2002年3月25日
報告者:東京大学大学院法学政治学研究科・教授 大村敦志
フランスの「人と家族の法」:2001年の断面
――同性・異性カップルの共同生活に関するパクス法を中心に――
はじめに
報告の趣旨
本研究会は、東大法学部で行っている科学研究費による大規模な共同研究のために作られたサブ・グループの一つ(岩村・大串・久保野・大村)が開催しているものである。共同研究の総合テーマは「ボーダーレス化時代における法システムの再構築」というものだが、私たちのサブ・グループには「社会問題群」あるいは「個人(あるいは人権)・家族・労働=社会保障」という性格付けがされている。
こうした文脈の中で研究会を開催し、今年度はすでに2回、岩村教授のご尽力により厚生労働省の関係の方をゲストに招いて、保育所の問題と外国人労働者の問題につき報告をしていただいた。研究会では今後は主として、メンバーの報告を行うことになろう。
前述のコア・メンバー4名の中でまず私が報告をするのは、昨年11月にこの共同研究の一環として海外出張をしたため、その結果を報告をするという趣旨である。出張期間は2001年11月22日〜12月1日、行き先はパリだったが、目的はフランスにおける家族法改正の最近の動向をフォローするということであった。
もっとも、「家族法改正の動向」というのはおおまかな表現であり、より正確には表題に掲げたように、「人と家族の法」(これは「物と債権債務の法」と対比して用いられる表現)と言った方がよい。「家族」自体に、個人(あるいは人権)と切り結ぶ問題が多々含まれているが、「人」までを含めて考えると、個人(あるいは人権)との関係はより密接なものとなる。他方、「人と家族の法」が「社会保障」と深い関係にあることは言うまでもない。
報告の構成 このように、対象を少し広めにとって観察すると、いくつかの興味深い現象が視野に入ってくる。しかし、それらをすべて報告するだけの時間はないし、そもそも私の方の準備も整っていない。
そこで、今日は、いろいろな意味で研究会のメンバーの方々に関心を持っていただけそうな話題を一つだけ選んで、主としてそれにつき若干のことをお話しようと思う。副題に掲げた「同性・異性カップルの共同生活」に関する最近の立法がそれである。具体的には、1999年11月15日に公布されたパクス法とよばれるこの法律の概略を紹介した上で(U)、この立法につきいくつかの観点から感想を述べる(V)。
ただ、本論に入る前に少しだけ、私が関心を持ってウォッチしているいくつかの現象の内容・位置づけ、あるいは、それらを検討することの意義・視点などについても触れておきたい(T)。
T 概観
1 検討の対象――様々な「完結なき続編」
ご存じの方もいるかと思うが、私が比較研究の素材としているのは主としてフランス法(民法)であり、1987年夏〜89年夏の最初の在外研究以来、調査や学会などのために何度かフランスに出かけている。今回の出張以前、直近のところでは、1999年夏〜2000年夏の1年間、2度目の在外研究ということでパリに滞在していた。
この2度目の在外研究、さらに、最初の在外研究の折に見聞きした「人と家族の法」の状況との対比で言うと、今回の出張で観察することができた諸現象は、標語的には、「完結編(suite
et fin)」ではなく「完結なき続編(suite mais pas fin)」とでも呼ぶべきものであった。端的に言って、状況は極めて流動的であり、この先がどうなるのかはよくわからない。
具体的には、4つの現象(あるいは問題)を紹介したい。
第一は、ペリュシュ判決と呼ばれる判決(2000年11月17日破毀院大法廷判決)のその後である(@)。ペリュシュ判決については、日本でもすでに紹介されているが(中田、ルヴヌール=森田など)、一言で言えばこれは、医療過誤によって障害児が生まれた場合の損害賠償に関する事件であり、障害児が生まれたことを「損害」と評価すべきか否かが争われて、世論の大きな関心の対象となった。その後、2001年7月と11月にこれに続く判決が現れているというのが現状である。
第二は、生命倫理法(1994年)のその後についてである(A)。この法律は、いわゆる人工生殖(生殖医療技術)を規制し、これにより生まれた子の親子関係を規律するものだが、80年代を通じて社会問題となり紆余曲折の末に法律ができたものである(その立法過程につき、大村、島など)。立法時に5年後の見直しが予定されていたため(1975年の人工妊娠中絶法=いわゆるヴェイユ法と同じ)、法改正に向けていくつかの大部な報告書が出され、議会審議も始まっている。
第三は、パクス法であるが(B)、1999年末に成立した同法は、その後、実施に移されるとともに、学説の議論の対象となっている(立法の最初期につき、大村)。
第四は、狭い意味での家族法改革のその後である(C)。第2次大戦後のフランス家族法改革は4つの時期に分けてとらえることができる。第1期は大戦直後の民法典改正委員会の作業であるが、これは草案にとどまった。第2期がいわゆるカルボニエ(草案の単独起草者、当時、パリ大学教授、民法・法社会学)改革であり、1964〜75年の12年間に5つ(+1つ、カルボニエ不関与の養子法)の法律が成立し、民法典の家族の部分はほぼその内容を一新した(これについては、大村)。第3期は1980年代中盤〜90年代前半であり、司法省主導の小改革がいくつか行われた(「改革の改革」)。そして、最近になり、第4期の改革が試みられている。具体的には、二つの重要な報告書が政府に提出される一方で(98年のテリー報告書、99年のドゥケヴェ=デフォセ報告書)、議員提出の改正法案(氏名・出自・離婚・親権など)が次々と上程されるという状況になっている(この立法過程の「混乱」は日本の状況と対比すると興味深い。なお、後述のパクス法の立法過程もこれに関連する)。また、昨年末には長年の懸案であった相続法改正が実現している(2001年12月3日法。配偶者相続分の増大や非嫡出子相続分の平等化)。
以上を整理すると、次のような関連図を描くことができる。
(人) (家族)
(責任) → @ C
(ヨーロッパ)
A B ←(契約)
1) @Aは「人の法」、ABは「家族の法」に属する
2) ABは社会構成原理にかかわるものとして連続する
(cf. Christine Boutin)
3) @Bは「債権債務の法」(@は責任、Bは契約)と交錯する
4) BCはヨーロッパ人権法と密接に関連する
2 検討の視点――外国法から何を学ぶか
以上に掲げた@〜Cの問題は、程度の差はあれ、ヨーロッパ諸国では共通に問題となっている。Aについてはよく知られているが、ほかの問題についても、たとえばドイツでは、@につき大きな動きがあるし(紹介論文あり)、Bについては最近になってやはり法律ができた(生活パートナー法)。また、日本でも、AやCは立法上の課題であるし(Aは厚労省と法務省で法案準備中、Cも1996年の要綱の国会上程が検討されている)、@も問題が出始めており、Bも意外に早い時期に問題となりうる。現代社会に共通する問題を解決するための指針・ヒントを求めて、フランスにおけるそれぞれの問題の状況を観察することに一定の意味があることは、容易に理解される。
しかし、フランス法(より広く外国法)の参照には、それ以上の意義がある。新しい法規範・法制度がいかにして産み出されていくのか、われわれの社会と何が同じで何が異なるのか、一言で言えば、法を創り出す様々な力(''
forces creatrices du droit '', l'expression de Georges Ripert)のメカニズムを見出すきっかけがそこにはある。このような観点からは、一定のタイム・スパンをとって検討すること(大村3論文)や幅広く問題を見渡すこと(川井健、ドイツ家族法)が有用である。しかし、やや短いタイム・スパンで個別の問題をとりあげるとしても、このような観点が無用になるわけではない。以下では、パクス法に限ってであり、しかも、資料も評価も表層にとどまるが、このような観点も考慮しつつ、話をしてみたい。
U パクス立法の紹介
1 パクス法の成立
(1) 立法の経緯 すでに触れたように、パクス法は、同性・異性のカップルの共同生活を規律する法律である。この法律は、1999年11月に成立したが、立法までには10年余(あるいはそれ以上)の前史があった。そこでまず、この法律の成立に至る立法の経緯を簡単に振り返ることから始めよう。「パクス法」という法律の名称についても、その中で触れることにしよう。
略年表を見ると(レジュメ2頁)、一番上に1989年7月11日の破毀院判決が掲げられている。この日、破毀院社会部(破毀院は民事1〜3部、刑事部、社会部の5部からなる)は2件の判決を下した。いずれも社会保障制度の適用にかかわるものであるが(一つ目の事件はエールフランス社の職員家族に対する同社航空機利用の便宜にかかわるものであり、規則の定める便宜を享受できる「自由結合関係にある配偶者」に同性愛のパートナーが含まれるかが争われたもの、二つ目の事件は疾病・出産保険の適用に関する1978年1月2日法にいう「夫婦同様の生活」に同性愛者の共同生活が含まれるかが争われたもの)、破毀院はいずれのケースについても、異性のカップルに限られ、同性のカップルには及ばないという立場を示した。
そこで、90年代に入ると、同性カップルにも異性カップルと同様の法的保護を与えるべきだという主張がなされることになる。このような意味で、1989年判決を問題の出発点とすることができる(ただし、それ以前の1982年8月に、当時の刑法331条2項――18歳未満の同性間性行為を禁止するもの、異性間では15歳以上ならば適法だった――の撤廃がなされたのを、より遠い起点とみなすこともできる。さらに、同性愛者の権利擁護運動を68年5月と結びつける見解もある)。
具体的には、90年6月には「民事パートナー契約」の創設が元老院に、92年には「民事結合契約(contrat
d'union civil=CUC)」の創設が国民議会に、それぞれ提案された。これら二つの議員提出法案は採択には至らなかったが、これを受けて1993年には社会保障法典の一部改正が実現し、破毀院判決は立法によって(少なくともその一部は)否定されるに至った(以上、大村論文参照・文献表36)。
その後、96年には、シラク内閣の閣議において立法の必要性が確認され、当時のトゥーボン司法大臣は、ジャン・オゼ教授(ボルドー第4大学)に報告書の作成を依頼した。さらに、社会党のオブリー、ギグー、トロットマンらは、「社会結合契約(contrat
de l'union sociale=CUS)」支持を表明、翌97年夏の総選挙での社会党の勝利を機に、立法への機運が高まった。そして、98年9月23日、国民議会の司法委員会(タスカ委員長)においてパクス法は可決される。この頃からパクス法の立法は、本当の意味で大きな社会問題となる(略年表のテリーのコメント参照)。
ここで「パクス法」の名称について一言しておく。97年の段階で提案されていた諸案には、前述の通り、CUC/CUSといった名称(ほかにCUCSもあった)が付されており、98年春にオゼ委員会が提案したのは「共同利益契約(pacte
d'interet commun=PIC)」であった。これに対して、この立法を推進する運動団体が「パクス」という名称を提案した。「パクス」とは「民事連帯契約(pacte
civil de solidarite=PACS)」の略称であるが、そこには、CUC/CUSが持っていたネガティヴな語感を払拭し、肯定的なイメージを創り出そうという戦略があった(PACSはpaxに通ずる。また、solidariteのプラス・イメージを利用する。なお、CUC/CUSは怪しい「ひやかし・からかい」の対象とされたという。その趣旨は不明だがcul/cuisseなどに音が近いからか)。
さて、このパクス法案は、社会党の有力閣僚たち(オブリは雇用連帯大臣、ギグーは司法大臣で、社会党政府の2枚看板だった)に加えて、ジョスパン首相も支持していたが(文献表23のAgasancikiはジョスパン夫人)、容易には成立しなかった。10月9日の国民議会本会議で、政府は法案を可決することができなかったのである。その理由は、社会党議員の欠席にある(本会議場の様子は、文献表31のAbelesに詳しく描かれている)。たとえパリの知識人たちがパクスに好意的であったとしても、地方にはまた別の世界がある。実際のところ、1998年3月、「共和主義に基づく婚姻を支持するフランス市長連合」は1850名の参加者を集めてパクス反対を表明したが、この団体は超党派の団体であった。社会党に属する市長たちの中にもパクス反対派が多く、国会議員たちも地元の意向を無視するわけにはいかなかった。
パクス法案は危機に瀕したわけであるが、秋から冬に向けて、賛否両派のキャンペーンが繰り広げられ、世論は大きく割れる(再びテリーの表現によれば、「燃え上がる秋、騒然たる冬」が到来する)。これについては後述することにして、今は法案の行方をたどる。98年12月9日、修正された法案が国民議会に上程されて可決、しかし、元老院では99年3月、5月の2度にわたって否決。最終的には、夏休み明けの99年10月13日に、国民議会が改めてこれを採択し、議会では決着がつけられた(両院協議会で合意が得られず、単独議決となった)。
だが、これに対しては、同日および翌日に、反対派の議員(国民議会では213名、元老院では115名)によって、憲法院に違憲審査の申し立てがなされた。結局、11月9日に合憲判断が下され、11月15日、シラク大統領の審署がなされた。こうして、激しい攻防に幕が引かれた。
(2) 法律の内容 できあがった法律の内容をごく簡単にみておこう(条文参照)。配布資料の和訳には民法典に追加挿入された部分が、しかも一部省略の形で掲げられている。そこにも注記されているように、パクス法は全15ヶ条の法律であり、民法典の改正に当てられたのは、そのうちの第1条〜第3条だけである。第4条以下の規定は何のためのものかと言えば(配布資料の仏文の方を参照)、第4条〜第6条は一般租税法典を、第7条および第9条〜第11条は社会保障法典を、第8条は労働法典を、第12条・第13条は国内滞在資格や公務員在職資格に関する法令を、そして、第14条・第15条は賃貸借法を、それぞれ改正するものであった。
まず、民法典改正の部分である。新法では、パクスに関する規定として、第515−1条から第515−7条までの7ヶ条が、そして、内縁に関する規定として、第515−8条が、民法典に挿入された(第1編の末尾に第12章が新設された。他に、506−1条もあるが、省略)。これらの規定によって、パクスが定義され(共同生活のために、2人の異性または同性が締結する契約。515−1条)、障害事由(近親婚・重婚に対応するもの。515−2条)と届出の方式(小審裁判所書記局へ共同または単独での届出。515−3条)が定められている。また、効果に関する規定(対内的には相互扶助と持分均等の推定、対外的には連帯債務。515−4条、515−5条)と解消に関する規定(共同で届出、財産の分割方法。515−7条、515−6条)も置かれている。なお、内縁に関する規定は、単に内縁を定義するだけのものである(異性または同性。安定性・継続性。515−8条)
次に、その他の法典・法律を改正する部分である。分量としてこの部分が多いわけだが、技術的な規定も多く、その全体を紹介することはできない。ここでは配付資料の「付録」をみておくにとどめる。そこに書かれているように、パクスには一定のメリットがある。すなわち、一定年数以上パクスを継続しているカップルについては、所得税・譲渡税につき便宜が与えられる。また、カップルの一方が死亡した場合に、他方が借家を承継することができる。さらに、社会保障の面でもパートナーに権利が与えられる。
最後に、この立法によって与えられてはいない権利について確認しておく。これも「付録」に書かれている通りだが、パクスは、氏・親子関係・相続などには全く関係なく、カップルの間の関係を規律するものである。しかも、貞操義務・同居義務を伴うものではない。
2 パクス法の反響
(1) 社会の反応 すでに触れたように、1997年から99年にかけてパクスはフランス社会の大問題となった。人々はこの問題に大きな関心を寄せ、賛否両陣営は大規模なデモンストレーションを展開し、激しく対立した。フランスでは今日でも、政治的な意思表明の手段として重要な意味を持っており、しばしば大規模なデモが組織される(「民主主義は路上にある」とも言われる)。それでも、パクスをめぐるデモは眼につくものであった。一方で、1998年6月20日の「ゲイ・パレード」にはパリに15万人の人々が集まった(J・ラングやC・タスカも参加)。他方、1999年1月31日には、「ジェネラシオン・アンチ・パクス」を掲げる反対派(「マダム・アンチ・パクス」と呼ばれたカトリーヌ・ブタンなど)が、10万人を動員してデモを組織した。ある作家は、国論を二分するこの状況を評するのに、「現代のドレフュス事件」という表現を用いた。
これもすでに述べたように、この問題に対するスタンスは保革の軸では単純に割り切れない。社会党も地方レベルでは反対派を抱えている一方で、反対派の中心人物ブタン(彼女は議会で5時間半に及ぶマラソン演説で反対の論陣を張った)は中道右派のUDF所属、他方、保守派RPRにもロズリヌ・バシュロのような熱烈推進派がいるという混乱状況だった。しかし、97年の発足したジョスパン政権のスタンスははっきりしていた。政府は「パクス」を「35時間」「パリテ(男女同数)」と並ぶ重要なテーマとしていたのである。たとえば、社会党政権に環境大臣として入閣したドミニク・ヴォワネ(エコロジスト)は、「政府の優先課題は排除と失業に対して闘いを挑むことである。CUSは闘いの一つの要素であり、何十万のもの人々の排除に抗するものである」と述べた。また、J・ラングは「フランス法に新しい法を導入ために我々は旅立った。それはフランスの民主主義の更新に繋がるだろう」と述べ、ジョスパン首相自身もフランス社会の現代化のためにパクスは必要であるとしていた。
では、こうして導入されたパクスは、実際にどのぐらい用いられているだろうか。この点にも簡単に触れておく。略年表には、2000年1月1日現在での契約数を掲げておいたが(1ヶ月半で約6000組)、2000年末までで集計すると、3万件弱のパクスが締結されたという。2000年度の婚姻数は約30万件であったので、その1割にあたるが、思ったよりも少ないとも言われている。なお、このうち同性カップルによるものがどの程度あるのかは、明らかではない(カップルの性別情報の公開は禁止されているため。ただし、パリでは多く、地方ではごく少ない、と言われている)。もっとも、パクスは社会に浸透していることは確かであり、パクセ(pacser/pacse)という表現(動詞・分詞・名詞)も日常的に使われるようになりつつある。また、同性カップルの例が含まれているのは確かであり、新聞(ル・モンドなど)で「公告」を見かけることも稀ではない。
(2) 学説の応答 世論からは少し離れて、法学の世界でパクスがどのように受けとめられたかについても、簡単に触れておく。もちろん、パクスについては、多くの文献があり関心が持たれている。しかし、いわゆるメイン・ストリームの法学の世界で、パクスに対して懐疑的な意見、あるいは冷ややか意見が強いように思われる。
確かに、文献の数は多い。しかし、資料の「参考文献」欄に掲げた文献のうち、法学系のもので比較的まとまったもの(17/18/19など)は、この問題に関心を寄せる一部の著者たちによって書かれたものである(教授資格を持たない研究者や弁護士たち)。法学教授たちについて見れば、左右を問わず、最終的に成立したパクス法に賛成するものはほとんど見られないという。ややフェミニストの色合いを帯びた家族法学者デゥケヴェ=デフォセも、あるいは、社会党のイデオローグの一人と言われる前述の法社会学者I・テリーも、同様である(より年長の世代はより否定的である。民法学の大家で保守派のマロリーは、同性愛者の「同棲」に対して否定的であり、「帽子(=同性に共同生活)をテーブル(=同棲さらには婚姻)と呼ぶことはできるが、帽子は帽子であり、テーブルはテーブルである。言葉のごまかしは知的・道徳的な漂流を意味する」と酷評しているし、左派のリュブラン=ドゥヴィシも、パクスを「法的怪物」と呼んでいる)。
この点は、日本語になっている講演を見ても同様であり、右派のサビーヌ・マゾー=ルヴヌールがパクスに対して好意的でないのは当然であるとしても、穏健左派と見られるジェスタッツもまた、少なくともできあがった法律(講演は法案成立前のものだが)については批判的である。以上の傾向は、引用を省略した多数の法律雑誌論文(立法前の主なものは3に集められている)にもほぼ共通に見られる傾向だと思われる。やはり穏健左派の傾向を見せる民法・法社会学のニコラ・モルフェシスは、「賛成する民法学者はいない。パクス法を支持する学説があるというならば、具体的な名前を挙げてみせてくれ」と言っていた。
反対の理由は一言で言えば、パクスの性格が曖昧なこと、その規律にも不明確な点が多いということに尽きるようである。早い段階で、パクス法につき簡潔な解説を提示してみせたある実務書(民法・法社会学の泰斗F・テレ教授の監修によるもの)は、「説明が与えられれば、結婚することが可能な同棲者たち(=異性のカップル)は、何もしないか、あるいは結婚するという路を選ぶに違いない」と述べているが、これは法学説の平均的な反応であると言えるだろう。
もっとも、このことから直ちに、パクス立法が不適当だった、失敗だったということになるわけではない。年間3万件が多いか少ないかは別にして(人口を考えると、日本での養子縁組の件数よりもやや少ないというところだろう)、一定の範囲でこれを利用しようという人々がいることは確かである。また、実質的な内容を持つ合理的な制度となっているかどうかと、立法として成功したかどうかは、常に一致するとは限らない(日本でも、最近の消費者契約法や成年後見法が成功と言えるかどうかは、見方によるだろう)。最後に、パクスに対する法学説の反対に対して、「法学部の教授たちは保守的だから」という紋切型の断罪がなされることが少なくないことも付け加えておこう(ここには、日本にも通じる問題がある。たとえば、借地借家法改正の時の議論が思い出される)。
V パクス立法の評価
1 立法学の観点から
(1) 政治的な意義 パクス法の立法過程を政治的な観点から観察するというのは、極めて興味深い作業であると思われる。ここでは本格的な検討を行うことはできないが、いくつか気づいた点を掲げておきたい(特に、私自身が観察した生命倫理法の立法過程とも対比しつつ)。
第一に、全体的な印象について。生命倫理法にも賛否両論はあったが、推進派・反対派が大規模なデモンストレーションを展開するということはなかった。人工生殖を推進する人々の団体は存在してはいたが、それほど大きな力を持っているというわけではなかった。むしろ、医学界・科学界の一部が強く推進を希望するのに対して、社会規範が模索されるという雰囲気であった。大きな社会問題ではあったが、政治問題というわけではなかった(議会上程は世論の動向が定まった後であった)。これに対して、パクス法は、まさに賛否両論が正面から激突して政治的なイッシューとなった。議会でも賛成派が多数を占めるに至った国民議会と保守派の元老院が最後まで対立した。また、議会外でも、一方で、ゲイ支援団体が、他方で、家族団体・カトリック団体が、動員・キャンペーンを行って対立するという構図が見られた。
第二に、主要なアクターの行動について。生命倫理法では、政府は立法過程をコントロールしようという強い意図を臨んだ。これに対して、議会が政府の独断専行に歯止めをかけようとした。ところが、今回は、政府・与党の内部でも温度差が見られ、また、議会でも政党を超えて賛否両論が分かれた。そのなかで、政府部内の推進派には「『排除』ではなく『連帯』を」という方向性が強く現れていた。これは97〜99年頃のフランス社会を覆った大きな「時代の気分」であった。ある意味では、政府は推進派の運動をうまく取り込んで、一つのシンボルにしたとも言える。他方、推進派の運動団体の方も、「シンボル」という点には敏感であった。法学者の中には「パクス」と「内縁」を併存させることに疑問を投ずる者が多いが、運動団体は、同性・異性にかかわらず同じレジームが使える、ということを求めていた。そうして制度が作られるのであれば、極端に言って、中味は何でもよかったとさえ言える。同じことであるが、立法の途中では大きく議論された性関係とは無縁の共同生活体(fratrieとかduoなどと表現された)を含めることに、彼らは反対であった(同性愛と異性愛を区別しない、という主張が減殺されるから)。
第三に、パクスの定着について。今後、これがどの程度まで、またどのように使われるかはまだわからないが、パクスというものが存在する、それは異性カップルにも同性カップルにも利用可能であるということは、ある程度まで社会的に認知されたようである。その意味で、パクスは賛否を超えて、フランス社会に浸透したと言えるだろう。
(2) 技術的な意義 パクス立法において、法技術的に見て興味深い問題を提起している点の一つとして、憲法院の役割をあげることができるだろう。
すでに述べたように、パクス法に対しては、国民議会での法案可決後に直ちに、違憲審査の申し立てがなされたが、憲法院は憲法違反ではないという判断を下している(decision
n 99-419 DC du 9/11/99, JO 16 nov.1999, p.16962)。申し立てにおいては、憲法違反の理由として、立法手続の違背のほか、平等原則への違背、共和主義的婚姻の侵害、人間の尊厳の侵害、子ども・家族の保護に関する規定の無視、同棲者の権利侵害などがあげられたが、いずれも否定されている。
この判決は2段組の法律雑誌でも6頁ほどになるもので、フランスの裁判所の判断としては長大なものである。フランスでは最近、人権と民法の関係が議論されることが多いが(ルヴヌール=伊藤洋一)、ヨーロッパ人権条約ではなく、憲法との関係が問題になることは制度の作りからして稀であるため(法改正がない限り違憲審査の対象とならない――民法典の既存の規定には違憲審査権は及ばない)、この判決は貴重かつ重要なものであると評されている。
とりわけ注目されているのが、数多く指摘されているパクス法の不備(契約責任や財産法との関係、私生活の尊重との関係などにかかわるものが多い)にもかかわらず、憲法院が「解釈の余地(reserve d'interpretation)」を認め、しかも自身がその方向付けをしたという点である。この点をとらえて、憲法院が行ったのは法律の「書き直し(reecriture)」に他ならないとする見解もある(モルフェシス)。この見解は、さらに憲法院は、パクスの法的性質を変化させる契機をも含んでいるとする。この点は後述することとして、ここでは、政治的な色彩の濃い(技術的には不備の多い)立法が、「9人の番人」の存在をクローズアップすることとなっているということを指摘しておきたい。
2 解釈学の観点から
すでにTでも触れたように、パクス法は家族法と契約法の接点に位置する法律である。そこで双方の観点から、パクス法の影響について簡単に触れておくことにする。
(1) 家族法への影響 パクスは家族とは無関係である、婚姻を害するものではない、という発言は、パクス法の立法の当初から繰り返し確認されてきたところである。先に触れた憲法院判決もまた、パクス法は「民法典第1編の他の諸章、とりわけ民事身分、親子関係、養子、親権にかかわる諸章に影響を及ぼすものではない」とし、またそれは、「婚姻とは無関係の契約であり、一方的な意思表示による解消は『追い出し(repudiation)』と性格づけられるものではない」としている。パクス法の内容を見ても、すでに述べたように、貞操義務・同居義務は存在せず、相互扶助に関する規定も「義務」であると明言されてはおらず、違反に対するサンクションも欠けている。そこには、婚姻に匹敵するような人格的な関係は存在しない(あるとしても非常に希薄である)。
しかし、それでもパクスは「第二の婚姻(mariage bis)」を産み出すものではないかという批判は根強い。ある著者は「パクスは婚姻そのもの(le mariage)ではないが、ある種の婚姻(un mariage)ではある」としている。また別の有力な著者は、パクスは婚姻と競合するものではないという発言は「まやかし(mensongere)」であるとしている。
一面で、このような危惧にはあたっている面もある。オゼ教授の提案したPICなどと比べると、パクスには確かに婚姻に通ずる部分がある。そもそも、オゼ案ではPICは民法典の第3編の契約各論部分に置かれることが予定されていたという。また、不分割のところに規定を置くべきだという意見もあった。ところが、パクスは第1編の人(家族に関する他の規定はここに置かれている)の末尾に挿入された(もっとも、婚姻から離されて、後見の後に置かれてはいる)。あるいは、パクスでは当事者間における性関係の存在が前提とされている。そうであるが故に、近親婚・重婚をなぞった形での障害事由が置かれている。さらに、モルフェシス教授は、憲法院は、この点につき「パクスの婚姻化(matrimonialisation
du PACS)」の方向に舵を切ったと評している(たとえば、曖昧な「共同生活」という表現につき、住居の共同だけではなく「カップルとしての生活」を含むとしている。あるいは、相互扶助に関する規定は当事者に義務を課すものであり、この規定は合意によって排除できないとしている)。
もちろん、パクスが仮に婚姻と競合する「第2の婚姻」であるとしても、そのことが、直ちに婚姻を害することになるわけではない。しかし、そうした性格づけは、将来、様々な問題に影響を及ぼすことが考えられる。すなわち、一方で、パクスをより婚姻に近づけるべきだという議論が出てくるだろう(特に、同性カップルによる養子縁組の是非が問題になる)。他方、契約的な色彩を帯びた「第2の婚姻」は婚姻自体に制度性に疑いを向ける契機となるだろう(たとえば、一方的な意思表示による離婚を認めよ、という主張につながりうる)。
(2) 契約法への影響 民法典新515−1条は、パクスを「共同生活のために、2人の異性または同性が締結する契約」と定義している。この点に着目すれば、パクスは「契約」であることは明らかである。しかし、婚姻か契約かという観点からすると、この定義規定だけでは決め手にはならない。というのは、婚姻についても「婚姻を約定する(contracter mariage)」という表現が用いられているからである(民144条)。この点は別にしても、パクスは契約としての性格を色濃く帯びている。PICのようにはっきりとはしていないものの、パクスは財産関係の規律を中心としており、人格的な関係を生じさせるものではないからである。
もっとも学説の中には、信義則を媒介として当事者間に誠実義務が課されうるとか、同時に二つのパクスを締結することができないことは排他的性関係を含意するなどとするものもある。しかし、パクスはいかなる貞操義務をも課すものではないというのが、一般的な見方である。実際のところ、パクスを締結していても、婚姻をすることは全く妨げられない(婚姻はパクスの終了原因)。では、当事者が契約で貞操義務を負うのはどうか。もちろん合意することかまわない。しかし、義務違反があってもパクスの終了原因とはならない(ドゥケヴェ=デフォセは、損害賠償も無理だろうとする。性的自由は公的自由であり取引の対象外にあるというのが理由)。また、パクスはあくまでもカップル間の関係を規律するものなので、親子関係とは無縁である。貞操義務も同居義務もない以上、父性推定も働かない。
以上のように、パクスは「財産的な契約(contrat patrimonial)」であり、カップルの共同生活を短期的に処理するためのものである。その限度で、パクスは婚姻に類似してはいるが、継続性を欠き、かつ、人格的な義務を伴うものでない点で、長期的な制度たる婚姻とは異なるものである。婚姻が共同生活のためのものであるが、同時にそれ以上のものである。しかし、パクスは共同生活のためのものでしかない、というのである(デゥケヴェ=デフォセ)。
とはいえ、パクスは婚姻ではなく契約であると言っただけでは、なお不十分である。憲法院判決の表現に従えば、パクスは「特別な契約(contrat specifique)」であり、単なる「各種の契約の一つ(un contrat special)」ではない面を持っているからである。民法典に挿入された規定の多くが公序規定と解されているのがその証左であるとされる(ただ、不分割は推定されるだけで、合意により他の種類の財産関係を創り出すことは可能である)。
おわりに
以上のようなフランスの経験から、どのような教訓を引き出すことができるだろうか。あるいは、引き出すことを試みるべきだろうか。いろいろな可能性があるが、ここでは次のことだけを述べておく。
確かにパクス法は曖昧である。政治的な論争に明け暮れた結果、法的な手当が十分ではない、という学説の指摘はそれ自体は当たっているだろう。パクス法は共同生活を営むカップルに大したものをもたらさない。しかし、同性カップルの共同生活に少なくとも一定の法的保護を与えるという社会的な決断がなされたことは過小に評価してはならないだろう。また、婚姻の尊重に配慮を示しつつ、少数者の求めに可能な範囲で応じていくという態度の中には、むしろある種の節度ないしバランス(mesure)を見出すべきであろう。
パクスがこの先どうなっていくかは、パクスを利用する人々、そして、それを支える人々の行動にかかっている。たとえば、各種の契約書が提案されており(配付資料にその一例を掲げてある)、よりよい契約形態を模索・開発が始まっている。この点は、フランス法の一つの特色だとも言えるが、ビジネスのレベルにとどまらず法律関係を調整するための規約・契約のモデルが、公証人や弁護士たちによって、一方で当事者の利益を擁護するという当然の観点に立ちつつも、他方で、人々が広く使いうるなかば公的な制度の一部をなすものとして、開発されていく。パクスについても、当事者と実務法律家たちの努力・創意工夫によって、望ましい契約類型が形作られていくことが期待される。
【略年表】
11 juill. 1989, arret de la Cour de cassation (chambre sociale), D.1990.583
juin 1990, proposition sur le contrat de partnariat civil
25 nov. 1992, proposition de loi n 3066 tendant a creer un contrat d'union civil (CUC), presentee par MM. J.Y.Autexier, J.P.Michel, J.M.Le Guen, Y.Vidal et J.P.Morms
27 janv. 1993, nouv. art. L161-14 et R. 161-8-1 du Code de la Securite sociale
17 juill.et 21 dec.1993, propositon sur le partenariat civil ...
1995, certicificat de vie commune (sur l'initiative de J.P.Chevenement)
printemps 1996, Le Conseil des ministres (preside par J.Chirac) reconnait publiquement la necessite d'une intervention legislative, et J.Toubon, Garde des Sceaux commande au Prof. Jean Hauser un rapport sur la reforme du concubinage
juin 1996, M.Aubry, E.Guigou, C.Trautmann, P.Mauroy .. lancent un appel en faveur d'un contrat d'union sociale
23 janv. 1997, proposition de loi sur le contrat de l'union sociale (CUS)
juin-juillet 1997, victoire de la gauche au Legislatif
mars 1998, Collectif des maires de France (1850 maires contre la legislation: RPR=790, PS=740, UDF=595, PC=62)
avril 1998, rap.Hauser remis au Premier Ministre (pacte d'interet commun=PIC)
23 sept.1998, adopitee en commission des lois (precidee par C.Tasca, avec le rapport de J.P.Michel)
'' En septembre 1998, la proposition de la loi sur le pacte civil de solidarite (PACS)semble saisir brutalement la societe francaise.'' (Thery)
9 oct.1998, soumise mais rejetee a l'Assemblee Nationale, en l'absence de nombreux deputes de gauche
'' Tout commence le 9 octobre 1998, aux alentours de 9 heures, ..'' (Moutouh)
9 dec.1998, nouvelle version adoptee a l'Assemblee Nationale
31 janv. 1999, manifestation anti-PACS (100,000 personnes defilees a Paris, Generation anti-PACS)
18 mars et 11 mai 1999, refusee par le Senat en premiere et deuxieme lectures
'' un automne enflamme et un hiver houleux. Puis en mars, tout s'estombe. .. Et cet automne 1999, le vote definitif du Pacs par l'Assemblee est presque un non-evenement. '' (Thery)
13 oct. 1999, adoption definitive du texte
9 nov.1999, decision du Conseil constitutionnel
15 nov.1999, loi n 99-944 du 15 novembre 1999 relative au pacte civil de solidarite
21 dec.1999, decrets n 99-1089, n 99-1090, n 99-1091
1er janv. 2000, 6211 PACS ont ete conclus depuis la promulgation de la loi
【参考文献】
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37) P・ジェスタッツ(野村=本山訳)「内縁を立法化すべきか――フラン スのPACS法について」ジュリスト1172号(2000)
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