東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

コラム63:ショックなことがあったときは・・・

学習相談室

6月なのに梅雨が明けました。これを書いているのが2022年6月29日。もう本格的な夏なんて、予想外の出来事です。

「予想外の出来事」には、夏の到来なんてウキウキなものもあれば、ショッキングなつらいものもあります。皆さんに身近なところで言えば、就職活動で選考に落ちてしまった、資格試験に落ちてしまった、さらには交際相手に振られてしまった、などなど。考えたくもないですが、実際に起こりうる出来事です。

こういうショッキングな出来事をうまく消化して”糧”にできることもあれば、飲み込めず、傷として残ってしまうこともあります。では、こうした差は、どのように生まれていくのでしょうか。こうした体験はどのように飲み込めばいいのでしょうか。

 

「同化(assimilation)」と「調節(accommodation)」という言葉がそのヒントになるかもしれません。

“同化”は「自分の見方・考え方に一致するようにその体験を理解すること」、”調節”は「その体験を理解するために自分の見方・考え方を修正していくこと」 という意味です。もっとざっくり、出来事を自分に合わせるのが”同化”。自分を出来事に合わせるのが”調節”、と言ってもいいかもしれません。

例えば、ジャイアンとのび太くんが空き地で喧嘩をしたとします。もしジャイアンが勝ってのび太くんが負けても、「くそう、ジャイアンめ! ドラえもぉ~ん!!」と、いつものように対処できます。「ジャイアンに負ける」という出来事は、のび太くんの自己像に矛盾しないので、のび太くんは”同化”によって、たやすく事実を飲み込めます。

一方、もしジャイアンがのび太くんに負けたら、「こ、この俺が…、のび太に…? ありえない…」とジャイアンは動揺するでしょう。「俺はジャイアーン! ガキ大将! 天下無敵の男だぜー!」なんてリサイタルするくらいですから、「強い自分」としての自己像は大きいに違いありません。ですから、のび太くんに負けた事実を飲み込むためには、「弱い自分」を認めるという、辛く苦しい過程を経なければなりません。その後「悔しいが、のび太も強い」とか「認めたくないが、俺は弱い」とか、うまく納得できれば、その後きっと「のび太! 心の友よ!」となるでしょう。これが”調節”のイメージです。

 

上記ではポップな例を示しましたが、もう少し生々しい例を挙げます。例えば「自分はうつになるわけない!」「うつになる人は甘えだ!」という人がひどい気分の落ち込みを経験したとします。

この時、「これはうつなんかじゃない、ちょっと疲れているだけなのサ」と現実から逃れれば、これも”同化”となります(出来事を自分に合わせて解釈しています)。一方、「まさか、自分が…」と衝撃を受けつつも、「そうか、『誰もがうつになりえる』っていうのはこういうことだったのか」などと、自分の価値感を変えながらなんとか納得に至ったとしたら、それは”調節”による対処と言えます。

残念ながら、人生では受け入れ難いショックなことも起こりえます。もし、これを読んでいるみなさんの中に、今ショックで辛い思いをしている人がいたら、それはもしかしたら”調節”の真っ最中なのかもしれません。「あの時は大変だったけど、今考えるといい経験だったよ~」なんて数年後に言っているのかも?

 

じゃあ、今どうしたらいいんだ! と言いたくなるかもしれません。それは、是非、学習相談室で一緒に考えていけたら嬉しいです。 (文責:大橋)