東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

コラム53:迷惑はかけてもいい

学習相談室

コラム53:迷惑はかけてもいい

日本人ならたいてい子どものころから、親や学校の先生などから、「他人に迷惑をかけてはいけません」と言われて育ってきたのではないだろうか。そのため、「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは、普遍的な道徳律だと思っている人も多いのではないかと思う。私も数年前までそう思っていた一人だった。しかし、どうやらこの教えはそれほど普遍的な規範とは言えないようだ。日本語教師をしている私の知人によれば、中国ではこのような規範を子どもに教える親はほとんどいない代わりに、「困っている人を助けなさい」と教える親が多いという。私の友人の韓国人によれば、韓国でも「他人に迷惑をかけるな」という人はいるものの、日本ほど多くはないという。むろん、日本でも「困っている人を助けなさい」と教える親もいるだろうが、「他人様に迷惑をかけてはいけない」と教える親に比べると、圧倒的に少数派だろう。

 

新約聖書には有名な「善きサマリア人」の譬えがあるように、キリスト教でもやはり「困っている人を助けなさい」という教えは重視されているように思われる。このように見てくると、「他人に迷惑をかけるな」という消極的道徳よりも、「困っている人を助けなさい」という積極的道徳の方が、むしろ普遍性があるのかもしれない。

 

しかし、いずれが普遍的かはさておき、ここでは「他人に迷惑をかけるな」という規範の持つ孤立主義的な含意に目を向けてみたい。「他人に迷惑をかけるな」という規範は、その裏返しとして、「他人に迷惑をかける人は非難されても仕方がない」という含意を持つことになる。そのため、困っていても、こんなことを頼めば他人に迷惑をかけることになるのではないかという恐れから、助けを求めることを躊躇する人も出てくるだろう。昔見たドラマでは、車椅子の青年が、「俺たちは街に出ても、ちょっとしたことでいちいち他人の手を借りなければならず、迷惑がられるのを避けようと思えば、どうしても家の中に閉じこもりがちになる」と言うセリフがあったが、こうした状況は今日でもそれほど変化していないのではないだろうか。現在、ベビーカーを広げたまま電車に乗ることは可能だが、混雑した電車にベビーカーを押して乗り込む母親に対して冷たい視線を投げかける乗客も少なくないように思う。

 

「他人に迷惑をかけるな」という規範は、人は本来、他人に迷惑をかけずに生きていくべき存在である、という含意を持ちうるため、そこから、人は元来、自力で生きていくべき存在だ、という解釈さえ導かれるかもしれない。さらに、こうした解釈が一般化すれば、何らかの窮地にある人に対して、それは自己責任だから、他者の支援を当てにすべきではないという、冷淡な態度すら助長しかねない。

 

しかし、少し考えただけでも、人は生まれたときには全く無力な存在であり、高齢になれば、できないことも増えていくことくらい、すぐにわかるだろう。また、高齢になるまでもなく、病気や障害など、人生の途上で出あう様々な困難によって、人の助けなしには生きていけない場面は無数にある。そうだとすると、人は誰の助けも借りず、自力だけで生きていけるような存在などではなく、他者との関係の中で、支え・支えられつつ生きていくのが本来の姿であることがわかるはずだ。そう考えると、「他人に迷惑をかけるな」という規範が、孤立主義的で、ギスギスした、冷淡な人間関係を奨励しているように見えてこないだろうか。むしろ、迷惑をかけたり、かけられたりするのが自然な人間の姿であって、人が生きていくうえではごく当たり前のことであり、「お互い様」という寛大な気持ちで接する方が、誰にとっても生きやすい社会になるのではないだろうか。そして、「困っている人を助けなさい」という規範を内面化すれば、「迷惑をかけやがって」などと、助けを必要としている人を白眼視することも少なくなるように思われる。

 

今年の東大入学式では上野千鶴子・東大名誉教授の祝辞が話題となった。特に注目を集めたのは次の一節である。

「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。(中略)世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。(中略)あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください」

 

このメッセージを「高貴な義務の勧め」と解釈する人もいたようだが、むしろ、支えあい助け合う社会の大切さと捉えた方が、はるかに実り多いのではないだろうか。(文責:稲田)