではない(カップルの性別情報の公開は禁止されているため。ただし、パリでは多く、地方ではごく少ない、と言われている)。もっとも、パクスは社会に浸透していることは確かであり、パクセ(pacser/pacse)という表現(動詞・分詞・名詞)も日常的に使われるようになりつつある。また、同性カップルの例が含まれているのは確かであり、新聞(ル・モンドなど)で「公告」を見かけることも稀ではない。
 
(2) 学説の応答  世論からは少し離れて、法学の世界でパクスがどのように受けとめられたかについても、簡単に触れておく。もちろん、パクスについては、多くの文献があり関心が持たれている。しかし、いわゆるメイン・ストリームの法学の世界で、パクスに対して懐疑的な意見、あるいは冷ややか意見が強いように思われる。
 
確かに、文献の数は多い。しかし、資料の「参考文献」欄に掲げた文献のうち、法学系のもので比較的まとまったもの(17/18/19など)は、この問題に関心を寄せる一部の著者たちによって書かれたものである(教授資格を持たない研究者や弁護士たち)。法学教授たちについて見れば、左右を問わず、最終的に成立したパクス法に賛成するものはほとんど見られないという。ややフェミニストの色合いを帯びた家族法学者デゥケヴェ=デフォセも、あるいは、社会党のイデオローグの一人と言われる前述の法社会学者I・テリーも、同様である(より年長の世代はより否定的である。民法学の大家で保守派のマロリーは、同性愛者の「同棲」に対して否定的であり、「帽子(=同性に共同生活)をテーブル(=同棲さらには婚姻)と呼ぶことはできるが、帽子は帽子であり、テーブルはテーブルである。言葉のごまかしは知的・道徳的な漂流を意味する」と酷評しているし、左派のリュブラン=ドゥヴィシも、パクスを「法的怪物」と呼んでいる)。
 
この点は、日本語になっている講演を見ても同様であり、右派のサビーヌ・マゾー=ルヴヌールがパクスに対して好意的でないのは当然であるとしても、穏健左派と見られるジェスタッツもまた、少なくともできあがった法律(講演は法案成立前のものだが)については批判的である。以上の傾向は、引用を省略した多数の法律雑誌論文(立法前の主なものは3に集められている)にもほぼ共通に見られる傾向だと思われる。やはり穏健左派の傾向を見せる民法・法社会学のニコラ・モルフェシスは、「賛成する民法学者はいない。パクス法を支持する学説があるというならば、具体的な名前を挙げてみせてくれ」と言っていた。

反対の理由は一言で言えば、パクスの性格が曖昧なこと、その規律にも不明確な点が多いということに尽きるようである。早い段階で、パクス法につき簡潔な解説を提示してみせたある実務書(民法・法社会学の泰斗F・テレ教授の監修によるもの)は、「説明が与えられれば、結婚することが可能な同棲者たち(=異性のカップル)は、何もしないか、あるいは結婚するという路を選ぶに違いない」と述べているが、これは法学説の平均的な反応であると言えるだろう。
 
もっとも、このことから直ちに、パクス立法が不適当だった、失敗だったということになるわけではない。年間3万件が多いか少ないかは別にして(人口を考えると、日本での養子縁組の件数よりもやや少ないというところだろう)、一定の範囲でこれを利用しようという人々がいることは確かである。また、実質的な内容を持つ合理的な制度となっているかどうかと、立法として成功したかどうかは、常に一致するとは限らない(日本でも、最近の消費者契約法や成年後見法が成功と言えるかどうかは、見方によるだろう)。最後に、パクスに対する法学説の反対に対して、「法学部の教授たちは保守的だから」という紋切型の断罪がなされることが少なくないことも付け加えておこう(ここには、日本にも通じる問題がある。たとえば、借地借家法改正の時の議論が思い出される)。

V パクス立法の評価

1 立法学の観点から
(1) 政治的な意義 パクス法の立法過程を政治的な観点から観察するというのは、極めて興味深い作業であると思われる。ここでは本格的な検討を行うことはできないが、いくつか気づいた点を掲げておきたい(特に、私自身が観察した生命倫理法の立法過程とも対比しつつ)。
 
第一に、全体的な印象について。生命倫理法にも賛否両論はあったが、推進派・反対派が大規模なデモンストレーションを展開するということはなかった。人工生殖を推進する人々の団体は存在してはいたが、それほど大きな力を持っているというわけではなかった。むしろ、医学界・科学界の一部が強く推進を希望するのに対して、社会規範が模索されるという雰囲気であった。大きな社会問題ではあったが、政治問題というわけではなかった(議会上程は世論の動向が定まった後であった)。これに対して、パクス法は、まさに賛否両論が正面から激突して政治的なイッシューとなった。議会でも賛成派が多数を占めるに至った国民議会と保守派の元老院が最後まで対立した。また、議会外でも、一方で、ゲイ支援団体が、他方で、家族団体・カトリック団体が、動員・キャンペーンを行って対立するという構図が見られた。
 
第二に、主要なアクターの行動について。生命倫理法では、政府は立法過程をコントロールしようという強い意図を臨んだ。これに対して、議会が政府の独断専行に歯止めをかけようとした。ところが、今回は、政府・与党の内部でも温度差が見られ、また、議会でも政党を超えて賛否両論が分かれた。そのなかで、政府部内の推進派には「『排除』ではなく『連帯』を」という方向性が強く現れていた。これは97〜99年頃のフランス社会を覆った大きな「時代の気分」であった。ある意味では、政府は推進派の運動をうまく取り込んで、一つのシンボルにしたとも言える。他方、推進派の運動団体の方も、「シンボル」という点には敏感であった。法学者の中には「パクス」と「内縁」を併存させることに疑問を投ずる者が多いが、運動団体は、同性・異性にかかわらず同じレジームが使える、ということを求めていた。そうして制度が作られるのであれば、極端に言って、中味は何でもよかったとさえ言える。同じことであるが、立法の途中では大きく議論された性関係とは無縁の共同生活体(fratrieとかduoなどと表現された)を含めることに、彼らは反対であった(同性愛と異性愛を区別しない、という主張が減殺されるから)。
 
第三に、パクスの定着について。今後、これがどの程度まで、またどのように使われるかはまだわからないが、パクスというものが存在する、それは異性カップルにも同性カップルにも利用可能であるということは、ある程度まで社会的に認知されたようである。その意味で、パクスは賛否を超えて、フランス社会に浸透したと言えるだろう。
 
(2) 技術的な意義 パクス立法において、法技術的に見て興味深い問題を提起している点の一つとして、憲法院の役割をあげることができるだろう。
 
すでに述べたように、パクス法に対しては、国民議会での法案可決後に直ちに、違憲審査の申し立てがなされたが、憲法院は憲法違反ではないという判断を下している(decision n 99-419 DC du 9/11/99, JO 16 nov.1999, p.16962)。申し立てにおいては、憲法違反の理由として、立法手続の違背のほか、平等原則への違背、共和主義的婚姻の侵害、人間の尊厳の侵害、子ども・家族の保護に関する規定の無視、同棲者の権利侵害などがあげられたが、いずれも否定されている。
 
この判決は2段組の法律雑誌でも6頁ほどになるもので、フランスの裁判所の判断としては長大なものである。フランスでは最近、人権と民法の関係が議論されることが多いが(ルヴヌール=伊藤洋一)、ヨーロッパ人権条約ではなく、憲法との関係が問題になることは制度の作りからして稀であるため(法改正がない限り違憲審査の対象とならない――民法典の既存の規定には違憲審査権は及ばない)、この判決は貴重かつ重要なものであると評されている。
 
とりわけ注目されているのが、数多く指摘されているパクス法の不備(契約責任や財産法との関係、私生活の尊重との関係などにかかわるものが多い)にもかかわらず、憲法院が「解釈の余地(reserve d'interpretation)」を認め、しかも自身がその方向付けをしたという点である。この点をとらえて、憲法院が行ったのは法律の「書き直し(reecriture)」に他ならないとする見解もある(モルフェシス)。この見解は、さらに憲法院は、パクスの法的性質を変化させる契機をも含んでいるとする。この点は後述することとして、ここでは、政治的な色彩の濃い(技術的には不備の多い)立法が、「9人の番人」の存在をクローズアップすることとなっているということを指摘しておきたい。

2 解釈学の観点から
すでにTでも触れたように、パクス法は家族法と契約法の接点に位置する法律である。そこで双方の観点から、パクス法の影響について簡単に触れておくことにする。

(1) 家族法への影響 パクスは家族とは無関係である、婚姻を害するものではない、という発言は、パクス法の立法の当初から繰り返し確認されてきたところである。先に触れた憲法院判決もまた、パクス法は「民法典第1編の他の諸章、とりわけ民事身分、親子関係、養子、親権にかかわる諸章に影響を及ぼすものではない」とし、またそれは、「婚姻とは無関係の契約であり、一方的な意思表示による解消は『追い出し(repudiation)』と性格づけられるものではない」としている。パクス法の内容を見ても、すでに述べたように、貞操義務・同居義務は存在せず、相互扶助に関する規定も「義務」であると明言されてはおらず、違反に対するサンクションも欠けている。そこには、婚姻に匹敵するような人格的な関係は存在しない(あるとしても非常に希薄である)。
 
しかし、それでもパクスは「第二の婚姻(mariage bis)」を産み出すものではないかという批判は根強い。ある著者は「パクスは婚姻そのもの(le mariage)ではないが、ある種の婚姻(un mariage)ではある」としている。また別の有力な著者は、パクスは婚姻と競合するものではないという発言は「まやかし(mensongere)」であるとしている。
 
一面で、このような危惧にはあたっている面もある。オゼ教授の提案したPICなどと比べると、パクスには確かに婚姻に通ずる部分がある。そもそも、オゼ案ではPICは民法典の第3編の契約各論部分に置かれることが予定されていたという。また、不分割のところに規定を置くべきだという意見もあった。ところが、パクスは第1編の人(家族に関する他の規定はここに置かれている)の末尾に挿入された(もっとも、婚姻から離されて、後見の後に置かれてはいる)。あるいは、パクスでは当事者間における性関係の存在が前提とされている。そうであるが故に、近親婚・重婚をなぞった形での障害事由が置かれている。さらに、モルフェシス教授は、憲法院は、この点につき「パクスの婚姻化(matrimonialisation du PACS)」の方向に舵を切ったと評している(たとえば、曖昧な「共同生活」という表現につき、住居の共同だけではなく「カップルとしての生活」を含むとしている。あるいは、相互扶助に関する規定は当事者に義務を課すものであり、この規定は合意によって排除できないとしている)。
 
もちろん、パクスが仮に婚姻と競合する「第2の婚姻」であるとしても、そのことが、直ちに婚姻を害することになるわけではない。しかし、そうした性格づけは、将来、様々な問題に影響を及ぼすことが考えられる。すなわち、一方で、パクスをより婚姻に近づけるべきだという議論が出てくるだろう(特に、同性カップルによる養子縁組の是非が問題になる)。他方、契約的な色彩を帯びた「第2の婚姻」は婚姻自体に制度性に疑いを向ける契機となるだろう(たとえば、一方的な意思表示による離婚を認めよ、という主張につながりうる)。

(2) 契約法への影響 民法典新515−1条は、パクスを「共同生活のために、2人の異性または同性が締結する契約」と定義している。この点に着目すれば、パクスは「契約」であることは明らかである。しかし、婚姻か契約かという観点からすると、この定義規定だけでは決め手にはならない。というのは、婚姻についても「婚姻を約定する(contracter mariage)」という表現が用いられているからである(民144条)。この点は別にしても、パクスは契約としての性格を色濃く帯びている。PICのようにはっきりとはしていないものの、パクスは財産関係の規律を中心としており、人格的な関係を生じさせるものではないからである。

もっとも学説の中には、信義則を媒介として当事者間に誠実義務が課されうるとか、同時に二つのパクスを締結することができないことは排他的性関係を含意するなどとするものもある。しかし、パクスはいかなる貞操義務をも課すものではないというのが、一般的な見方である。実際のところ、パクスを締結していても、婚姻をすることは全く妨げられない(婚姻はパクスの終了原因)。では、当事者が契約で貞操義務を負うのはどうか。もちろん合意することかまわない。しかし、義務違反があってもパクスの終了原因とはならない(ドゥケヴェ=デフォセは、損害賠償も無理だろうとする。性的自由は公的自由であり取引の対象外にあるというのが理由)。また、パクスはあくまでもカップル間の関係を規律するものなので、親子関係とは無縁である。貞操義務も同居義務もない以上、父性推定も働かない。
 
以上のように、パクスは「財産的な契約(contrat patrimonial)」であり、カップルの共同生活を短期的に処理するためのものである。その限度で、パクスは婚姻に類似してはいるが、継続性を欠き、かつ、人格的な義務を伴うものでない点で、長期的な制度たる婚姻とは異なるものである。婚姻が共同生活のためのものであるが、同時にそれ以上のものである。しかし、パクスは共同生活のためのものでしかない、というのである(デゥケヴェ=デフォセ)。

とはいえ、パクスは婚姻ではなく契約であると言っただけでは、なお不十分である。憲法院判決の表現に従えば、パクスは「特別な契約(contrat specifique)」であり、単なる「各種の契約の一つ(un contrat special)」ではない面を持っているからである。民法典に挿入された規定の多くが公序規定と解されているのがその証左であるとされる(ただ、不分割は推定されるだけで、合意により他の種類の財産関係を創り出すことは可能である)。

おわりに

以上のようなフランスの経験から、どのような教訓を引き出すことができるだろうか。あるいは、引き出すことを試みるべきだろうか。いろいろな可能性があるが、ここでは次のことだけを述べておく。
 
確かにパクス法は曖昧である。政治的な論争に明け暮れた結果、法的な手当が十分ではない、という学説の指摘はそれ自体は当たっているだろう。パクス法は共同生活を営むカップルに大したものをもたらさない。しかし、同性カップルの共同生活に少なくとも一定の法的保護を与えるという社会的な決断がなされたことは過小に評価してはならないだろう。また、婚姻の尊重に配慮を示しつつ、少数者の求めに可能な範囲で応じていくという態度の中には、むしろある種の節度ないしバランス(mesure)を見出すべきであろう。
 
パクスがこの先どうなっていくかは、パクスを利用する人々、そして、それを支える人々の行動にかかっている。たとえば、各種の契約書が提案されており(配付資料にその一例を掲げてある)、よりよい契約形態を模索・開発が始まっている。この点は、フランス法の一つの特色だとも言えるが、ビジネスのレベルにとどまらず法律関係を調整するための規約・契約のモデルが、公証人や弁護士たちによって、一方で当事者の利益を擁護するという当然の観点に立ちつつも、他方で、人々が広く使いうるなかば公的な制度の一部をなすものとして、開発されていく。パクスについても、当事者と実務法律家たちの努力・創意工夫によって、望ましい契約類型が形作られていくことが期待される。

【略年表】

11 juill. 1989, arret de la Cour de cassation (chambre sociale), D.1990.583
juin 1990, proposition sur le contrat de partnariat civil
25 nov. 1992, proposition de loi n 3066 tendant a creer un contrat d'union civil (CUC), presentee par MM. J.Y.Autexier, J.P.Michel, J.M.Le Guen, Y.Vidal et J.P.Morms
27 janv. 1993, nouv. art. L161-14 et R. 161-8-1 du Code de la Securite sociale
17 juill.et 21 dec.1993, propositon sur le partenariat civil ...
1995, certicificat de vie commune (sur l'initiative de J.P.Chevenement)
printemps 1996, Le Conseil des ministres (preside par J.Chirac) reconnait publiquement la necessite d'une intervention legislative, et J.Toubon, Garde des Sceaux commande au Prof. Jean Hauser un rapport sur la reforme du concubinage
juin 1996, M.Aubry, E.Guigou, C.Trautmann, P.Mauroy .. lancent un appel en faveur d'un contrat d'union sociale
23 janv. 1997, proposition de loi sur le contrat de l'union sociale (CUS)
juin-juillet 1997, victoire de la gauche au Legislatif
mars 1998, Collectif des maires de France (1850 maires contre la legislation: RPR=790, PS=740, UDF=595, PC=62)
avril 1998, rap.Hauser remis au Premier Ministre (pacte d'interet commun=PIC)
23 sept.1998, adopitee en commission des lois (precidee par C.Tasca, avec le rapport de J.P.Michel)
'' En septembre 1998, la proposition de la loi sur le pacte civil de solidarite (PACS)semble saisir brutalement la societe francaise.'' (Thery)
9 oct.1998, soumise mais rejetee a l'Assemblee Nationale, en l'absence de nombreux deputes de gauche
'' Tout commence le 9 octobre 1998, aux alentours de 9 heures, ..'' (Moutouh)
9 dec.1998, nouvelle version adoptee a l'Assemblee Nationale
31 janv. 1999, manifestation anti-PACS (100,000 personnes defilees a Paris, Generation anti-PACS)
18 mars et 11 mai 1999, refusee par le Senat en premiere et deuxieme lectures
'' un automne enflamme et un hiver houleux. Puis en mars, tout s'estombe. .. Et cet automne 1999, le vote definitif du Pacs par l'Assemblee est presque un non-evenement. '' (Thery)
13 oct. 1999, adoption definitive du texte
9 nov.1999, decision du Conseil constitutionnel
15 nov.1999, loi n 99-944 du 15 novembre 1999 relative au pacte civil de solidarite
21 dec.1999, decrets n 99-1089, n 99-1090, n 99-1091
1er janv. 2000, 6211 PACS ont ete conclus depuis la promulgation de la loi

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X 専門書
18) C. Mecary, Droit et homosexualite, Dalloz, 2000
19) D. Borrillo (dir.), Homosexualite et droit. De la tolerance sociale a la reconnaissance juridique, PUF, 1998(point de vue comparatiste)
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21) D.Borrillo, E. Fassin et M. Lacub (dir.), Au-dela du PACS. L'expertise familiale a l'epreuve de l'homosexualite, PUF, 1999(avec la liste des articles de fond parus dans la presse non-specialisee entre 1995 et 1999)(point de     vue interdisciplinaire)
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25) D. Fernandez, Le loup et le chien. Un nouveau contrat social, Pygmalion/Gerard Watlet, 1999(ecrivain)
26) F. Leroy-Forget, Les enfants du PACS. Realite de l'homoparentalite, L'atelier de l'Archer, 1999
27) F. Leroy-Forget et C. Mecary, Le couple homosexuel et le droit, Editions Odile Jacob, avril 2001 (avec la bibliographie)

Z 一般雑誌
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29) I. Terry, Pacs, sexualite et differences des sexes, Esprit, Octobre 1999
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 [ 政治家
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33) C. Boutin, Les larmes de la Republique, Plon, 1999
34) R. Bachelot, Le Pacs entre haine et amour, Plon, 1999(RPR/pour)
35) M. Grassin, Roselyne Bachelot. fidele et rabelle, Siloe, 2000

\ 日本語
36) 大村敦志「性転換・同性愛と民法」同・消費者・家族と法(東大出版会、   1999、初出、1995)
37) P・ジェスタッツ(野村=本山訳)「内縁を立法化すべきか――フラン   スのPACS法について」ジュリスト1172号(2000)
38) S・マゾー=ルヴヌール「個人主義と家族法」ジュリスト1205号(2001)

                                      
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