東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

コラム62:陰性能力とは何か

学習相談室

本学部には、与えられた問題に対して正解を見つけたり、解決したりする能力が相対的に高い学生が集まっていると思われる。ところが、世の中には、どうにも答えの見つからない問題、解決策がなく、この先どうなるのかもわからない、といった問題も少なくない。このような、どうにも答えの出ない、対処のしようもないような事態に直面したとき、生半可な知識や性急な判断を基にその場しのぎの“対応策”でごまかすのではなく、疑念をそのまま持ち続け、不確かで宙ぶらりんの状況に耐える、という能力もある。前者のような、積極的に正解を見つけ、問題を解決する能力をポジティブ・ケイパビリティ(陽性能力)と呼ぶとすれば、後者の、不確かさや疑いの中で耐える能力をネガティブ・ケイパビリティ(陰性能力)と呼ぶことができる、ということを、作家で精神科医の帚木蓬生氏の『ネガティブ・ケイパビリティ――答えの出ない事態に耐える力』(朝日新聞出版)で知った。19世紀イギリスの詩人、ジョン・キーツが私信の中で初めて使った概念で、それから約150年後の1970年、イギリスの精神科医ウィルフレッド・ビオンが再発見して精神医学に取り入れたのだという。

陽性能力と陰性能力――、両者は全く性格の異なる能力であるから、陽性能力の高い人が陰性能力も高いとは限らない。学校教育では主に陽性能力の育成に重点が置かれているが、陰性能力を育成する場というものが公的に存在しているわけではない。

陰性能力は、普段なかなか意識されにくい能力であるが、なぜこれが重要かといえば、人生や社会においては、どうにも答えの出ない、解決策の見つからない事態に往々にして遭遇するからである。すぐに解決できたり、正解がすぐに見つかるような問題は、実は人生の中ではほんの一部にすぎないだろう。2020年初頭より全世界に広まった新型コロナウイルス禍にしても、2年を経てなお、いつどのような形で収束するのかもまだ明確にはわからず、先行きの不透明なまま“ウィズ・コロナ”に適応していくことが求められている。ここでもやはり陰性能力の高さが問われているのではないだろうか。不透明な状況に耐え続けるという陰性能力は、精神的健康の維持にとっても重要だと思われる。

一方、陰性能力は学問や学習においても重要である。複雑で容易に一義的な答えの出ないような問題に対し、安易に単純化して「わかったつもり」になってしまえば、理解はそれ以上先には進まず、低い次元の理解にとどまってしまうか、さらに悪くすれば、間違った理解のままにとどまってしまう恐れもある。わからない問題を、わからないまま保持し続けていれば、いつか何かのきっかけで、ふいに理解の光が射してくるということもある。あるいは一気に疑問が氷解することはなくても、それまでは思いもよらなかった角度から、問題の新たな切り口が見えてくることもあるだろう。疑問を疑問のまま持ち続ける、というのは、実は意外と重要なことなのである。

以前、来談学生にそんな話をしていたところ、「でもそれじゃあ、試験に間に合わないですよね」と言われてしまったことがある。「それはその通り」というしかない。しかし、大学での勉強は試験のためだけにするものではない。というより、試験はあくまでその時点における学習到達度を測るものにすぎないのだから、勉強の意味自体は試験とは別のところにあるはずである。試験のためだけに勉強した内容は、何年か経てばあらかた忘れてしまうが、勉強を通じて学んだ、法学的・政治学的なものの見方・考え方や、自分にとって本質的な価値を持つ事柄は、一生を通じて活きるはずである。

また、どうにもならない状況に耐える力をつける上で、帚木氏が重要だと指摘しているものに「日薬」と「目薬」がある。「日薬」とは、何週間、何カ月、何年も解決しない問題であっても、何とか持ちこたえているうちに何とかなっていくものだ、という時間の持つ力のことである。一方、「目薬」とは、「あなたの苦しい状況は、私がこの目でしっかり見ていますよ」という他人の目があることで、人は耐える力を増す、ということである。学習相談室が「目薬」の一端になれれば幸いである。(文責:稲田)